神稚児候補

 網代さんから跨道さんの案内を引き継いだ私――広瀬は、朝のホームルームで子ども達に彼を紹介した。

 十三人の子ども達は、はじめこそ大正モダンテイストな跨道さんのファッションに面食らっていたけれど、彼がトップハットと分厚い外套を脱ぎ、穏やかな口調で語り出すと、すっかり抵抗なく受け入れた様に見えた。きっと、彼が最初から自分の目的を話したからだろう。あるいは、まるで細かいガラス片を封入したマドラーのように華奢な雰囲気のせいかもしれない。

 自己紹介をそこそこにして、跨道さんは子ども達に微笑みかけた。

「跨道美果です。都市大学から『神稚児祭り』について調べに来ました。みんなが今年の主役だってね。どんなお祭りなの?」

 子ども達は一斉に語りだす。

「えど じだいから つづいている だいじなおまつり だって」

「は? おまえ なにいってんだよ かまくら じだいに みなもとのなんとか って、すごい人を たたえるために はじまったんだ」

「子どもだけで おとなは さんか できないんだよ!」

「すごく すごい 子どもを みんなで ほめたたたえるの。 おいのりをするんだって」

「ちがう ちがうよ! あわしまの神さまと いっしょに あそぶ おまつりなんだよ」

「神さまなんて いないって 僕たちの中から、神さまを みつける おまつりだって」

 私が彼らを鋭く諫めると、沈黙の中、一人の女子生徒が手を挙げる。華恵ちゃんだ。私が指名すると、彼女は真っすぐに伸ばした腕を下ろして立ち上がった。

「七年に一度、七さいの子どもたちの中から かみちごをえらぶおまつりです」

 跨道さんは大きく頷くと、お礼を言いながら黒板にチョークを走らせる。小気味よい音に続けて、彼は繰り返し句読点を打つように黒板を叩いた。

「ありがとう。神稚児はどうやって決めるの?」

「あわたりさんと おはなしするのと、たいりょくそくていの けっかで決まるの。その年で一番すごい子が えらばれるわ」

「基準はあるけれど、最後は泡足さんが決めるってことかな……。ほかにはどんなことがあるの?」

「じんじゃの あわたりさんが、ふねで あわしまに つれてってくれます」

「船に乗るんだ。楽しみ?」

「うぅん。お父さんがよく乗せてくれるから、あんまり。でも、きれいなふくは ちょっと着てみたいかな」

「綺麗な服! いいね。僕は着られないから、羨ましいなぁ」

「こどーさんの ふくも かっこいいよ」

 跨道さんは微かに顔を伏せたかと思うと、ぱっと華やぐように笑った。

「ありがとう。実は、褒められ慣れていないんだ。ちょっと照れちゃった」

 瞬間、私は妙な高揚感に包まれて困惑する。跨道さんの少し子どもっぽい笑顔が私に向けられた訳でも無いのに、いや、私に向けられなかったからだろうか。とにかく、困惑した。得体のしれない、そこが沼だと気づかず湿地帯に足を踏み入れたような感覚。無理に名前を付けようとすると、私の中に別の自分が生まれてしまうという確信。それだけが事実として感じられた。

 私は咄嗟に喉を震わせ、子ども達に呼びかける。

「ありがとう網代さん。さあ、ほかにお話ししたい子は? よし、健司さん」

 すかさず手を挙げた男子生徒を指名すると、彼は誇らしげに椅子を蹴って立ち上がった。

「おおみそかのよる から、お正月のあさまで しまにいるんだって!」

「え。子ども達だけで?」

「あんた、ばか いうなよ。かんぬしさんも いっしょに きまっているじゃないか」

 健司くんの溜め息に、私は眦を吊り上げた。

「健司さん! 相手にばかなんて言ってはいけません! 謝りなさい」

 鋭く叫んだ途端、健司くんは肩を丸くし、頭を下げた。

「ごめんなさい」

 跨道さんは眉尻を下げて手を振った。

「分かってくれれば、それでいいよ。さて、それはともかく、お話してくれてありがとう。島でお泊りするなんて、なんだかワクワクするね?」

「うん! あ、いや……。おまつりだから おとなしくしてなきゃ だめなんだった」

「お父さんかお母さんが、そう言ってたの?」

「うん。父ちゃんが いってた。おとなしくしていないと、かみさまに おこられるって。それに、えらばれた子は おまつりが おわったら、がいこくに いかなきゃいけないんだってさ」

「外国?」

「うん。べんきょうしに いくんだって。もうあえないけれど、わらってみおくれって」

 健司くんが椅子に腰かけて小さくなると、しばらくしてほかの子たちの手が挙がる。私はその中に、普段は滅多に手を挙げたりしない控え目な女子生徒――凪咲ちゃんがいることに気づいた。

「それじゃあ……。凪咲さん」

 指名した瞬間、教室の雰囲気ががらりと変わる。皆がじっと息をひそめ、凪咲ちゃんの一挙手一投足に注目しているようだった。

 凪咲ちゃんは立ち上がったものの、雰囲気に呑まれてしまったのか、拳を固く握りしめたまま動かない。二秒ほどの沈黙が、がたがたと破られる。跨道さんが教卓を押し退け、膝を抱いてしゃがみこんだ。そして、ちょいちょい。と、凪咲ちゃんを手招きした。

「凪咲ちゃん。こっち」

 凪咲ちゃんは招かれるまま跨道さんに歩み寄り、耳を傾けた彼に何か囁く。私には聞き取れなかったけれど、跨道さんには聞き取れたらしい。彼は僅かに口を開き、驚いたように見えた。だけど、すぐさま唇を引き結び、彼女の肩に触れて微笑んだ。

「ありがとう。それ、黒板に書く時、少し変えてもいい?」

 凪咲ちゃんは首を縦に振って頷くと、自分の席へ戻っていった。

 跨道さんが立ち上がり、黒板に向き直る。チョークを黒板に押し当て、小首を傾げながら書き出していく。他の文字に比べ、その言葉は妙に浮いて見えた。

「かみちごは、一足早く大人になる。と、こんな感じかな……」

 書き出した言葉を眺め、呟く間、跨道さんは瞬き一つしなかった。

 

 それから特別活動の時間中、跨道さんは子ども達と他愛のない話をして過ごした。といっても、彼が自分から話をすることはほとんどなく、子ども達の話を興味深そうに聞いたり、彼らの間で流行っている遊びを一緒にしたりと、まるで、自分も七歳の子どもになったかのような雰囲気だ。

 明日には終業式を迎えて、冬休みが始まる。特別活動と言っても、やらなきゃいけない事は冬休みの宿題を配り、過ごし方の注意をするくらい。レクリエーションを考えるのも億劫だったので、正直、このタイミングで跨道さんがやって来たのは好都合なお話だった。

 チャイムが鳴り、特別活動の時間は終わりを迎える。私は二つ手を叩いて子ども達を席につかせ、日直を促した。

「それじゃあ皆、明日の終業式で。当番さん、挨拶をしてね」

 日直の子が挨拶すると、子ども達は一斉にランドセルを背負い、我先にと教室から飛び出していく。去り際、彼らは決まって跨道さんの手にハイタッチをしてから帰っていった。

 そうして十三人全員を見送った跨道さんは、赤らんだ手の平を撫でつつ、楽しげな笑みを浮かべた。

「本当に、元気な子たちですね」

「ええ。酷い災害があった頃に生まれた子たちなので、本当に、元気に育ってくれて良かった」

 跨道さんは目を細め、ふわ。と、風がそよぐように欠伸した。

「ごめんなさい。なんだか欠伸が。まるで元気を吸い取られてしまったみたいだ」

「まあ」

 跨道さんの冗談めかした笑いに釣られ、頬が緩む。私は顔を洗う猫のように拳で目元を拭う跨道さんに向かって、お節介を呟いた。

「廊下の端に、洗面所がありますよ?」

 途端、跨道さんは背筋を伸ばして見せる。

「助かります。これから力仕事をするかもしれないので、顔を洗って出直さなきゃ。洗面所には鏡がありますか?」

「ええ。もちろん」

「それは良かった。ついでにお聞きしたいのですが、過去の卒業アルバムを閲覧したい時は、誰にお声がけすれば?」

「卒業アルバムですか? 校長室に過去のアルバムが保管されていますけれど、個人情報ですから、ダメだと思いますよ」

 私が答えると、跨道さんはがっくりと肩を落とした。

「ううん……。やっぱりそうですか。校内新聞のバックナンバーもダメでしょうか」

「それくらいでしたら、問題ないと思います。でも、教頭先生には声をかけた方がいいかも。引っ越しの為に整理している真っ最中ですから」

「そうしましょう。僕も余計な仕事は増やしたくない」

 跨道さんは洗面所に向かって歩き出したかと思うと、不意に立ち止まり、手を挙げた。

「あ、広瀬先生。この学校、海外留学は毎年行っているんですか?」

 私は曖昧に首を横に振って、苦笑した。

「いいえ。毎年、そういう制度もありますよ。って、紹介だけ。私に業務を引き継がれた先生も、興味を持ってくれる子は多いんだけど、志望する子がいないんだよね。と、困っていました。今年は先方が推薦枠を確保してくださったみたいなんですが、そしたら一枠しかない所に募集が重なってしまって。対応に困っていたら、泡足さんが『お祭りに合わせて選考しましょう』と、気を遣ってくださったんです」

「それは助かりましたね。受け入れ先はどのようにして?」

「例年、泡足さんが厚意で紹介してくださるんです。そちらを参考に会議して、決定自体は学校が行っています」

「何年位前からでしょう。五、六……七年前?」

「さぁ……? 私が卒業してからだったと思いますけれど、今年担任になったので、詳しくは分かりません」

 私が記憶をたどりながら話すと、跨道さんは頬に手を当てて目を閉じた。そして、指先を不規則に動かす。まるで、頭の中を整理しているかのようだ。彼は、ぼそぼそとくぐもった声で呟いた。

「広瀬さんは大丈夫そう……。なにが違う……。もしかして、あれは憶えている事と知っている事の出し方が一緒なのかな?」

「あの、どうかされました?」

 問いかけると、跨道さんの眉間に一瞬だけ深い皺が刻まれた。もしかしたら、私の頼りない記憶力を嘆いているのかもしれない。そんな風に感じたけれど、彼は緩く首を横に振って否定する。

「あ、難しい顔をしてしまってごめんなさい。少し引っ掛かる所があったので。もう大丈夫です。よろしければ、留学先のパンフレットをいただいても?」

「ええ。もちろんどうぞ」

「ありがとうございます」

 ふにゃり。と、笑う跨道さんの顔に、僅かな翳りが見えた気がした。

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