『良かったら、友達にならない?』

「そろそろお風呂入っちゃいなさい――あら?」


 そう声をかけにバルコニーにやってきた母の声で、私は慌てて美愛みあから身体を離した。

 私はできるだけ平常心を保っていつも通りの声のつもりで、


「……み、美愛、先に入ってきたら?」


 と言ったのだけど、美愛と抱きしめ合っている姿を母に見られたという気恥ずかしさで声が上ずってしまった。


「……じゃ、じゃあ、先に入らせてもらうね?」

「う、うん、いってらっしゃい」


 動揺したのか、美愛も美愛で声が震えてしまっていた。

 美愛は慌てた様子で立ち上がると、部屋に置いてある荷物からお風呂セットを取り出して、足早に家の中へと消えていった。


 私と一緒にその背中を見送った母は、私に胡乱うろんな目を向けると、


「……別に、お母さんはアンタたちがどんな関係でも、とやかく言うつもりはないけど――」


 その言い方、絶対に勘違いしてる。私と美愛がデキてる、って。

 抱きしめ合ってたんだから、そう思うのも無理ないかもしれないけど。というか、お互いの家でしょっちゅうお泊りしてるせいで、普段からそういう疑いの目を持たれてはいるんだけど。


「――避妊だけはちゃんとしなさいよ?」

「ぶっ⁉ お、女同士! 女同士だから私たち!」


 続いた母の言葉に、私は顔が真っ赤になるのを自覚しながら言った。何を言ってるんだこの母親は。単為生殖できる生物じゃないんだよ、人間は。

 そもそも、私と美愛は親友なだけ。そこに恋愛感情はない……はず……たぶん……いや、でも美愛は……。


「美愛ちゃんがあがったら、佳奈かなもお風呂入りなさいよ」と言い残して、母は去ろうとして――私はその背中を呼び止めた。


「あっ、ねぇ、お母さん。もしかしてだけど、美愛のお母さんから美愛のことってなにか聞いてる?」

「……えぇ、まぁね。なにがあったかくらいは」

「そっか……いつもありがとね、お母さん」

「それで美愛ちゃんや向こうの親御さんが安心してくれるなら、なんてことはないわよ」


 今度こそ母は去っていき、私は一人バルコニーに取り残された。

 椅子へ沈むように座って、ぼーっと夜空を見上げる。


 まさか、美愛にそんな過去があるなんて思わなかった。

 美愛は私の前ではいつも、明るくて、元気で、かわいい女の子だったから。


 美愛の過去に驚くと同時に、そんな美愛が私に声をかけてきた、という事実に胸が熱くなる。

 仲が良かった楠葉くすはという友達をいきなり失くして、友達だと思っていた相手からは嫌われて。

 前の学校でそんな状態だった美愛が自分から声をかけるには、どれほどの勇気が必要だったのだろう。


 当時の私は、クラスメイトとのいざこざ――クラスの中心人物だった女子の彼氏をった盗らないのしょーもないこと。もちろん、盗ってない。その彼氏が彼女がいるくせに私のことを一方的に好きになった挙句、私のことが好きになったから、とバカ正直に彼女に伝えて別れようとしたせいだ――により、クラス内で孤立していた。男子からも女子からも。

 クラスの中心人物を敵に回すということはそういうことだった。敵に回した覚えはないんだけど、いつの間にか勝手に回られていた。


 もともと私は一人でいる方が気楽な性質たちだったし、余計なおしゃべりに付き合わなくていい分、受験が近いこともあり勉強に費やせる時間が増えてラッキー、くらいにしか最初のうちは思っていなかった。

 普通ならいじめに発展していたかもしれない。でも、受験が近かったおかげでみんなそれどころじゃなくて、せいぜいクラス内で無視される程度で済んでいた。無視も立派ないじめだと、今では思うけど。


 ただ、それでもやっぱり。

 ずっと無視が続けば、たとえ自分では平気だと思っていても、心のダメ―ジは蓄積していく。クラスメイトからの無視は、徐々に私の心をむしばんでいった。


 一ヶ月経つ頃には朝、起きるのが辛くなった。学校へ行くのが億劫おっくうになった。

 でも、親に学校で無視をされている、なんて言えなくて、表面上は取りつくろって学校に通っていた。無視を続けるクラスメイトに弱っているところを見せたくなくて、学校でも平気そうな顔をしていた。

 だから他の人から見れば大丈夫そうに見えたかもしれないけど、内心では限界が近かったように思う。


 そんなときだった、美愛が転校してきたのは。


 初めは美愛に興味なんてなかった。

 どうせすぐクラスの女子のグループに取り込まれて、他の女子と同じように私のことを無視するようになる、と思っていたから。


 けれど、隣の席になった美愛は、私と同じようにクラスからあぶれて――私に声をかけてきた。

『良かったら、友達にならない?』って。


 最初、私は首を横に振った。

 だって、私と関わったら美愛まで無視の対象にされてしまうと思ったから。

 それでも美愛はまた声をかけてくれて――私と美愛は友達になった。


 当時の美愛の心境を想うと、胸が痛む。

 前の学校で、美愛は何も悪くないのに、親友と呼べる相手がいなくなって、友達だったはずの女子からは嫌われて。その心は傷ついていたはず。

 だからきっと、転校してきたときにわざと友達を作らなかったんだ。


 それなのに、どうして美愛は私に声をかけてくれたんだろう。

 同情? それともたまたま隣の席だったから?


 ただ、理由がなんであれ、美愛が声をかけてくれたおかげで、私は救われた。

 学校に行くのが億劫じゃなくなった。友達が一人いるだけで、他の誰かから無視されてもなんとも思わなくなった。

 そのことは、感謝してもしきれない。


 今では、美愛と離れることなんて考えられない。

 美愛にかれるまでもなく、いなくなったりしない。できない、と言った方が正しいかもしれない。

 美愛の過去を聞いても――いや、聞いたからこそ、余計にそう思う。


 だって、美愛と一緒にいると楽しいから。

 そういえば、以前、仲良くなったばかりの頃、美愛に『どうして一緒にいてくれるのか』って訊いたとき『佳奈ちゃんと一緒にいると楽しいから』って言ってくれたっけ。


 ――これからも、美愛と一緒に楽しい時間が過ごせますように。 


 美愛がお風呂からあがってくるのを、私は夜空を見上げながら待つのだった。



  *    *    *    *


 お風呂に入れるのは、バルコニーでのキャンプならでは、って感じがする。


 湯舟に口まで浸かって、ぶくぶく、とあたしは泡を立てる。

 汚いけれど、ついついやってしまう、小さい頃からの癖。

 やってしまうのは、考えごとをしているときや、嫌なことがあったとき。 

 今のぶくぶくは考えごとのぶくぶく。


 ――転校した頃のことを思い出す。


 転校したあたしは、もう友達なんていらない、と思った。

 また、あんな目にうのは――連絡が取れなくなって急にいなくなられたり、それまで仲良くしていたはずの友達に、ある日突然嫌われて無視されるようなことになるのは――もうこりごりだった。

 友達がいなかったら、そんなことは起こらない。


 だから、転校した先の学校でクラスメイトが話しかけてきても、最低限の受け答えしかしなかった。

 そしてそのうち『つまらないやつ』というレッテルを貼られて、思った通りに友達もできず、あたしはクラスからあぶれた。


 だけどやっぱり、これまで友達に囲まれて過ごしてきたあたしに、一人は辛かった。

 これからずっと一人なのか、と思うと心が折れそうだった。でも、前の学校のことがトラウマになっていて、友達を作ることもできなかった。


 そんなときだった。クラスに同じく、あぶれた女の子――佳奈ちゃんがいることに気が付いたのは。

 毎日暗い顔をしていたあたしと違って、佳奈ちゃんはクラス内で孤立しているというのに平気そうな顔をしていた。


 けれど、平気『そう』な顔だった。

 隣の席にいて、することもないからとずっと佳奈ちゃんを見ていたあたしには、それがやせ我慢だということに気が付いた。

 あぶれたとはいえ積極的に話しかけられないだけで、クラスメイトから無視はされてないあたしと違って、佳奈ちゃんは完全に無視をされてたから。クラスでいない子として扱われてた。 

 そんなの、耐えられるわけない。だって、あたしは知ってる。それがどれだけ辛いことか。


 だから、あたしは勇気を振り絞って声をかけた。

『良かったら、友達にならない?』って。

 このままだったら、きっと佳奈ちゃんはあたしと同じようになってしまうと思ったから。


 友達をまた作ろうとするのは怖かった。

 また突然いなくなったら。また突然嫌われたら。そう思うと怖くて仕方がなかった。


 でも――相手もクラスから孤立してて、あたしを失えばまた一人ぼっちになる。だから、あたしの前からいなくなったりしないし、あたしを裏切れないはず――なんていう、最低の打算があったおかげで、どうにか声をかけることができた。

 こんなこと、佳奈ちゃんには到底言えないことだけど。

 一度、佳奈ちゃんに『どうして一緒にいてくれるのか』と訊かれたときに『佳奈ちゃんといると楽しいから』なんて誤魔化した覚えがある。

 その気持ちは嘘じゃなかった。嘘じゃなかったけど、その頃はそういう気持ちよりも打算の方が強かった。

 今はもちろん『一緒にいると楽しいから』だし『佳奈ちゃんのことが好きだから』だけど。


 最初に声をかけたとき、佳奈ちゃんは首を横に振ったっけ。

『私と関わると、あなたまで無視されるようになる』って。


 でも、どうせすでにあぶれていたし、構わなかった。

 佳奈ちゃんの言葉通りあたしも無視されるようになってしまったけど、でも佳奈ちゃんがいてくれたから、平気だった。

 そうして、あたしは佳奈ちゃんと二人で過ごすようになって――佳奈ちゃんは学校に行けなくなったあたしのようにならずに済んだ。


 佳奈ちゃんはあたしが自分を救ってくれた、と思っているようだけど、本当は違う。

 救ってもらったのはあたしの方だ。

 佳奈ちゃんがいなかったら、友達がいないのに耐えられないくせに、でもトラウマで友達が作るのが怖いというあたしは、きっとどこかでまた学校へ行けなくなってたと思う。


 ――ぶくぶくぶく、と浴槽よくそうのお湯をまだ泡立ててしまう。

 よそ様の家のお風呂なのに、やめられない。


 今のあたしがあるのは佳奈ちゃんのおかげだ。

 だから、好きになるのは当然だった。

 好き、といっても友達としての『好き』ではなくて恋愛対象としての『好き』だけど。ライクじゃなくてラヴ。高校に入ってから自覚した恋心。


 できれば、佳奈ちゃんと恋人になりたい。

 でも、佳奈ちゃんがあたしのことをそういう目で見てないことはわかってる。

 佳奈ちゃんの中では、さっき本人も言っていた通り、あくまであたしは『親友』だ。

 きっと、このまま一緒に過ごしていっても、恋人になれない。


 あたしが佳奈ちゃんと恋人になるためには、あたしのことをそういう目で見てもらう必要がある。

 そのためには、あたしの気持ちを打ち明けなきゃならない。

 佳奈ちゃんを恋愛対象として見てるよ、って伝えなくちゃいけない。


 今までだったら、そんなことを伝えてしまったら佳奈ちゃんが離れていく気がして、怖くて伝えられなかった。

 でも佳奈ちゃんは言ってくれた。

『何があっても、あたしの前からいなくならない』って。


「――よし、決めた」


 告白しよう。

 あたしは決意を固めて浴槽から出た。


 ぶくぶくしながら考えごとをしすぎたせいで、ちょっとのぼせてた。

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