七年前と今

 翌朝。跨道が借りている平屋を訪れた俺は、並んで学校を目指して歩き出した。過疎化が進んだ今となっては見る影もないが、くちなし村には小学校と中学校が一校ずつあり、登下校の時間ともなれば子ども達の声で賑わったものだ。

 道すがら聞けば、跨道はくちなし村にいる間、小学校でアルバイトをするらしい。昨日話がまとまり、今日から早速仕事だそうだ。

「授業でもするのかい」

「いいえ。引っ越しのお手伝いです。近々、中学校と統合して一貫校になるそうなので」

「ああ、それでか。そう言えば、いつだったかそんな話をされたっけ。まったく、そもそも子どもが少ない原因を見直さねぇで、とりあえず、今あるのをかき集めて茶を濁すなんて。中途半端にカシコイセンセエがいたもんだ」

 俺はいつぞやの保護者説明会で聞いた話を思い出し、頷いた。

「あ……。そうか。あれから、もう七年になるのか」

 ふと、古い記憶がフラッシュバックする。七年前に起こった大災害で、くちなし村は村民四人が犠牲になった。津波が押し寄せ、公共施設はもちろん、インフラも手酷くやられ、工場から上がった火の手は星を呑み込むほど高く伸びた。それでも、四人で済んだのだ。こういうと語弊があるだろう、だが、災害の中心地よりは遥かにましだ。

 俺たちの被った被害なんて、彼方で爆発した原子力発電所の傍に暮らしていた人達に比べれば、どうってことはない。例え、死んだ四人が全員顔見知りであったとしても、俺が仲人を勤めた小峰の嫁さんが犠牲になったとしても、どうってことはない。

避難した村民の内、半分以上がくちなし村には戻ってこなかった。それまで緩やかに進んでいた過疎の現実が、災害の津波と一緒に押し寄せる。

 そうして二年前、小学校と中学校を統合して一貫校にする案が採択された。まだ引っ越しやらなんやらと作業をしているが、そう遠くない未来の話だ。もしかしたら、華恵が小学校を卒業する前に、新しい学校生活が始まるかもしれない。

 七年という言葉に、跨道が首を傾げている。災害を知らない訳ではないだろうが、アスファルトが割れたくらいで天変地異の大騒ぎをしていた都会の学生に、俺たちの苦労を話したところで死人が帰って来る訳でも無い。

「そういえば、七年前の例大祭は中止だったそうですね。一体どうして?」

 跨道の話題に、俺は乗った。

「大晦日、島に渡る直前で神稚児がいなくなったんだよ。どうしても手洗いに行きたいって言うもんで、漁港のトイレを使わせたんだ。そしたら、いなくなった」

「いなくなった……」

「組合長の話じゃ、着ていたものは全部脱ぎ捨ててあったそうだ。それに、大便所の窓が開いていた。ガキなら通り抜けられるだろうが、どうしていなくなったのか見当もつかん。他に言いようがあるか?」

 舌打ちに、跨道の呟きが重なる。

「攫われたとか……、逃げ出した。とか」

 俺は鼻で笑い飛ばした。

「ふっ。それこそある訳ないだろう。馬鹿が誘拐目的で攫ったなら、あからさまに金になる着物やら冠やらを捨てていくもんか。それに、あの時の神稚児は泡足さんの分家の息子だ。神主の分家が、神事を放り出すような真似はしない」

「その子は?」

「翌朝、海で見つかった。夜だったから、うっかり足を滑らせて落ちたんだな」

 跨道の足が止まる。振り返ると、彼は信じられない物でも見たかのように目を丸くし、薄く開いた唇を引き結んだ。唇の端が蠢き、くぐもった声が漏れる。

「んん……?」

 俺は特に言葉を返さず、長い上り坂の先を睨みつけた。

 災害があってから、くちなし村半分以上の世帯が引っ越し、坂道か山の上で暮らしている。海の側に暮らしているのは俺たち漁師や昔の地主だ。小学校は昔からの地所を守って、海の側に建っている。気持ちとしては、小学校こそ山の上に建て直して欲しかったが、くちなし村を管轄する役所は新しく校舎を二つも三つも建設できるほど、金銭的余裕も立地的余裕も無かった。小中一貫校を建てようという腹積もりだったのだから、なおさらだ。せいぜい、公共住宅をいくつか建て、空き家改修の費用を補助するくらいで精一杯。あとは個人の保険任せ。

 俺は小学校の正門を開き、敷居をまたいだ。

「校長に挨拶は?」

「済ませています。泡足さんと一緒に、面接しましたから」

「ならいい。その調子じゃあ、顔を知らないのは子ども達だけか?」

「ええ。今日、朝のホームルームで自己紹介するんです。僕は必要ないと言ったんですが、なんでも、子ども達の刺激になるからって押し切られちゃいました」

 照れくさそうにはにかむ跨道に向かって、俺は溜め息を吐き出した。

「せいぜい袖を引きちぎられないように気を付けるんだな」

 俺と跨道が職員室に向かって廊下を歩いていると、向かいから体操着姿の子ども達が飛び出してきた。

 跨道は咄嗟に廊下の端へ避けたが、俺は廊下の真ん中に佇み、挨拶しながら駆け抜けようとする子ども達に向かって手の平を広げる。すると、子ども達は一瞬立ち止まり、俺の手に手を叩き付けながら、廊下を歩いていった。

「おはようございます!」

「おう。おはようございます。朝ランニングの時間か?」

「そう! きょうはね、わたしのリクエストきょくなんだ」

「おっ。そりゃあ楽しみだな。行ってらっしゃい。よお、酒屋の小僧じゃないか」

「よお、あじろの父ちゃんじゃないか。なにしにきた」

「見て分からんだろうから答えてやろう。学者様の案内だよ。分かったらグラウンドへ行け」

「そっか。あるきすぎて、ひざをわるくするなよ」

「そこまで歳じゃねえわ」

 そうして、子ども達がひとしきり軽口を交わして去って行くと、端にいた跨道が曖昧な笑みを浮かべた。まるで、犬歯と臼歯の間に物が引っ掛かったかのようだ。跨道は右腕を擦り、溜め息のように零す。

「元気がいいですね。袖の心配をしろと言った理由が分かりました」

「ま、そう怯えるな。わざと引きちぎるほど馬鹿じゃないし、俺が言ったのはそういう意味じゃない」

「それじゃあ、一体どういう?」

 俺が跨道に答えようとした瞬間、昇降口の方で甲高い女性の悲鳴が上がった。

「ぎゃっ、こらぁ! 廊下は走っちゃダメって言ったでしょう!」

「あ、ひろせ先生ごめんなさい!」

「でもここ ろうか じゃないよ?」

「まぁ! それはへりくつです!」

 悲鳴の主は、小学二年生を担当する教師――広瀬(ひろせ)香奈(かな)だ。

 職員室に行く手間が省けた。と、俺たちは昇降口に向かう。玄関を出てすぐの広場で、靴に履き替えた子ども達に振り回されながらも説教を試みる、若い女性教師がそこにいた。

 年頃は二十代。技能実習を終え、赴任したばかりの新人は、いくらかよれたパンツスーツと艶のない革靴を履いている。子ども達は広瀬の足元を見るなり、小首を傾げた。

「先生。そのふくで、ランニングするの?」

「いいえ。先生は今日、走らないわ。都市大学から学者様が来るんですって。『神稚児祭り』のお話しを聞きたいらしいから、あなた達、失礼のないようにね」

 広瀬が人差し指を立てて言うと、子ども達は返事をしてグラウンドに向かった。グラウンドから、ラジオ体操の音楽が流れてくる。

 俺は広瀬に向かって簡単に挨拶を済ませ、跨道を紹介した。跨道は胸に手を当てて、いくらか顔を伏せる。

「跨道美果です。短い間ですが、よろしくお願いします」

 途端、面倒くさい臭いを感じ、顔をしかめた。広瀬の目が大きく開いたせいだ。彼女はどこか浮ついたように視線をさ迷わせると、少々早口になった。

「はじめまして跨道さん。遠くからわざわざお越しいただきまして、ありがとうございます。二年生の担任をしている広瀬です。ご不明なことがあれば、遠慮なくお話くださいね」

「彼女は都市大学の卒業生だそうだ」

「先輩ですね。よろしくお願いします」

「こちらこそ」

「ったく。せっかく良い大学を卒業したっていうのに、どこで間違えたのか、こんな田舎にきちまった馬鹿の一人だよ」

「まあっ。網代さんったら、自分だって国公立を卒業してきたくせに、意地悪な言い方をするのね! 口が悪くてごめんなさい、跨道さん。この辺の方ってみなさんこうなの。慣れるまでは大変でしょうけれど、悪気はないので、どうか、気を悪くしないでください」

「お気遣いなく。だいぶ慣れてきましたから」

「それは良かった。今日は一日特活なので、私の指定する時間以外は自由に子ども達と接していただいて結構ですよ」

 跨道は広瀬の気遣いに頭を掻き、照れ笑いを浮かべた。

「ありがとうございます。でも、僕の事は気にしないでください。子ども達に聞きたいことは、例大祭をどう思っているのか、それに向けてどんな事を意識しているのか、なんていう、些細な事だけですから」

「そうですか? でも、せっかくですから、子ども達とたくさんお話してください。子ども達には色々な方と接して、たくさんの可能性を自覚して欲しいですから」

「そういうことなら、出来るだけ」

 ちら。と、広瀬が俺の顔を見る。

 どうやら、俺は学校まで案内する必要がないらしい。ちょうど、ラジオ体操の音楽も鳴りやみ、子ども達の朝ランニングが始まる様だ。

「じゃあ、広瀬先生。あとはよろしくお願いします」

 言うが早いか、足が速いか。俺はそそくさと学校を後にした。通学路を歩きながら、ちらとグラウンドに目を向ける。耳馴染みのないアップテンポな曲が、スピーカーを震わせている。ペース配分なんて知らない子ども達に混ざって、息せき切らした大人が脇腹を抑えていた。

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