人鳥温泉街のバレンタイン
高橋志歩
人鳥温泉街のバレンタイン
吹く風は冷たいが、青空が広がる2月14日の朝。
その日、
月や火星に人類が移住したり、隣の星雲や銀河系と巨大宇宙船で行き来する世紀になっても、バレンタインの日の重要性は変わらない。
あちこちに「バレンタインデー特別入湯サービス!」のピンク色の幟がひるがえっている。午後にはバレンタインのイベントとして、人鳥神社で「バレンタインの愛の鐘」が高らかに鳴らされる予定だ。
そんな、普段よりちょっと賑やかな人鳥温泉街の中央通りを、一匹のペンギンがテトテトと歩いていた。この人鳥温泉街のマスコットペンギンの大福だ。色が白と黒で大福餅に似ているというものすごく単純な理由で、和菓子屋の職人に大福と呼ばれ、そのまま何となく定着してしまった。妙な名前ではあるけど、本人は別に気にしていない。
ペンギンの大福はいつも人鳥温泉街の中を気ままに歩き回り、夜は一番大きな温泉旅館「
そんな大福が、ふとオープンテラスの椅子に座っている男性と目が合った。
「全宇宙征服連盟」地球日本担当のエーテル所長だった。大福は肩書きなんぞは知らないけど、所長とは顔馴染だった。何といっても所長はこの人鳥温泉街の重要人物なのだ。
「おお、大福ではないか。寒くないのか? いやペンギンは寒冷地の動物であったか」
大福は所長のそばに歩いて近寄ってから、羽をパタパタさせて挨拶した。誰にでも愛想は良くした方がいい。
「ところで大福、君はバレンタインという行事をどう思う?」
所長が尋ね、大福は首をひねった。首は無いけれど。人間の行事は、ペンギンには関係ない。
「私は先月初めて知ったのだがな。毎年2月14日は、女性が男性にチョコレートを贈り好意を示す日だと! 既に起源も由来も何もかも曖昧になっている遥か大昔の行事、しかも日本のみで生き残っている行事! なのに毎年毎年盛り上がるそうではないか。そして人鳥温泉街も例外ではない。何がバレンタインの愛の鐘、だ。くだらん。しかし私は鐘を鳴らす役目を頼まれている。全く」
所長はぶつぶつ文句を言いながら、コーヒーを飲んだ。大福は羽で所長の顔を指差した。
「え、私か? 私はもちろんチョコレートなぞいらぬ。地球の日本限定の行事なぞ、私には関係ないからな……秘書たちは地球の日本生まれだが……いややっぱり関係ないな、うん」
大福は所長の渋い顔を見て考えた。
エーテル所長が地球の日本に赴任してきたのは去年の3月の終わりだ。だから彼にとって、今回が初めてのバレンタインとなる。
所長は、チョコレートが欲しいのだ。
でも貰えないから拗ねているのだ。
多分、所内ではチョコ―レトのやり取りが行われているのに、自分には誰もくれない状況なのだろう。
高級なスーツに身を包んでいるそこそこ偉い人なのに、チョコレートが貰えないので不貞腐れている。放っておいてもいいけど、所長は人鳥温泉街の重要人物だ。機嫌が良くなってもらわないと。午後にはイベントもあるのだ。
大福はよし、と思いついてテトテトと歩いてオープンテラスから去った。所長は横目で見ただけで別に引き留めはしなかった。
大福は、温泉街の人気ケーキ屋「スチームライジング」の店にテトテトと入り込み、店頭に積まれている様々な「バレンタインチョコレート」に向かって羽をバタバタ振った。
元気な店主が笑顔になった。
「おや大福。バレンタインチョコレートが欲しいの? ふーん、いいよ。今日は色んな人にあげたら喜ばれる日だからね、個包装の小ぶりな奴をたくさん渡しておくね。日持ちもするから。はいはい、お代は雲雲温泉館さんに請求しておくね」
店主が、紙袋に小さなチョコレートの包みをたくさん入れて手渡してくれた。キラキラ光る包みは、なるほど人間に喜ばれそうだ。
大福は、またテトテトと歩いてオープンテラスに戻ったけど、所長は既にいなかった。ちょっと残念に思っていると、カップを片付ける店員が声をかけてきた。
「大福、どうした? 所長さんは、呼び出しがあってさっき帰ったよ。忙しいよな、あの人も」
呼び出しなら仕方ないな。その時大福は、ふと思いついて紙袋からチョコレートの包みを一つ取り出し、店員に差し出した。
「うわあ、チョコ―レト! いいの? うわあ嬉しいなありがとう」
チョコレートを受け取って喜ぶ店員の姿を見て、大福は少し驚いた。そうか、人間はそんなにチョコレートを貰うと嬉しいのか。
それから大福は、人鳥温泉街をテトテトと歩き回り、顔馴染の人間たちにチョコレートを配って歩いた。男性も女性も、みんな笑顔になって喜んでくれる。雲雲温泉館の番頭は「義理チョコでも嬉しいよ」と言ってくれた。別に義理じゃないんだけどな、と大福は思ったけどペンギンだから黙っていた。喜んでもらえればそれでいいのだ。
エーテル所長に一番あげたかったのに、温泉街ではもう出会えなかった。忙しいのだろう。さすがに全宇宙征服連盟の事務所には入る事は出来ない。来年は忘れずに早い時間にあげよう、と大福は思った。
チョコレートを全て渡し終わり、大福はテットテットと石段を登り人鳥神社に向かった。マスコットペンギンとして、イベントに訪れた客に愛想を振りまかなければいけない。
イベント準備中の境内に向かうと、そこにエーテル所長が立っていた。もうチョコレートは無くなってしまったけど大福は所長に近づいた。すると、所長が満面の笑みで大福を見た。
「おお大福! イベントが始まったら頑張ってくれ。実はな、さっき所に戻ったら第1秘書と第2秘書と第3秘書、3人揃って私にチョコレートの箱を手渡してくれたんだよ。役職が一番上だから渡すのが最後になったそうだ。やれやれ、面倒な事だな全く。まあ私も甘い菓子は嫌いじゃないし、チョコレートの成分は頭をはっきりさせるしな」
機嫌良く喋る所長を見て、大福はああ良かったと思った。
自分はあげられなかったけど、所長が喜んでいるからそれでいいのだ。
2月14日のバレンタインという行事はやっぱり良くわからないけど、でも来年も皆にチョコレートを配ろう、もちろん所長にも。と高らかに人鳥温泉街に鳴り響く、エーテル所長が打ち鳴らす鐘の音を聞きながら、ペンギンの大福は心に決めた。
人鳥温泉街のバレンタイン 高橋志歩 @sasacat11
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます