神稚児祭り

 泡足は提灯を持ち、島の奥、奥深くへと進んでいく。子ども達は神稚児を中心に輪になり続く。十一人の子ども達の内、四人が泡足と同じ提灯を持っていた。

 彼らは誰一人として、軽口一つ、溜め息一つも零さない。泡島に生い茂るビャクシンが艶やかな木目を晒しても、肩を震わせるだけで、決して悲鳴は上げなかった。

 泡足たちは拓けた場所まで行進すると、物置小屋から持ち出した樽桶に、ペットボトルの水を移し替えた。子ども達がそうしている間に、泡足は数人の子ども達と一緒に祝詞を唱えながら、生えていた草を摘み取り始める。かぐわしくそよぐ青臭い風に、提灯を持っていた子どもの一人が鼻を摘まんだ。

 祝詞がビャクシンの木々に吸い込まれていく。


「はをつみとるのはいかすため」

「はを つみとるのは いかすため」

「やみめつむのはすくうため」

「やみめ つむのは すくうため」

「たねをたつのはいかすため」

「たねを たつのは いかすため」

「さりとてたねではやくたたぬ」

「さりとて たねでは やくたたぬ」

「わかめつむのはなおやすし」

「わかめ つむのは なおやすし」

「はをつみとるのはいかすため……」


 泡足と子ども達は摘み取った葉を樽桶に投げ入れ、洗い始める。

 そして、洗い終えた葉を泡足がおもむろに摘まみ上げた。

「さあ皆。この葉を食べたらお祭りは終わりです。朝日が昇るまで遊んでも良いし、おしゃべりをしてもかまいません。私は君たちに、早く寝なさいと言いません。大声を出してはいけませんとも言いません。ここにいるのは私と、君たちだけです。遠慮なく、やりたいことをして過ごしてください。ただし。この葉は、今、皆さんが手に持っている分だけです。それ以上、食べてはいけませんよ」

 そう言い終わると、泡足は葉を頬張った。

 子ども達が泡足の真似をして葉を頬張る。だが、華恵が葉に手を伸ばすと、泡足はぴしゃりとその手を叩き落とした。

「神稚児様。あなたは特別な人です。あなたはその衣装を身に纏った時、彼らと全く別次元の存在になりました。あなたは特別な人なので、ヒキアシタヂカラヲノミコトが生涯の供として迎えます」

 泡足の言葉は難しく、華恵には理解できない。だが、彼女は一つだけ確かに理解した。

「わかったわ。わたしは とくべつだから、たべちゃだめなのね」

 泡足が微笑み、口角を持ち上げる。赤い月が、彼の顔に浮かび上がった。


 ビャクシンの枝から眼下を眺めていた俺は、神稚児祭りの正体を呆気なく思った。

 神稚児祭りは、子ども達が親に隠れて大騒ぎをする祭りだったのだ。言い換えれば、公然とストレスを発散する機会。開放的な気分に浸る課外授業みたいなものだろう。ならばさしずめ、泡足と神稚児は引率とクラス委員か。

「なんだよ。それならそうと言えばいいのに」

 俺はこの時、それ以上考えるのをやめていた。何もかもがまったく馬鹿らしい。

(帰るのは朝、下の連中が帰ってからにしよう)

 心に決めて、ぼんやりと騒ぎを見守った。


 それから、一時間ほど過ぎただろうか。下の騒ぎは収まる気配がない。それどころか、激しさを増す一方だ。子ども達は飽きもせず大声で歌い、遊び疲れたら樽桶に駆け寄り、葉を浸した水を手酌で飲んで、また騒ぎ出す。中には新たに葉を摘み取り、洗わず口の中へ放り込む者もいた。彼らはビャクシンの木を蹴り、打ち倒した葉で友達と叩き合い、捧げ物の旗を広げて走り回ったかと思えば、網で友だちを絡め取ろうとするなど、好き放題だ。

 そうして、子ども達が思い思い好き勝手に過ごしていると、ビャクシンの森を抜けて、跨道がやって来た。

 俺は微かに身を起こし、葉の隙間から跨道の様子を窺う。

 跨道の恰好は身軽だ。外套を脱ぎ、トップハットにカーディガン、手に持ったステッキには、懐中電灯が一本ぶら下がっているだけ。彼は明らかに困惑しながら、駆け抜ける子ども達を躱して泡足に近づいた。跨道は声を張り上げる。

「何の騒ぎですか」

 泡足の声は遠く、聞き取れない。跨道の声だけが聞こえる。

「これが? 僕には、大騒ぎしているようにしか見えません」

 子どもの一人が跨道の足に体当たりし、けらけらと笑いながら去って行く。鬼ごっこのつもりだろうか。子どもは手を叩き、跨道を煽っている様だった。

 跨道は遠ざかる子どもから顔を背け、樽桶に近づいていく。付かず離れず、泡足が跨道の後を追った。その時、月明かりに照らされた泡足の手の中で、何かが光った。白く光ったのは、白粉を塗った手じゃない。彼は袍の袖に、何かを忍ばせている。

 樽桶に手を伸ばしている跨道は、気づいていない。俺は咄嗟に、短い口笛を吹いた。

 刹那、泡足の動きが止まり、顔を上げる。跨道が樽桶に浸した葉を取り出しながら、ビャクシンの木を見上げて微笑んだ。跨道は葉をポケットに仕舞うと、ステッキを軽く振って肩に担いだ。ぶら下げられた懐中電灯が揺れる。

「ここじゃ眠れそうにないので、僕は。艀に、付けた船へ行きますね」

 跨道は来た道を戻りながら、神稚児の衣装を着た華恵に近づいた。膝を折ってしゃがみ、着物を指さしている。華恵が腕を広げて回ると、跨道は頷き、冠を指さした。

泡足の鋭い声が響く。

「いけません。神稚児様。冠を脱いではなりません」

「ごめんなさい。装飾が気になって、つい。この珊瑚、欠けているように見えたので」

「はぁ。神稚児様の冠に欠けなんてあるはずがないでしょう」

 跨道は華恵に向き直り、冠をまじまじ見つめながら、懐中電灯を手に取った。

「いや、やっぱり欠けてる。ほら、ここ。ここです。よく見てくださいよ」

 溜め息を吐き、泡足が顔を上げた瞬間。

 懐中電灯の閃光が夜闇を切り裂いて消える。続けざま、跨道は樽桶を引き倒して提灯の火を消すと、怯える華恵を抱えて走り出した。

 華恵の悲鳴がビャクシンの木を震わせる。

「いや! はなして! はなして!」

 俺は荷物を放ってビャクシンの木から滑り降り、跨道の後を追った。追いかけっこと勘違いした子ども達が奇声を上げて追いかけてくる。膨らんだポケットの中身を捨てようとし、咄嗟に口笛を吹きつつ振りかぶった。

「よぉうしお前ら! これを見ろ! こいつを取ったら優勝だ!」

 海に向かって走る跨道とは逆方向。島の中心めがけて果物を放り投げると、子ども達は競うように走り去っていく。

 俺は華恵を抱えて走る跨道に追いつくと、その腕から華恵を引き離し、抱き締めた。

「華恵! お父さんだ、俺が付いているぞ」

「お父さん⁈ え、えっ。なに。どうして いるの?」

 立ち止まった俺の肩を、跨道が引っ張る。

「網代さん、ファインプレーです! でも、後にしてください!」

「お、う。そうだな。よし華恵。久しぶりにおんぶするか」

 華恵を背負い、俺は跨道の後を追った。

 一人になった途端、跨道は恐ろしいスピードでビャクシンの森を駆け抜けていく。人の歩ける道があるとはいえ、カーブの度、見失いそうになる。だが、見失いそうになる度に、揺れる懐中電灯の光が瞬いた。

 瞬く光に向かって叫ぶ。

「おい跨道! お前、祭りをぶち壊すような真似して、論文はどうした⁈」

 ビャクシンの向こうから、猫の鳴き声の様な笑いが木霊した。

「にゃはははっ。留年するから大丈夫ですよ!」

「はぁ⁈ お前、お前馬鹿か!」

「でしょうねぇ!」

 潮の香りが濃く漂う。視界が広がり、暗闇から濃藍色の世界に跳び出した。強い風が吹き、木製のポンツーが揺れている。

 すでに船に乗り込んだ跨道はポンツーに繋いだロープを握り、船尾の縁に足を掛けて踏ん張っていた。

 俺は華恵を背負ったまま勢いをつけ、船に跳び乗る。着地の瞬間、体勢を崩して膝から胸、顎までを打ったが、痛みは感じなかった。転げながらも華恵を庇ったのは、親心のなせる業だろう。

 跨道がロープを離した途端、船が潮に乗って動き出す。だが、錨が沈んでいるのか、遠くまでは流されない。波の上で揺れるだけだ。

 俺は刺しっぱなしにされていたキーを捻り、エンジンを回して振り返った。

「錨を」

 あげろ。と、叫びかけた口が閉じる。

 暗闇を切り裂き、真っ白な顔をした泡足が姿を見せた。

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