消えた神稚児の行方


 三週間ほど過ぎた頃、遺体は警察による検視の結果、六から八歳前後の子どもの遺体だと断定された。また、遺体が着ていた着物や珊瑚の冠は、神稚児祭りで使用されている物と形状が酷似しているため、同じ物であることはほぼ間違いないという。

 ただ、かなり古い遺体の為に損傷が激しく、泡足の証言、遺体状況や、僅かに残っていた皮膚の断片から検出された細かい裂傷などの証拠から、犯罪性は立証できたとしても、捜査までは難しいだろう。という見立てだった。

「でも、そうはいっても、殺人でしょう。なんとかなりませんか」

「残念ですが、犯人が自供でもしない限り、これ以上は……」

「それならせめて、いつ頃沈められた物だとか」

 食い下がる俺に、担当した警察官は首を振った。

「時期については全く不明です。大抵、水死体は一度沈んで浮かんできたところを発見されるケースが多いので、あれほど酷く損壊するまで見つからなかったというのは、稀なケースなんです。少なくとも、一年や二年なんて短期間の物ではありません。我々としても歯痒い事件ではありますが、まず、捜査は難しいでしょう」

「あの遺体はどうなるんです?」

「本来でしたら親権者などにお引き渡しするのですが、泡島神社の神主さんが引き受けてくださるとのことでしたので、お任せしました。手厚く弔ってくださるでしょうから、安心してください」

 警察の聴取を終えた俺は、覚束ない足取りで駐車場に向かい、軽トラックに乗り込んだ。運転席に腰かけても、座っている実感がない。まるで骨と皮だけを残して、全身の肉が泡に変わってしまったかのようだ。思ったように力が伝わらず、しばらく、運転する気にはなれなかった。

 ようやくハンドルを握り、駐車場を出る。家に向かって車を走らせながら、俺はいつも海方向に曲がる三叉路を、山方向に曲がった。泡島神社分社前のバス停を横切り、社務所に向かう。

 泡島神社の分社は、バス停から続く未舗装の細い一本道を更に山奥へ進んだところにある。ちょうど山の中腹になるだろうか。古い木造の平屋造りで建てられた社務所の裏山からは、海が一望でき、沖に浮かぶ泡島と夕日、海沿いに並んだ民家と漁船の明かりが物悲しくも美しい。と、素人カメラマンが絶賛していた。

 俺は社務所の前に駐車されたアウディの隣に車を停める。

「泡足さん。おぉい、いるかい」

 社務所の扉越しに声を掛けると、目の下を青紫色に染めた泡足が顔を出した。その微笑みは弱々しい。案内されて中に入ると、廊下から部屋、床一面、足の踏み場もないほど夥しい量の古い神稚児祭りの写真が並べられていた。

 泡足は写真を手で除けながら、恥ずかしそうに笑っている。

「散らかしていて、すみません」

 案内された客間も、写真で床が埋もれている。辛うじて、椅子と、冊子が山積みにされた机だけが無事だった。

 俺は写真を拾いつつ、首を横に振った。

「気にしないさ。しかし、これ全部神稚児祭りの写真かい? とんでもない量だな」

「ええ。全部、私が先代たちから受け継いだ物です。何か用でしたか」

「ああ、うん。いや、あんな事があったから、ちょっと不安になっちまって……。ヤクザ者の仕業ですかね」

「だとしたら、あそこに沈んでいたのは神主であるべきでしょう。神稚児を狙う理由があったとしても、あんなことをするほど強い動機はないはずです」

 俺は首を縦に振る。泡足が言う通りだ。彼は続けて、溜め息を吐いた。

「それにしても……。想像していたことが、すでに起こっていたかもしれないとは」

 おもむろに、泡足が懐から一枚の写真を取り出し、机の上へ置いた。覗いてみると、それはまだカラー写真なんてない頃の白黒写真だった。神稚児の衣装に身を包んだ子どもと、その両親が、澄ました顔で並んでいる。

 泡足は写真の上で拳を握った。

「写真として遺されている、一番古い物です。恐らくは明治、写真機が広く知られてから撮られた物だと思います。実は、これら神稚児の写真に、生前のあの子が写っていないかと思いまして……」

「そういう事か。だが、もし写っていたとして、どうやって見分ければいい。こういっちゃ、あれだが、骸骨だぞ」

 泡足は部屋の隅を指さした。衣桁に掛けられた錦の着物は、先日、華恵が着ていた衣装だ。彼は着物ではなく、衿の裏を見ろ。と、続けて言った。

「首筋の所に、護符が縫い付けられているでしょう?」

 俺は腰を屈めて護符を見た。一寸五分(約四,五センチメートル)四方ほどの布切れに、金の糸で刺繍が施されている。なんの模様か分からないが、ありがたい物なのだろう。

「お祭りの時、毎回、必ず付け替える物です。それは手作業で刺繍を施していますから、こうして並べてみると、全部微妙に違うのが分かります。ですから、これと似た物が見つかれば、その子があの遺体であった可能性は高い」

 泡足は言いながら、神稚児祭りの写真と、遺品から取り外して洗った護符の写真を並べてみせる。神稚児の衿を狙って撮った写真なんてあるはずがない。ちらりと写り込んだレベルで、点眼鏡で覗かないと護符の模様まで見分けるのは不可能だ。

 しかし、確かに比べてみると微妙に違っているのが分かる。模様の幅、間隔の具合、弧を描いているか、角になっているか。など、どれも特徴的ではあった。

「俺の代の写真はないのか」

「今の所、護符が写っている物は見つかっていませんね」

 俺は顔から点眼鏡を遠ざけ、眉間を揉んだ。

「気の遠くなる話だな……。もう過ぎたことじゃないか。そう熱心にならなくても良いんじゃないか?」

「私も最初はそう思いましたよ。ですが、網代さん。お尋ねしますが、あなたはこれまでに、何人の神稚児がいなくなったと思いますか?」

「そりゃあ、どういう意味だ」

「つまり、まだ他にも遺体が沈んでいるかもしれない。という事です」

 泡足は指先で冊子を突き、頁を開いた。

「これは先代たちが遺した社務記……。日記と業務報告の間ですかね。正式な日報では無く、祖霊舎の奥に保管されていたものです」

 泡足が指さした頁を見ても、俺には書かれた文字が読めなかった。だが、泡足は気にせず続ける。

「神稚児祭りは第二次世界大戦時に延期され、それ以外は毎年開催されていたようです。隔年開催になったのは四九年前。要約しますが、ここに『神稚児が中毒死に見舞われた為、話し合いの結果、神稚児祭りは以降七年ごと執り行うことになった』と、書かれています。見た限り、この時までに事故があったと窺わせる記述は一つも見つかりませんでした」

「じゃあ、あの遺体は四十九年前の物だってことかい?」

「いいえ。それは違います。神稚児は中毒で死んだと明言されています。その後、遺体を埋葬したことも記録されている。この時の神主は祭りの廃止を訴えたそうですが、村民の要望に圧された末、隔年開催にし、翌年亡くなっています」

 泡足は俯き、頁の文字をなぞった。

「この時は、四十七人の子ども達が参加したようです。私が彼と同じ立場だったら、尋常ではないストレスに晒されて狂っていたでしょう。それでも逃げ出さず、話し合いで隔年開催にした。凄まじい功績です。私は彼を尊敬している。彼の名誉にかけて誓いますが、あの遺体は、この時の神稚児ではありません。あるはずがない。証拠は、まだ、見つかっていませんが、きっとこの中にあるはずです」

 俺は驚き、後悔した。四十七人というと、今の三倍以上の数だ。見守るだけでも大変なのに、初めて事故を起こしてしまったとなったら、いったいどれほど酷いバッシングを受けるか想像もつかない。

「そうだな……。そりゃあ、悪いことを言っちまった。申し訳ない」

 だが、ふと気づく。事故があった後、神主は神稚児祭りを廃止したかったが、村民は存続を望んだ。泡足の説明は、何かおかしい気がする。大概、そういう事故が起こった時には保護者側から廃止しろと声を上げるはずだ。そうじゃないとしたら、事故に遭った子の親が、どうして存続を望むのだろうか。

 子どもが危険に晒されて喜ぶ親の神経を想像し、眉間に皺が寄る。

 歪な支配的愛情。勘違いした教育法。ストレスで麻痺した感覚。食い扶持の確保。不貞の子。成長する子に対して、衰えていく自分。それこそ理由はごまんとある。どれもくだらない。だが、ありそうな話だ。

 泡足が神主に感情を寄せるのは当然だろう。ただ、俺には当時の村民、神主、どちらの感覚も理解出来ない。俺が口を閉ざすと、泡足は気を取り直したように古びた冊子を脇へ押しやり、恐ろしい事実を告げた。

「構いません。あなたには縁遠い話ですから。しかし、ここからはあなたも関係者です。重要な事です。良いですか? 四十二年前の神稚児祭りから、今日までの記録を確認しましたが、神稚児は全員行方不明になっています」

「は? 全員だって?」

「ええ。私も驚きました。七年前の子と、あなたの娘さんを除いて、全員です」

 泡足が冊子の表紙を叩く。

「神隠しに遭い、行方不明。詳細には触られていません」

 泡足は両手で顔を覆いながら、物騒な事を呟いた。

「神隠しなんて非現実的な空想に過ぎない。ろくに引き継ぎ出来なかったことが、今になって悔やまれます。生きている間に話を聞いていれば、爪を剥ぎ取ってでも吐かせたのに」

 冷たい溜め息に背筋が凍り付く。舌まで凍りつかなかったのが幸いだ。

「二人除いて四十二年前からって言うと……。四人?」

 泡足は小さく頷き、ぽつり。と、呟いた。

「ええ。少なくとも四人です」

「少なくともっていうのは、どういうこった?」

 泡足は緩く首を横に振り、点眼鏡を手に取った。

「相手は日記にさえ真実を書こうとしなかった悪党です。罪の意識さえ感じていなかったか、無垢に神隠しの仕業だと信じる強い根拠があったか。あるいは、島に渡った神稚児が帰らないのは、誰もが知る公然の秘密だったのかもしれません。いずれにせよ。あなたを含め、くちなし村では無意識に人々の記憶を書き換えようとする何かが働いています。過去、一度も事故の記録が残されていないとしても、本当に無かったとは言えません」

 俺は海底に沈んだ岩礁の数を把握しようとし、無為な事だと首を振る。そうじゃない。やるべきことは他にあった。

「俺にも手伝えることがあるだろう」

 泡足の神稚児探しを手伝おうと願い出た俺に、彼は感謝を述べつつ手を振った。

「ありがとうございます。あなたはそう言ってくれると思いました。私はこちらで手一杯ですから、助かります。では、一つ頼まれてください」

「おう、任せてくれ」

 胸を叩くと、泡足は僅かに苦笑した。

「神稚児の家族を見つけて、話を聞いてきてください。もし、くちなし村にいないようでしたら、お手数ですが直接おうかがいし、その様子を写真やボイスレコーダーなどで記録していただけると助かります」

 記録。そう言われて、俺は些か気分が悪くなった。暗に、俺の事を信用していない。と、そう言われたように感じたからだ。だが、即座に顎を振る。泡足の判断は正しい。自分自身、会って話をしてきただけでは、本当に会ったのか、本当に彼らと会話をしたのか、それを語って聞かせる自信がなかった。

「分かった。だけど、そんな洒落た道具は持っていない。あったら貸してくれないか?」

「もちろん。お貸しします」

 泡足は作業机の引き出しに手を掛けると、そこからデジタルカメラとボイスレコーダーを取り出した。

「ご家族を見つけたら、自治会長が地方活性のヒントを探しているとでも説明して、当時のお祭りやその後の様子についてお話を聞いてください。ちょうどいい機会です。あえて、はっきりと言っておきましょう。あなたは口が悪い。ですから、あなたからは出来るだけ話をせず、ただ、相手のお話を聞くよう努めてください」

 感謝しつつ受け取った俺は、二つを手に持ったまましばらく立ち尽くしてしまう。そして、集中して作業を進める泡足に、恐る恐る聞いた。

「泡足さん。その、集中している所で悪いんだが……。これ、どうやって使えばいい?」

 泡足が顔を上げる。その表情は呆気に取られており、俺は慌てて口を開いた。

「あ、いや、すまん。説明書だけ貸してくれれば、自分で何とかするよ」

 泡足はふと鼻息を吹き出し、柔和に微笑んだ。

「それくらい、大した手間ではありません」

 俺は泡足からそれぞれ一通りの使い方を教わり、溜め息を吐き出した。

「良い時代になったなぁ。こんなに簡単なことだったのか」

 感慨深くデジタルカメラを撫でていると、泡足は可笑しそうに歯を見せて笑った。


 社務所を後にした俺は、早速、隣近所を訪ねて回った。神稚児の家族を知らないかと聞く俺に、空き家隣の亭主は首を傾げる。

「そこの家だったら、嫁さんの実家で介護が必要になったって引っ越したじゃねぇか」

「嫁さんの実家ってどこだい」

「お前なぁ、馬鹿か。いくら隣近所だからっていっても、そんなことまで聞けるわけがねぇだろう。第一、そんな気にするようなことか?」

「知らねぇならそう言え。ったく、こっちは時間が惜しいんだ」

 どこを訪ねても成果は芳しくない。そうして何軒か回っていると、緩やかな坂道の下から広瀬が上ってきた。首からストラップで提げた一眼レフカメラが揺れている。膝を押しながら坂道を上って来る彼女に向かって、俺は手を振り挨拶した。

「よぉ。広瀬先生。こんな所でなにしてんだ。休みか?」

 広瀬は顔を上げて曖昧な微笑みを浮かべると、腰に手を当てて伸びをした。

「こんにちは、網代さん。ええ、今日はお休みです。役所の方にお願いされて、広報に使えそうな写真を撮っている所なんですよ」

「は? それ休みの先生にやらせることか? あの役所、阿呆しかいないのかよ」

 広瀬は曖昧に微笑んだまま、カメラを手に取ってみせる。

「担当者が、プロの方と回るより私に頼んだ方が早いって、連絡してきたんです。学生時代の先輩ですし、断われなくって。それに、私、写真部でしたから。気分転換がてらに出かけて来たんです」

 少し明るい声で笑い、ファインダーを覗き込む。パシャリ。と、悪戯っぽく呟いた彼女は、カメラを顔の前からどかした。

「網代さんも、カメラお好きなんですか?」

 俺はふと自分の手元に目をやり、泡足に借りたデジタルカメラを持ち上げた。

「いや、これは泡足さんからの借り物で。実は今、俺が七歳の頃、神稚児に選ばれた家族がどこに行ったか知っている人を探していてなぁ」

 言ってから、口を閉じる。俺が七歳の頃には、まだ生まれてもいない広瀬に言っても仕方のない事だったからだ。

 しかし、俯いた俺に向かって、広瀬は衝撃的な言葉を放った。

「その家族かは分かりませんけれど、神稚児の家族なら都市大学の近くに住んでいますよ」

 額を弾かれた様に顔が上がる。

「知っているのか?」

 広瀬は小首を傾げながら、こともなげに続けた。

「ええ、実家のことですから。両親が三十歳の時、くちなし村から引っ越したそうです」

「実家……。なんで、それをもっと早く教えてくれなかったんだ」

「だって、聞かれませんでしたから。あの……、網代さん? どうかしました?」

 放心する俺の瞳を、フラッシュが貫いた。


 広瀬を拝み倒し、家族を紹介して貰った俺は、彼女の家族と会う約束を交わした。突然の事にも関わらず、彼女の家族は気のいい人達で、明後日の昼過ぎに都市大学内のカフェテリアで会いましょう。と、話がまとまった。

 

 夕方。俺が簡単に一泊二日分の荷物を支度していると、華恵が呼びかけた。

「お父さん」

「ん?」

 俺は振り返り、ランドセルを背負ったまま佇む華恵に向かって首を傾げる。だが、華恵は硬く洋服の裾を握り、眉尻を下げて微笑んだ。

「おでかけ?」

「ああ。泡足さんに、お使いを頼まれてね。明日から二日間だけ、都市部へ行くんだ」

 華恵は、ふぅん。と、顎を持ち上げ、手を振った。

「きをつけてね」

「ありがとう。お土産、買ってくるよ」

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