推理 そして 未来へ

 泡足がポンツーの端に爪先を寄せ、プレジャーボートに顔を向けた。星明りで輝く白い顔の真ん中で、暗く沈んだ眼玉が忙しなく動いている。泡足は半分以上が海に沈んだロープを見つけると、手繰り寄せ、足元に叩き付けた。

 氷のように冷たい声が空気を凍り付かせる。

「一体、何の真似ですか?」

 俺は跨道に手で制され、エンジンを止めた。遠くで子ども達の歓声が上がる。

 泡足は一度、大きく深呼吸をしてから、繰り返し訊ねた。

「神事の途中で神稚児を攫うなんて、前代未聞です。一体、あなた達は何を考えているんですか」

 脱いだトップハットを胸に当て、跨道が答える。

「麻薬中毒者からこの子を守りたかっただけです。相手が子どもだとしても……。いや、子どもだからこそ、あの場にいたら何が起るか分かりません」

 中毒。俺は目を丸くした。跨道がポケットの奥から、萎れた葉っぱを一枚取り出してみせる。彼は続けた。

「これは大麻草です。繊維が丈夫なので、注連縄や麻袋などにも使われているメジャーな植物ですが、都市部ではすっかり、誤った使い方で有名になってしまいました」

 跨道が手招きすると、華恵は恐る恐ると近づいた。彼女は手が白くなるほど固く、着物の裾を握り締めている。

「怖い想いをさせて、ごめんね。でも、あのままだと、僕たちはとても危なかったんだ。この葉っぱを食べると、人間は一時間もすれば、虫になっちゃう。虫だから言葉も通じないし、相手が怖がっているからやめよう。とか、こんなことをしたら痛くて泣いちゃう。って事も、平気で出来ちゃうんだ。だから、あそこから離れなきゃいけなかったんだよ」

 華恵が顔を動かし、跨道、俺、そして、泡足を見比べる。彼女は小さく頷くと、風に掻き消されるほどか細く、うん。と、呟いた。

 跨道は表情を和らげて微笑みかけながら、わざとらしく手を合わせた。

「ありがとう。そうだ。この船、お部屋が付いているんだよ。小さい冷蔵庫もあってね。ジュースが入っているから、ゆっくり飲んでおいで」

 跨道に背中を押された華恵が、デッキに歩み寄る。俺は船室に通じる扉を開いて促すと、自分のポケットを弄り、取り出した葉を海に放り棄てた。

 泡足が震える拳を袖の中に隠す。だが、跨道の独白めいた推理は止まらない。

「白状すると、僕はこの村に来た時から、神稚児祭りを変なお祭りだと思っていました。七年に一度、数え七歳の子どもだけで執り行われる神事で、参加できる大人は神職者だけ。村の中だけでも解釈は錯綜しているし、参加したはずの人たちの記憶はあやふや。お祭りの後、神稚児がどこへ行ったかも分からない。その上、地域行事であるはずなのに学校の関心が低い。でも、御奉賛金が集まるくらい知名度は高い。おかしいことだらけです。とどめは、七年前中止になった理由」

「神稚児に選ばれた子が行方不明になった……」

 跨道はふと顔を動かし、頷いた。

「それです。泡足さんは、神稚児が逃げ出した。と、仰っていました。望月教授のノートにも遺されていますから、これは事実でしょう」

 潮風に煽られ、跨道が肩を震わせる。

「でも、それらは全て過去の話です。今、僕が知りたいことは、泡足さんが神稚児祭りの危険性をどのように認識していたのか。そして、この島で行われている大麻草の栽培が個人で行われているのか、組織的に行われているのか。という、未来に関わる問題だけです」

 泡足の唇が戦慄いた直後、膝から崩れ落ちる。袖口から鉈が滑り、海の中に沈んだ。彼はわっと大きく叫び、闇色に落ち窪んだ両目から大粒の涙を溢れさせて泣いた。

「ああ! こんな祭り、無くなってしまえば良かったのに! 十年前、親からこの地所を引き継いでからずっと、ずっと、私は神稚児祭りを廃止したかった。概要を知っただけで想像がついた。いつ事故が起こってもおかしくない。と! 常々恐怖を感じていました」

 俺は泣き喚く泡足に向かって、冷ややかに言った。

「それじゃあ、七年前の事故は幸運だったんじゃないか?」

 泡足が弾かれた様に顔を上げると、激しく首を横に振りながら答えた。

「幸運? あなたはなんて罰当たりなことを! あれは不運です。当時、私は廃止に出来ないかと、思いつく限りの手段を取っていました。それこそ、思いつく限りです。でも、うまくいきませんでした。廃止はおろか、延期や中止も出来そうにない。その時、望月教授から調査したいというお話が舞い込んできた。事故の保険として海外留学を使うというアイデアを閃いたのは、大学教授が来ると聞いたからです」

 俺に代わって、跨道が小首を傾げる。

「でも、あなたが留学させようとした学校は受け入れを停止していたはずです。保護者の方に、留学はできないと気づかれたんじゃ?」

「その点は、問題ありませんでした。元々、留学自体が架空の物で、学校に用意するようお渡しした資料も偽物です。万が一に備えて、分家の子を神稚児に選んでいましたし、事態はそれほど大事にならずに済むはずでしたが……。望月教授は、島に渡れば神稚児が命の危険に晒されると気づいたんでしょう。あなたと同じ様に、神稚児を保護しようとしました。もちろん、私に相談した上で、です。しかし、彼は神稚児とその家族にも、例大祭の秘密を語ってしまった。彼らは私に詰め寄りましたが、神事を任されている以上、表立って彼らの要求を呑むわけにもいきません。そこで、島に渡る前ならトイレに行く時間はあるでしょう。と、脱走を黙認したのですが……。それがまさか、あのような結果になってしまうなんて……」

 俺はパンフレットを思い出し、泡足に訊ねた。

「おい、泡足さん。それじゃあ、あんたは最初から海外留学させる気なんてなかったって言うのか。七年前も、今回も。俺たちに説明したのは、全部嘘だったって事か」

「嘘……。ええ。きっと、嘘になるのでしょう。何事もなく神事が済めば、留学先が受け入れを辞めたと説明し、帰すつもりでしたから。ですが、もしもの時。私はあなた達の為に言い訳を用意したかっただけです」

「ふざけんなよ、この馬鹿! 子どもの希望と親心を弄びやがって! 元をたどれば、お前がしょうもない嘘吐いたせいでこんな騒ぎになったんじゃねぇか!」

 唾を飛ばして怒鳴り返した俺を、跨道が手を挙げて制した。

「つまり、お祭りで神稚児が死ぬかもしれない。と、分かっていたんですね」

 泡足の首が、緩く縦に揺れる。

 俺はたまらず頭を掻きむしり、泡足に向かって脱いだ靴を投げつけた。

「イカレ野郎! お前も神様も葉っぱ食い過ぎて頭狂ったんじゃねぇか⁈」

「待って、お、落ちますよ⁈」

 俺はそこが船の上だと完全に忘れていた。跨道が身体を張って止めに入らなければ、泡足に掴みかかろうとして海に落ちていただろう。ひやりとした寒気にいくらか熱が下がった俺は、大人しくデッキに戻った。

 泡足が顔中皺だらけにして笑った拍子に、乾いた白粉の一部が剥がれ落ちる。ポンツーの隙間から零れ落ちた白粉の破片が、海に溶けていった。

 跨道は照れ笑いを浮かべると、鼻先を掻いて笑った。

「これはきっと、善意がすれ違いを起こしただけですよ。僕も含めてです。あなたは神稚児祭りの祈祷が危険な儀式だと知っていた。でも、神主の立場上お祭りは執り行わなければいけないし、真相を村の人達に説明する訳にもいかなかった。だから、万が一に備えて、妙な嘘を吐く事になってしまった。と、それだけじゃないですか」

 泡足は胸に手を当てて泣いた。

「ええ。ええ、まさにその通りです」

 跨道は微かに船室の方へ顔を動かしてから、泡足に訊ねる。

「あの子を選んだのは、候補だった子に何か問題が?」

「そこまで、知っていたんですね。いいえ、何か問題があったわけではありません。事前に保護者の方へお願いした子ではなく、網代さんの子を選んだのは、単に彼女の方が同調圧力に屈し難い性格をしていたからです。そういうのは時間をかけ、顔を見て話しをしなければ分からない部分ですから、声を掛ける相手を間違えてしまった。本当に、ご迷惑をおかけしました」

 俺は深く頭を下げた泡足に向かって手を振った。

「はぁ……。子ども達のあの様子を見た後じゃ、文句も何も言えねぇ。神稚児役まで葉っぱ食い出したら、目も当てられねぇわ」

「違いありません。それじゃあ……、もう一つの話をしましょう。大麻栽培は、泡足さんが一人で?」

 跨道が問いかけると、泡足は唇を噛み、白粉の付いた舌を動かした。

「栽培は、私が一人で管理しています。こういう風に言いたくはありませんが、麻薬産業という奴は、真面目に生きているのが馬鹿らしくなるほど儲かるんです。何度も、法外な値段でこの島ごと売って欲しいと、あらゆる奴らから言われました」

 俺は思わず、泡足に本音をぶつけた。

「さっさと売っちまえばよかったのに。そしたら、こんな祭りも廃止だ」

「麻薬目的で島を買いたいなんていう奴が、まともな訳ないでしょう。村を丸ごと、大真面目な顔して麻薬市場へ作り替える計画を持ってくるような連中に売れと?」

「でも、しっかり栽培は続けてるじゃねぇか」

「君という人は……。どこまで考え無しなんですか……。あの植物はそもそもそういう用途に使うものじゃない。悪党連中に島を売らず、皆を煩わせず、しかも神事に差しさわりのない量を確保しなければならない。お互いに納得できる線を引く為には、交渉の材料が必要なんです。だから栽培を続けていただけです」

 徐に、跨道が泡足に向かって手を振った。

「ここで大麻を栽培していると知っているのは」

「私とあなた達だけです。子ども達はこの島で過ごしたことを忘れてしまいますし、島は神社の所有ですから、人払いは万全にしています。もちろん、堅気の人は。ですが」

 ふと、俺の脳裏で悪魔が囁く。

(ここで二人が事故に遭ったら、全部俺の物に出来るんじゃないか?)

 恐ろしく魅力的な企みだ。だが、二人まとめて遭難させる計画が形になるよりも早く、跨道は行動を起こしていた。彼はロープを腕に巻き取りながら、泡足に問いかける。

「この島って、全部泡足さんの物なんですよね?」

「ええ、そうですが」

「じゃあ、観光客を呼びましょう」

 突拍子のない跨道の提案に、泡足はもちろん、俺も、大口を開けて息を吐いた。

「は。呼ぶって、どういうことですか?」

「この島を、ダイバー専用のリゾートアイランドにするんです。もちろん、大麻は絶やしてからですよ? 専用って所を大事にして、離島に、選ばれた自分たちだけという特別感を加えます。小さな宿泊所を用意すれば、それだけで充分機能するでしょう。冬は釣り船の中継地点として使って、頻繁に、とまではいかなくても、ある程度人が出入りする様になれば、後ろ暗い人達は離れていきますよ」

 泡足の表情が歪み、額の白粉が剥がれ落ちる。

「素晴らしいアイデアですが、私一人でリゾート経営なんてとても……」

 跨道は腕にかけたロープと、俺の顔を見比べながら微笑んだ。

「そこはきっと、何とかなります。器用な人には心当たりがありますから」

 泡足の背を押すように、俺に囁きかけた悪魔が隣の悪魔に尻尾を振る。

「なんだよ。俺に手伝えって言うのか? 持ち主でもないくせに、よく言うよ。お前に頼まれたって、やる訳ないだろが」

 泡足は躊躇いがちに足を動かした後、海水に両腕を浸して顔を洗った。憑き物が落ちたようにすっきりとした顔だ。彼の返事を聞いた跨道が、ロープを投げ渡した。

 海に散らばった白粉の塊が、星明りを移して瞬いている。

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