「――あたしね、佳奈ちゃんのことが好きなの」

美愛みあ、そろそろ寝る? 早起きして夜明け見るんでしょ?」

「……うん、そうだね、寝よっか……」


 お風呂からあがってバルコニーに戻ると、美愛が何をするでもなく椅子にぼーっと座っていた。

 元気がない、というよりかは眠そう。今日は色々あったから、疲れたのかもしれない。

 美愛の、キャミソールに薄手のパーカー、という格好でこのまま外にいたら、風邪を引きそうだ。身体が完全に冷えてしまう前に寝させた方がよさそう。


 部屋に準備してあった布団をテントの中へ運ぼうとすると、のっそりと立ち上がった美愛が同じように布団を持った。ただ、身体が小さくて力のない、さらに眠そうな美愛の足取りはふらふらと危なっかしい。

 それでもどうにか、二人で布団を中に運び入れて、スマホのライトでテントの中を照らしつついた。

 二人分の布団を並べるスペースはなくて、一部重なる感じになってしまったけど、寝る分には問題なさそうだった。


 眠そうな美愛を先にテントの中に入らせて、私は寝るための片づけをする。


 まずは人工芝のシートに置いたままだった蚊取り線香をテントの近くまで持ってくる。

 晩ご飯の前にいたものはまだ残っていたけれど、一晩持ちそうにないのでもう一巻ひとまき使っておくことにする。


 椅子も夜露よつゆれるかもしれないので、折りたたまずにそのまま部屋に中に入れておく。テーブルはけばいいからそのまま外に置いておく。

 あとはそのテーブルの上に置いてあるガスランタンだけど――さすがにわからなかったので、美愛にいてみる。


「美愛、ガスランタン消すのってどうすればいいの?」

「つまみ回したら火が消えるからー……あとは冷えるの待って、缶を外すの……」


 眠そうな声で言われた通りに、ガスランタンにあったつまみを回すと火が消えた。

 ガス缶を外す、と言っていたけれど、今火を消したばかりのガラスの部分は熱そうで持てそうにない。

 しょうがない。あとで外そう、と決めて、とりあえずはそのままにしておくことにする。


 テントの中に入る。

 明かりがないテントの中は、シルエットがかろうじてわかる程度の暗さだった。

 それでもどうにか、布団の中へ潜り込んだ。


「……佳奈かなちゃん、そっち寄っていい?」

「ん、いいよ」


 眠そうだったからすぐに寝てしまったかなと思っていたけれど、美愛はまだ起きていた。静かなテントの中、ささやくような声で訊いてくる。

 ガサゴソと音を立てて、布団の中を移動してきた美愛が私に抱き着いてきた。

 私の胸元に顔をうずめているから、美愛の呼吸でそこがじんわりと温かくなる。


 ――そのまましばらく、無言の時間が流れた。


 もしかしなくても、寝たかな――と思い始めた頃、美愛が口を開いた。


「――……あのね、佳奈ちゃん。伝えたいことがあるんだけど……」

「うん……なに?」


 美愛がしゃべるせいで胸元がこそばゆいけれど我慢する。美愛が何か大切な話をしようとしているから。今の静かな、落ち着いた雰囲気を壊したくなかった。


「何があってもあたしの前からいなくならない、んだよね……?」

「え? うん、確かにそう言ったけど。え、待って、なに怖い」

「だから、勇気を出して、言うね……? このままじゃ、今までと変わらないと思うから……」


 抱き着いてきている美愛の身体から、緊張しているのか震えが伝わってくる。

 その緊張が私にも移ったみたいに、口の中が乾いてくる。不穏ふおんな前置きといい、一体、美愛は何を言おうとしているのか。


 美愛が大きく息を吸った音がした。

 顔を上げたのがわかって、私は視線を下げる。暗くてちゃんと見えないはずなのに、美愛と視線が合った気がした。


「――あたしね、佳奈ちゃんのことが好きなの」


 美愛が伝えたかったことは、私のことを好きだということだった。

 なんだ、そんなことか、と一気に緊張が解ける。

 そんなの、言葉にされなくてもわかっていたことだったので、私の口からも自然に返事が出た。


「ありがと。私も、美愛のこと好きだよ」

「――ううん。違うの、佳奈ちゃん。佳奈ちゃんの『好き』とあたしの『好き』は違うんだよ。あたしは恋愛的な意味で、佳奈ちゃんのことが『好き』なの」

「っ⁉」


 なんとなく、もしかして、なんて思ってはいたけれど。

 実際に本人の口からそうだ、と聞かされるのは、やっぱり驚いた。


 確かに私の『好き』は友達として――親友としての『好き』だ。

 そこに恋愛感情があるか、と問われれば、答えはノーだった。

 美愛をそういう対象に見たことがない、というのが正直なところだった。 


「……佳奈ちゃんとキスもしたいし……えっちなことだってしたい、って……そういう『好き』なの……」


 口に出して恥ずかしくなってしまったのか、美愛が再び私の胸元へ顔を埋める。


「……いつからそうだったの?」


 少なくとも中学のときには、そんな素振りはなくて、普通に友達関係だったはず。


「はっきり意識したのは、高校入ってから、かなぁ……。佳奈ちゃんは知らないと思うんだけど……佳奈ちゃんって、今のクラスの女子にも男子にも人気があるんだよ?」

「……そうなの?」


 中学で孤立した経験のおかげで、他人からの評価なんて気にすることがなくなったから、自分がそう思われてるなんて知らなかった。

 そもそも、ほぼ常に美愛とべったりしているから、クラスの他の人と話す機会もそうないし。美愛がいないときに、たまに話しかけられる程度だ。


「女子からはかっこいい、男子からは美人、って。佳奈ちゃん、頭もいいし運動もできるしスタイルもいいし。それでね、それを聞いたとき、やだな、って思ったの」

「やだな、って?」

「……佳奈ちゃんはあたしのものなのに、って……ごめん、ただの友達なのに重いよね……」

「それは別に、いいけど……」


 普段の『佳奈ちゃん、佳奈ちゃん』とすぐに寄ってくる姿を見ていれば、美愛が重いことは想像できたし。

 それに、そこまで美愛に好かれていたと思うと、嫌な気持ちにはならない。美愛以外の人間からそう思われていたら、勘弁してほしい、とは思うけど。


「それでね、やだな、って思ったときに気付いちゃったの。あたし、佳奈ちゃんのこと、そういう意味で好きなんだ、って。佳奈ちゃんのことを噂する他の人に、勝手にヤキモチいてたんだ……」

「……もしかして、高校入ってからスキンシップ求めてくるようになったのって」

「……うん。佳奈ちゃんに、さ、触られたく、なっちゃった、っていうか、触りたかった、っていうか……。あと、他の人に、佳奈ちゃんはあたしのだぞ、って見せつけたかったっていうか……あぁもう、あたしなに全部言っちゃってるんだろ……」


 なるほど、高校に入ってから、スキンシップを求めてくるようになったのはそれが原因だったのか。

 美愛がそんなことを考えていたとはつゆ知らず、求められるままに応じてしまっていた。別に、それが嫌だった、なんてことはないけど。


「……え、えっと、だから、ね……? あの……佳奈ちゃん、あたしと付き合ってほしい、んだけど……」


 その言葉に即答はできなかった。

 なにしろ、私は今まで美愛をそういう目で見たことがなかったから。

 気持ちがない状態で付き合っても、きっとうまくいかないということが予感できたから。


「あっ、あのね! 答えは今すぐじゃなくていいの! 佳奈ちゃんがあたしをそういう目で見てないってわかってるから!」


 返答できなくて黙ってしまった私に怖いものを感じたのか、美愛がまくし立てた。

 その必死な様子が、なんだかかわいく思えるのは、美愛の告白に引きずられているからなのか。


「だから、考えてみてほしいの。あたしのことを、そういう目で……恋愛対象として見れるかどうか」

「――ん、わかった。考えてみる。だから、さっきの返事はちょっと待ってて」

「うん、わかった……ごめんね、変なこと言って……」

「別に変なことじゃないでしょ。私はうれしかったよ、美愛に『好き』って言ってもらえて」

「佳奈ちゃん……ありがと……あ、あの、もしそういう目で見るのが無理だったとしても、友達としてあたしと一緒にいてくれる……?」

「それは約束する。言ったでしょ、いなくならない、って」

「うん……ありがと……ごめんね、ズルくて……」


 そこで会話が途切れた。

 テントの中には、私と美愛の吐息だけが響く。

 テントの外からは、秋の虫の鳴き声が聞こえてきていた。


 頭の中は美愛のことでいっぱいだった。

 私を『好き』だという美愛の気持ちに、私は応えられるんだろうか。

 考えたことがなかったから、わからない。

 私は、女の子を――美愛のことを恋愛対象として見れるんだろうか。


 すぐに答えを出すことは無理だった。さすがに、もうちょっと時間が欲しかった。

 でも、告白してきてくれた美愛に、せめてなにか返してあげたかった。

 同性の自分を恋愛対象として『好き』だと伝えるのには、きっとものすごく勇気が必要だっただろうから。


 考えて――そこで、一つひらめくものがあった。


 美愛が『したい』って言っていたことで、私の気持ちを少しでも確認する方法がある。


「……ねぇ、美愛。キスしてみよっか」

「――ふぇぅ!?」


 私の提案に、美愛が面白い変な声を出す。

 その声に、私はふふっ、と笑いを漏らしながら、


「美愛をそういう目で見れるかどうか、今すぐに答えを出すのは無理だけどさ。でも、今ここで美愛にキスができたら、少なくともダメなわけじゃない、ってことはわかるでしょ?」

「そ、それはっ、そう、かも、しれないけど……」


 美愛があわあわし出しているのが、身体を通じて伝わって来て面白い。

 そのおかげで、あたしは変な緊張をせずに済んでいた。


「それとも……美愛は私とキスしたくない?」

「し、したい! したい、けど……いいの?」


 おずおずと美愛が確認してくる。そういうところがかわいいな、とふと思う。


「いいよ。美愛とならキスしても。たぶん、できると思う」


 だって、美愛とのキスを想像してみても、嫌だな、という気持ちにはならなかったから。


「……あぅ……じゃ、じゃあ……キス、したい……」 

「ん、わかった。それじゃ、もうちょっと上がってきてくれる?」


 私の身体に抱き着いている美愛は、顔がちょうど私の胸元くらいの位置にある。上がってもらわないとキスできない。

 布団がこすれる音がして、美愛の顔が私の顔のすぐ近くに上がってきた。暗いテントの中でも、これだけ至近距離なら、辛うじて美愛の顔――その唇がどこにあるかはわかった。


「美愛からしたい? それとも、私からキスした方がいい?」

「か、佳奈ちゃんから、してほしい……ど、ドキドキし、しすぎて……あたしからは、むりぃ……」

「ふふっ、わかった」


 密着している美愛の身体から、鼓動が伝わってくる。

 ドキドキしすぎている、と言った通りにその鼓動は速かった。


 目をぎゅっ、と固く閉じた美愛の顔がすぐそこにあった。

 顔にかかっている髪を優しく払って、美愛の頬に手を添える。

 そして、ゆっくりと顔を近づけて、唇が触れる直前、私も軽く目を閉じた。


 ――私の唇と、美愛の唇が、重なった。


 私にとって、初めてのキス。

 だからもちろん、ドキドキはしている。でも、美愛のおかげでそれ以上に、落ち着いていた。

 緊張をしているのか、美愛のやわらかな唇から、震えが伝わってきていたから。

 その震える唇を通じて、私のことを『好き』だという美愛の想いが伝わってきたから。


 実際にしてみた美愛とのキスは、全然嫌ではなかった。

 むしろ、ちょっと気持ちよさすら感じる。

 少なくとも、美愛と『そういうこと』をするのは無理ってわけじゃなさそうで安心した。


 長かったようにも、短かったようにも思えるキスは、美愛が先に唇を離したことで終わった。

 美愛はそのまま身体まで私から離すと、掛け布団を頭まで被った。


「……ご、ごめん……ドキドキしすぎて、もう無理……心臓破裂しちゃぅ……も、もう寝よう? ねっ?」


 その様子に笑みがこぼれる。

 今さらに後ろから抱き着いてみたらどうなるんだろう、という好奇心がニョキッと生えてきたけど、美愛の身体のためにもさすがにやめておいた。

 そんなにドキドキして美愛は今夜眠れるのかな、と思いつつも「わかった、おやすみ」と声をかけると、私は幸せな気持ちを抱きながら、先に目を閉じるのだった。

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