フーテン、幸福について考える

フーテンとして毎日を暮らしている。

 僕が住んでいる場所は新潟市内の繁華街から歩いて15分ほどの寂れたアパートなのだが、新潟の冬はまず晴れない。日本海側あるあるだと思うのだが、ずっとどんよりとした雲が立ち込めており、時折雨もパラつく。晴天なんてものはなく、たまにあっても2〜3時間後には雨が降り始める。寒波なんかが襲ってくるとすぐ雪になり、目が覚めると雪がこんもりと積もっていることなんてしょっちゅうだ。そんな地域でフーテンなんて無謀じゃないかと思う方もいるだろうが、意外にもなんとかなっている。

 僕のどんよりとした気分を映し出したような空は、同族嫌悪と共感を呼び起こす。落伍者である自分に晴天なんか勿体無いと思っているからだ。一種自虐的な快感を感じながら、僕は今日も場末の居酒屋で鼻をひくつかせている。

 雪国にはうつ病が多い。日照時間の少なさと自殺者は相関関係にあり、原因はセロトニン不足だとされている。セロトニンとは別名「幸せホルモン」とされており、日の光を浴びることで、体内で生成され、健康的な睡眠の手助けをしている。

 しかし、僕のような生まれつきの日陰者にとってはどうだろうか?そもそも幸福を望んでないような男に、「はいこれが幸福ですよ」と押し付けてくる太陽の傲慢さに腹がたつこともしばしばである。僕にとっては薄暗い赤提灯の下で、泡の消えたビールの底を眺めている方がよっぽど幸福なのだ。


 しかし一人で酒を飲んでいると、たまに絡んでくる人たちがいる。彼らは「何の仕事しているのですか?」とか「何されている方なんですか?」とか、判に押したような質問ばかりしてくる。

 僕は彼らとは胸襟を開いて話すことができない。彼らは自分が何者であるということが説明できるのだろうか?眠れない夜に鬱々とした気持ちで自問自答したことがあるのだろうか?彼らの純真無垢な笑顔を見ているとそう叫びたい気持ちになることがある。

 逆に自分の持つ世界が大きすぎるが故に、社会のレールからこぼれ落ちたような人達とは安心して飲める。主に売れないバンドマンや風俗嬢、目的のないフリーターなどだ。彼らの飲み方は凄まじく、一緒に飲んでどんちゃん騒ぎをした記憶は家に持ち帰ることができない。しかし楽しかったことだけは覚えており、一種の帰巣本能で、同じような場末の酒場に集まるのだ。そいつらは全員、いや八割型、事故死か自殺か病死で死んでいった。僕もいつかそいつらに追いつきたいと、ひたすら酒を飲んだ。


 少し話が逸れてしまった。酒のことについて語り始めるとどうも調子が狂ってしまう。  

改めて幸福について考えてみる。思うに幸福は、手に入れた瞬間から失う恐怖に怯え続けることでもある。仲良くなった友達、愛し合った恋人、優しい家族。それらを失う悲しみを、心のうちに育てながら生きていくことはどうにも難しい。世の中刹那主義で溢れてもしょうがないのではないだろうか。

 一度僕は引っ越しを機に、家財道具を全て捨てたことがあった。やぶれかぶれな時期であり、もうどうにでもなれという気分だったのだ。それは非常に爽快で、引っ越し後の何もない部屋で、寝袋にくるまって寝るのが楽しかった。しかし時間と共に、家具は増え、以前と同じようなつまらない部屋になってしまった。その時、人間の生活の本質である「悲しさ」を知ったのだ。

 言うなれば、殺虫灯に似ているのかもしれない。光で虫を誘き寄せ、止まった瞬間電気が流れて、虫を焼き殺してしまうのだ。きっと虫は殺虫灯に止まった瞬間無常の幸福を味わっているのだろう。暗闇の中に美しいものを見つけて、懸命に飛ぶ。そして触れた瞬間、温かい幸福と共にバチっときておしまいだ。

 マンホールの底から眺める月が美しいように、僕は幸福を妬み、憎み、嘆き、憧れている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る