例大祭の準備に勤しむ くちなし村

 軽トラックの助手席に跨道を乗せて村内を回るほど、くちなし村は広くない。だが、海を眺めたその顔を、半分捻れば山が見え、振り返れば視界が山景色でいっぱいになるような村だ。起伏にとんだ地形なので、歩いて回るには骨が折れる。

 俺は跨道の足元に目をやり、訊ねた。

「あんた、足は達者か?」

「たっしゃ……?」

「なんだ、お前。言葉が通じねえのか。足に自信はあるかって聞いたんだ」

「百メートルを十一秒台で走るくらいには達者ですよ」

 跨道が楽しそうに微笑むと、反対に俺は気分が悪くなる。初対面の相手に、ここまで人を馬鹿にした様な態度を取れる神経が理解できなかったからだ。

「よく言う。それなら、歩いて回るか。どこに用がある」

「例大祭に関わる場所は全部見たいです。雰囲気は写真を見たので、実際の道具や、神輿が練り歩くルート、泡島神社の本社、実際に参加する子ども達の話、これまでに選ばれた神稚児について分かるものがあれば、ぜひ」

 瞳を輝かせる跨道に、俺は溜め息で応えた。

「祭りまで五日だぞ。とても全部は無理だ。それこそ村全部、一軒一軒、一人一人が例大祭に関わるからな。神輿の跡を辿るだけなら半日で終わるが、話しながらだと一日以上かかる。それに、泡島神社の本社もいけない」

「関わらない人はいないって事ですね。分かりました。ルートは見て回るだけとして、本社に行けないのはどうしてですか?」

 俺は堤防の上に跨道を案内し、沖合四キロほど離れた場所に浮かぶ島を指さした。

 海の上に、ぽつんと緑色の泡が浮かび出したかのような島だ。泡のように見える島。だから泡島。と、昔の人たちは簡単に言った。

「本社はそれ、あの島にあるからだ」

 跨道が目を細める。そして、彼はまるで見えているかのように呟いた。

「鳥居も見えませんね」

「あんた、目が良いな。泡島はその島自体が本社扱いだから、鳥居なんか作っていないんだよ。神社の土地だから、誰かが住んでいる訳でもないし」

「無人島ってことですか」

「そういうことだ。いるのは毒虫と鳥くらい」

「島に渡ったことが?」

「神社の島だぞ。ある訳ないだろ。それに、あの島には誰も近づいちゃいけない事になっている。普段、海で仕事している俺たち漁師も、あの島の周囲五百メートル以内では漁をしちゃいけないって取り決めがされているんだ。漁をしちゃいけないって分かっているのに、漁船で近づく馬鹿がどこにいる」

「漁が目的でなくても、近づいたことはないんですか?」

 妙な疑問を感じる奴だ。と、俺は不思議に思った。きっと、そういう細かい所が気になってしまうのが、学者の病気なのだろう。俺は跨道に聞き返した。

「漁が目的じゃないなら、あの島に何の用があるっていうんだ」

「望月教授が良い例です」

「ああ、なるほど。そういうやつか。俺が知っている限りじゃあ、泡足さん以外で島へ行ったことがあるのは望月だけだな」

「でも、人の手が入っていない場所なら、珍しい動植物が生きているかもしれないでしょう。そいうのを探そうっていう、学者や観光客がいたことは?」

「ないな。少なくとも、うちの組合じゃ観光船はやっていない。ああ、いや。待て。一度あった。確か、遊覧にやって来た外国籍の船だかが島の岩場に横付けしていたのを、泡足さんが組合長と注意しに行ったことがあるはずだ。帰ってきた組合長が、泡足さんはディスイズマイアイランドってだけで追い返したって感心していたよ」

 跨道が瞼を大きく持ち上げる。

「おお、それは凄いですね。組合長が船を?」

 俺は首を横に振り、船着き場に停泊している三十八フィート級のプレジャーボートを指さした。

「いや。泡足さんの船に組合長が乗っていった。あの船だ」

 そして、その隣に浮かぶ小汚い漁船を指さす。

「で、あっちが組合長の船。あの時、組合長の船は整備中だった。手当をくれるって言うから、俺と小峰が新型のソナーに乗せ換えしていたんだ」

「泡足さんは船も運転できるんですか」

「器用な人だからな」

 俺は堤防から降り、跨道を呼んだ。

「それじゃあ、とりあえず祭りの道具から見ていくか。組合長が倉庫で祭りの支度をしているはずだ」

 しかし、跨道は堤防に上ったまま、じっと足元を見つめている。

「どうした」

 首だけ振って跨道に呼びかけると、彼は足元から海の中に向かって続く紐を指さした。

「これ、なんですか?」

 俺は堤防の上に戻り、跨道の指さす先を見て、首を傾げた。

「何って。蟹かごに決まってんだろう」

「かにかご?」

「蟹を取る籠だよ。はぁ。いいか。見とけよ」

 蟹かごの紐を掴んで引っ張り上げる。海底から上がった長方形の籠罠の中で、広げた手の平よりも大きな蟹が三匹蠢いていた。

 跨道は膝を抱いてしゃがんでいたが、海底から籠が見えてくると身を乗り出し、中で蠢く蟹に気づくと、尻餅をついて驚いた。

「ひゃっ! 蟹? 生きている……」

「何、当たり前のこと言ってんだ。生餌に使うんだから生きているに決まってるだろう」

「生餌って、え。これ、食べないんですか?」

「あのなぁ。俺たちは漁師だ。相手も生き物なんだぞ。普段生きた蟹を食っている奴に、死んだ蟹食わせて獲っても美味くねぇんだ。美味くない魚を消費者は買わない。お前こんな事も知らねぇのか」

「はははっ。もちろん知らない事だらけですよ。これからも色々、お願いします」

 跨道は小さく肩を竦ませて堤防から飛び降りると、翻った外套の裾を叩いた。

 倉庫に向かっている途中、隣を歩いていた跨道の指先が中空に円を描いた。彼はおもむろに口を開く。

「船以外であの島に渡るとしたら、泳いで?」

 俺はたまらず吹き出した。

「馬鹿、お前。泳いで渡れる訳がないだろう。ここら辺の海は潮が変わりやすい。陸からたかだか一キロほどでも、潮に攫われてまともに泳げん。島へ着く前に度座衛門だ。空から飛び降りる方がまだましだろうよ」

 所々に赤錆浮かんだ倉庫が見えてくる。開け放たれたシャッターの向こうから、組合長の訛声が響いてきた。


 漁港の倉庫は大中小の三つある。一番大きな倉庫は荷卸しした商品やら備品やらを保管しており、中くらいの倉庫は船のメンテナンス用。そして、俺が跨道を案内した一番小さい倉庫の三つだ。倉庫は二階建ての珍しい形をしていたが、これは元々、消防団の詰め所だった所を倉庫に改造したからという、それだけの理由だった。普段は鍵をかけて、ろくに日の目を浴びないちっぽけな倉庫だが、七年に一度、例大祭の時期だけ活躍する。

 俺は開け放したシャッターの奥を眺め、担ぎ手のいない小さな神輿を見下ろした。

神殿のない神輿の台座に、竹で編んだ籠が乗っている。籠の中には破れて綿が露出した座布団が二枚置かれており、それ以外に目立つものと言えば、極彩色に塗りたくられた悪趣味な飾り模様だけだった。

(こうしてみると、小さいな)

「小さいですね」

 俺は思わず口を塞いだ。だが、神聖な神輿に向かって感想を零したのは、俺ではなく、隣にいる跨道だった。

「子ども神輿だからな」

 俺の答えに、跨道は興味を失ったような顔をした。それでも、研究者の端くれらしく懐からデジタルカメラを取り出すと、奥で作業をしていた組合長に声を掛ける。

 組合長は相手が学者様と気づくや否や、二つも声を高くして手を振った。

「どうぞどうぞ。いくらでも撮ってください。あ、その座布団は新しいのに換えるんで、捨てときましょ。ここじゃあ、少し暗いですかね? 外へ出しましょうか?」

 組合長が破れた座布団を倉庫の隅へ放り投げる。彼が神輿に手を伸ばすと、跨道は緩く首を横に振って遮った。どうやら、出来るだけ手を煩わせたくない。と、そういう事らしい。

 跨道は神輿の周りを歩きながら、ぴぴ、ぴぴ。と、数回デジタルカメラのシャッターを切った。

「いつ頃から使われている物ですか?」

 跨道の質問に、組合長は頭を掻く。

「第二次世界大戦前から。と、言いたい所ですが、実を言うと、これは三十年ちょっと前に作り直した奴なんで。ここにほら、書いてあるでしょう?」

 跨道が膝を折ってしゃがんだ組合長と一緒に、神輿を下から覗き込む。跨道はデジタルカメラを睨み、しきりにシャッターを切った。どうやら、暗くてうまく撮れないらしい。フラッシュを使えばいいのに。と、老婆心を働かせながら、彼らの真似をして台輪の裏を覗き込んだ途端、呟きが漏れる。台輪の裏へ墨で書きこまれた暦に、覚えがあったのだ。

「あれ。これ俺が七歳の時に作り直していたのか」

 組合長の目が丸くなる。

「なんだ。お前、ちょうど当たり年の子か」

「らしいな」

 ふと、跨道の手が止まった。

「らしいって、どういうことです?」

 俺は溜め息で応える。

「ろくに覚えちゃいないんだよ。馬鹿で悪かったな」

「そんなつもりは。ただ、網代さんが例大祭に参加した経験があるなら、詳しくお話を聞きたいと思ったんです。神稚児に選ばれたのは、どんな子でしたか?」

 期待の籠った眼差しを向ける跨道に、俺は手を振って立ち上がった。

「そんなきっかけを出されたって、思い出すわけねぇだろ。生憎だが、神輿を担いだ肩が痛かったこと以外は覚えてねえよ」

「そうでしたか……」

 跨道はいくらか肩を落とすと、思い出したかのようにフラッシュ機能を使って写真を撮った。それから、すっくと立ちあがり、膝を押して立ち上がった組合長に顔を向ける。

「お神輿以外には、どんなものが使われるんです?」

 組合長の顔が輝く。まるで、そう来るのを待っていたかのようだ。彼は倉庫の棚に駆け寄り、跨道を手招きすると、ボランティアガイドよろしく丁寧に解説し始めた。

「泡島神社の例大祭について、学者様はどれくらいご存知で?」

「例大祭の当たり年に、数え七歳を迎える子ども達の中から、神稚児を選ぶ祭事。というくらいです」

「ははぁ。それだけ分かっていれば、これからお話することも簡単に分かっていただけること間違いなし。というのも、泡島神社の例大祭は『神稚児祭り』とも呼ばれていまして。子ども達の中から神稚児を見つける『稚児選り』と、神稚児が輿に乗って村内を練り歩く『見渡』、本社がある泡島へ渡って祈りを捧げる『祈祷』という、三つの儀式で成り立っております。ええ、晦日前に神稚児が発表され、大晦日の昼から夜にかけて見渡をし、夜から元旦朝にかけて祈祷を行う。と、こういう過程になっているんですな。で、ここにあるのは『見渡』と『祈祷』で使う道具なんですよ」

 跨道は組合長の話を聞きながら、はた。と、懐を弄り、小さなメモ帳を取り出した。一瞬だけ俺に見せた瞳の輝きが、組合長のひび割れた顔に注がれている。

「この袋は見渡の時、神稚児がばらまきといって、貝殻を撒く儀式があるんですが、その時に使うものです。神輿の上に乗って、こう集まった人達に貝殻を撒くんですな。立派な物です。貝殻を手に入れると、七年間食べ物に困らないと言われてまして。転じて五穀豊穣、家内安全、心願成就なんやかやと、まあ、とにかくありがたい物ということです。錦に金刺繍を施した晴れ着姿で、赤珊瑚と真珠の冠を被った神稚児がやるんですから、そりゃあもう御利益間違いなし」

「拝見するのが楽しみです。ところで、その冠などは」

「着物と一緒に神主さんが預かっていますよ。高価な物ですからねぇ。さすがに、こんな倉庫じゃ預かれませんて。あとここにあるのは豊漁祈願の網と、飾り旗、神輿を担ぐ子たちが使う揃いの羽織に、提灯――」

 俺は妙な居心地の悪さを感じ、彼らから少し離れ、奥でミミガイの貝殻を砕いていた連中に声を掛けた。

「よう」

 俺の呼びかけに、下手な口笛を吹いていた小峰が顔を上げる。彼はしゃがんだ格好のまま木槌を肩に担ぐと、コリでもほぐすかのように軽く振り下ろした。

「網代さん。学者様の案内ご苦労様っす」

「なんだ、小峰。随分耳が良いじゃないか」

「そりゃあ、小さい村ですからね。知らない方がおかしいっすよ」

 小峰は少し首を伸ばして跨道と組合長を眺めるや、唇の先を窄ませた。

「ひょう。あれが都会の学者様ですか。洒落てますねぇ。まるで浪漫小説の挿絵みたいだ」

 俺は首を捻り、肩越しに跨道を見た。跨道がメモ帳から顔を上げ、組合長の手を追いかけている。組合長は丸めた網を広げると、こちらと網を交互に指さした。跨道の顔がこちらに向いた瞬間、俺は顔を戻して言った。

「馬鹿。ああいうのは時代錯誤って言うんだよ」

「えぇ……。そうっすか?」

「決まってるだろ」

 俺が肩を竦ませると、小峰は何やら意外そうに目を見開いてから、眉根を寄せた。

「なんだか網代さん機嫌悪いなぁ。いつもはそんな風に言わないじゃないですか」

 自分でも、何に苛立っているのか分からない。ただ、学者という奴に関わりたくないのだ。跨道が何かした訳ではないものの、彼と同じ様な学者がやって来た七年前、例大祭は中止になった。酷い災害が起こったのはその直後。皆、表立って口にしないが、もし、また中止なんてことになれば、七年前以上に良くない事が起こるのではないか。と、漠然とした不安を感じている。

 俺は指輪が瞬く小峰の左手から木槌を奪い、半端に砕けた貝殻を叩き潰した。

「いくら海に沈めちまうからって、雑に砕くな。もっと細かく砕け。これじゃあ網に貼った後、肌を切っちまうぞ。そいつのせいで、俺は手の平をざっくりやったんだ」

「ちぇ。そこまで言うなら手伝ってってくださいよ。それを網に貼るのりだって用意しなきゃならないし、ばらまきに使う貝殻は洗わなきゃいけないしで、やることはたくさんあるんですよ?」

 小峰は腕を伸ばして木槌を奪い返すと、砕いた貝殻を磨り潰した。

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