軽率
公民館に戻ると、同級生らが神稚児に選ばれた華恵を囲んで最後の祝詞を唱えていた。泡足の声に続いて、子ども達の声が響く。
「汝は夢。汝は炎」
「なんじはゆめ。なんじは ほのお」
「汝が花であるならば、我らは星になるだろう」
「なんじが はなで あるならば われらは ほしに なるだろう」
「我らは自ら輝き、汝を慰めん」
「われらは みずから かがやき なんじを なぐさめん」
「ヒキアシタヂカラヲノミコトが神稚児に」
「ヒキアシタヂカラヲノミコトが かみちごに」
それ以上、聞いていられなかった。
「やめろ! 華恵を返せ!」
俺は子ども達の輪を遮り、真ん中で正座していた華恵を抱き上げた。華恵はぼんやりと小首を傾げ、何が起っているのか分からないようだ。だが、構わずに走った。ヒステリックな妻の叫び、泡足の怒声、村民たちの困惑には耳を貸さず、俺は闇雲に走り、公民館から離れていく。とにかく、あの場にいられなかったのだ。
不意に、胸に抱き上げていた華恵が暴れ出す。腕を振って暴れる華恵を下ろすと、彼女は公民館に駆け戻ろうとした。引き留めても、彼女は嫌々と足やら腕やら首やら、全身を振り乱して抵抗する。
「お父さん、放して! だいじな儀式の とちゅうなのよ!」
「あんなものより、お前の方が大事に決まっているだろう! お父さんと逃げるんだ!」
「にげるってなに! なんでみんなからにげるの? みんな、お祝いしてくれているのに」
どう伝えればいい。どうすれば分かってもらえるだろう。だが、どれほど言葉を尽くしても、彼女には届かないように思われた。俺自身、何に怯えているのか分からないのだ。彼女に迫っている危険がどういうものか分かっていないのに、説明できるはずがない。
「くそっ! 考え無しが!」
悪態を吐き出している間に、村民たちが追いついてしまった。彼らは遠巻きに俺と華恵を取り囲んだ。そして、息を切らし、額に汗を滲ませて困惑しながらも、慰めようと手を差し伸べている。
彼らの後ろから、汗一つかいた様子のない泡足が現れた。
「網代さん。一体、どうしたというんですか」
「泡足さん……。それが、それは、俺が聞きたいくらいです。実を言うと、俺は当たり年の時の事をよく覚えていなくて」
「皆そうでしょう。私だって、自分が七歳の頃をほとんど覚えていませんよ」
「そういう事じゃないんですよ。俺は神稚児祭りに参加したらしい。写真だってある。でも、神稚児に選ばれた子がどういう子だったのか、祭りの後どうなったのか、ちゃんと知らないんです。誰か覚えていないか? 神稚児に選ばれたのはこんな子だった。あいつは今どこそこでこんな生活しているよって、教えてくれる人はいないか?」
村民たちが騒めいた。彼らの中に、僅かな動揺が広がる。だが、それは海に小石を投げ込んだ波紋よりもあっという間に消えていった。
「神稚児に選ばれるのは、その年で最も優れた子です。そして、彼らは泡島で儀式を終えた後、それぞれ新生活を送っています。今年の子は、海外の学校へ留学するんですよ。パンフレットをご覧になりませんでしたか?」
泡足が遅れてやって来た妻からパンフレットを借りて開く。情けない事だが、英語で書かれた文字をすぐに読み解けるほど、くちなし村の村民は勤勉じゃなかった。ましてや、電波の通じにくい土地だ。咄嗟に携帯電話のインターネット機能を使って情報を精査するほど、インターネットに馴染みがあるわけでもない。
俺は跨道が調べた事実を語ろうとし、口を閉じる。代わりに、七年前のことを尋ねた。
「泡足さん。あんた、七年前のことを覚えているか?」
泡足が眉根を寄せつつ、答える。
「あまり自信はありませんね」
「でも、これは自信を持って答えられるはずだ。七年前に選ばれた神稚児。確か、お分家さんの子だった」
「それは、ええ。覚えています」
「神稚児に選ばれたけれど、島に渡る直前、居なくなったよな。見つかったのは、死体になってからだった」
「可哀想なことです……。皆さんご存知でしょう」
「どうして居なくなったか、心当たりはないか?」
泡足は顔を伏せ、深呼吸をしてから静かに答えた。
「あの子は……神事が怖い。と、家族に零していたそうです。私は、あの子は逃げ出したのだろうと思っています。神事を執り行えなかったことは、残念でした。しかし、あの子が生きてさえいてくれればそれで良い。と、割り切っていましたから、あのような形で見つかり、本当に不幸な事故になってしまった」
泡足が嘘を吐いているようには思えない。俺はなお深く踏み込む。
「あの時も、神稚児は祭りの後に海外留学をする予定だったよな。あんたの紹介でだ」
「ええ。ですが状況が変わり、受け入れ先を変更しなければいけませんでした。ようやく受け入れが再開されたので、一安心です。網代さん、先ほどから貴方は何をそうピリピリと苛立っているんです?」
眉間に皺をよせ、不思議そうに首を傾げる。俺にはどうしても、胸の前で両手を広げた泡足が嘘を吐いているとは思えなかった。
俺はいくらか平静を取り戻し、大きく息を吐いた。
「すみません。まさか家の子が選ばれるとは思っていなかったので、動揺してしまったみたいで。本当にごめんなさい」
泡足は俺と華恵を見比べ、そっと彼女に手を差し出す。華恵は俺の横をすり抜けて、泡足の側へ駆け寄ると、彼の脚に隠れた。自分の父親を見つめる、つぶらな瞳が恐怖に揺れている。
華恵が泡足の脚に隠れると、彼は抑揚に子ども達の方へ華恵を案内してから、俺に向き直った。真っ白い顔の中で、赤々と染まった舌が動く。
「神聖な神事の邪魔をするなんて、とんでもない話です。到底、許せません。しかし、反省しているというのでしたら、三が日明けまで自宅で謹慎なさい。今年の神稚児祭りに、あなたは参加してはいけません」
「それはあんまりだ!」
泡足の宣告に食って掛かった。刹那、背筋を貫くような怒声が響き渡る。
「黙りなさい! これ以上私を煩わせるというのなら、あなたの妻も一緒に謹慎させますよ。娘の晴れ姿を両親とも見られなくても良い。そういうつもりでしたら、さあ。存分に騒ぎ立てるがいい!」
全身が竦み、足元から力が萎えていく。立っているのもつらいほどだ。俺はどうしようもなくなり、黙って首を縦に振った。泡足が大きく鼻息を吐き出し、華恵の肩を押して去って行く。
「これから忙しくなります。儀式の続きをしなければいけませんし、冠を調整するかつらを用意し、着物へ護符結いもしなければいけません。今夜は分社に泊まりなさい」
「わかりました」
華恵が頷き、泡足たちが公民館に引き返して行くのを、俺は顔を上げて確かめられなかった。
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