夢のような日々


「あ、ごめんなさい。そのお隣りの方です」


 そうしてそのコはリョースケ君を熱心に見つめる。手には可愛い紙袋。着ている他校の制服は確か……近くのお嬢様学校だっけ。クラスメイトの会話の端々で聞いただけだから、らしいとしか知らないのだけど。可愛いコだなーと思う。薄っすらと化粧をしていて、校則で禁止だからきっと学校が終わってから施してきたんだろう。髪型もバッチリ決まっている。直前に何度もチェックしたに違いない。そして私の知らないコ。

『知ってるコ?』

 リョースケ君はわずかに目を動かして私を見るとすぐに彼女に視線を戻した。

(……いや、知らない)

「あ、あのですね、少しだけお時間いいですか? その、そんなにお時間取らせませんから!」

「なんの用?」

 と、何故か不愛想なリョースケ君はたくさんの人が行き交う校門前で話を進めようとしたので私は待ったを掛けた。

『ちょっとちょっと! さすがにデリカシーがないよ、せめて場所変えよう?』

(あ)

「ごめん、ちょっと場所変えようか? ケータ、悪いけど」

「分かってるって。じゃあまた学校でな」

 ケータ君と別れるとその女の子と一緒に近所の公園にやってきた。

「私、アキっていいます。あの、良ければチョコ、貰って頂けませんか?」

 彼女は持っていた紙袋を前に差し出した。リョースケ君は私をチラリと見ると口を開く。

「ごめん。受け取れない」

 ってヲイ!?イエス以外の選択肢がお前にあった事に私はビックリだよ。

「そ……う、ですか」

 チョコの紙袋を持つ手から力が抜け、差し出されてた腕は下ろされた。あげてた顔は俯いた。

『ちょっとリョースケ君、なんで断っちゃうの!?こんな可愛いコからチョコ貰えるなんて二度とないよ! あーあ、彼女泣きそうになってるじゃんか』

 私に見向きもしないリョースケ君は申し訳なさそうにしつつも、意見を曲げる気はないようで更に追い打ちをかける。

「ごめんね、そもそも君の事知らないし。どこかで会った事あったっけ?」

 彼女は顔をあげると少し皮肉めいた笑みを浮かべた。

「ですよね。はい、そうだと思ってました。私はずっとあなたの事見てましたから。……登下校で私、同じ電車だったんですよ」

「……ああ」

「だからきっと、私の事は知らないと思ってました。でも、ようやくスッキリしました。ありがとうございます」

 と、ここでようやく彼女は笑顔を見せた。そして指先で目の端をすくう。

「あの、でも諦めはつきましたがやっぱりチョコは貰ってもらませんか?」

「え、でも」

 私はリョースケ君に平手を飛ばしていた。私の手はリョースケ君の頬を通り抜けたけどもリョースケ君には衝撃的だったようで目を見開いた。

『でもじゃねーよ、ふざけんな! あなたのためのチョコなんだから、食べるトコまでは受け止めてやってよ!』

「貰ってください。あなたのチョコです。持ち帰っても……持て余してしまいます」

 彼女は手元のチョコを一瞥した。リョースケ君もチョコに目を向ける。

「わかったよ。ありがとう」

 リョースケ君が手を差し出すと、彼女は彼の手にチョコの紙袋を乗せた。

「あと、名前。名前聞いてもいいですか? 好きだった人の名前、知りたいです」

「リョースケ」

「そうですか。リョースケ君という名前だったんですね。リョースケ君、チョコ、受け取ってくれてありがとうございます。リョースケ君も頑張ってくださいね。……先に行ってください。私は、もう少し時間を潰してから帰ります」

『リョースケ君、行こう? あまり彼女に恥をかかせちゃダメだよ』

「それじゃ」

「うん、バイバイ」

 そうしてリョースケ君は彼女を置いて駅に向かう。振り返らないリョースケ君の代わりに彼女を見ると、私たちに背を向けて俯き、肩を震わせていた。


 ガタゴトと、揺れる電車の中リョースケ君は吊革に掴まっている。空いた手には鞄、その中には紙袋、その中にはチョコ。普段はスマホをいじるか、私と話してたりするのだが今日ばかりは外の景色をぼんやりと眺めていた。私もリョースケ君に話し掛ける気になれずに網棚付近でふよふよ浮かびながら車内を眺めていた。

 この車両に、何個チョコがあるんだろうか。渡せたチョコがあり、渡せなかったチョコも、たぶんあるんだろうな。既にお腹の中に収まってしまったチョコがあり、きっと、用意できなかったチョコというのもあるんだろうな。彼女は同じ電車だったと言っていた。彼女は、どんな気持ちでいつも電車に乗ってたんだろう? 今後、どうするのだろう。時間帯を変えたり車両を変えたりするんだろうなぁ。彼女の事を考えると胸が痛んだ。

 私はリョースケ君の後頭部に視線を戻す。無言のままで、今何を考えてるのか分からない。なんで振っちゃったんだろう。彼女、良いコだったのに。考える素振りも見せずに断っちゃうだなんて。他に好きな人がいるのならともかく、9月から一緒にいるけれど他に好きな人がいるらしい素振りなんて一度も見た事がないよ。私はリョースケ君が何を考えてるのか分からないよ。


 共働きなのでリョースケ君の家には今誰もいない。リョースケ君は鍵を開けて中に入るとまずはインスタントコーヒーを入れた。そして冷蔵庫から取り出したチョコとコーヒーを持って自室に入った。そして椅子にドカリと座ると机の上にコーヒーと、彼女のチョコと、自分で作ったチョコを並べた。そしてそこで動きを止める。

『何してるの?』

「どっちから食べようかなって」

『は? 彼女のチョコからに決まってるでしょ。悩む要素なんてある? 自分で作ったチョコなんて食べなくたっていいぐらいでしょ?』

 リョースケ君は大きく息を吐く。そして自分で作ったチョコを持つと

「こ・の・チョ・コ・は、ただの自作のチョコってだけじゃないんだよ、俺にとっては……アカネ、今日はやけにつっかかってこないか?」

 リョースケ君がこちらを振り返る。久しぶりの対面での会話だ。

『そんな事ないよ』

 リョースケ君は目を細めて私の表情を観察し真意を伺う。

「どっちから食べようと俺の自由だろ?」

『そうだね。でも私がどう思おうかも自由だよね? いいんだよ、私からどう思われても好きなように食べたらいいよ』

 そう突き放したことを私が言うと、さすがにリョースケ君も傷ついたようで、私もやり過ぎてしまったかなとも思う。ただ、口から出た言葉を引っ込めようとは思わなかった。彼女をないがしろにしているようで、私は……、悔しい? 悲しい? ともかく、口を閉じる事はできなかった。思えば、ここまでリョースケ君と対立したのは初めてかもしれない。ケンカ……なのかな? よく分からない。でも納得できない。

『いいじゃん、先に食べるぐらいさ! 別にそうだよ、リョースケ君の勝手だよ? でも、リョースケ君の事を思って作ったチョコなんだよ!?大事にしてよ!!』

 私の剣幕にリョースケ君が怯む。

「このチョコ別にアカネのチョコって訳じゃ……記憶戻ってる?」

『え、なんで急に私の記憶の話?』

「……別に?」

 そう言ってリョースケ君は目を逸らす。リョースケ君に憑いてすぐに確認したら、知らないと言ってたはずだが? この反応、何か知ってる? 

『リョースケ君、私のこと知らないって言ってなかった? ホントは知ってるの?』

「……知らないよ。ただ、彼女と同じ学校に通ってて俺と同じ車両によく乗ってたのだけは知ってる」

 こいつ、白状しやがった!

『知ってるじゃん!!』

「殆ど知らないよ! 第一そっちだって俺の事覚えてなかったじゃんか!」

『こっちとら他の全部も覚えてないんだから仕方ないじゃんか!』

 リョースケ君はハァと一息つくと、一口コーヒーをすすって口を湿らせた。

「どのみち大した情報じゃないよ。……悪い、殆ど他人とはいえ、突然幽霊になって現れて電車には姿を現さなくなってこっちも困惑してたんだ。正直認めたくなかったというか」

 その懺悔に私も少し冷静になる。確かに。

『確かにね。それが分かっても何も変わらないもんね。現に私は何も思い出さない。それで、どっちから食べるの?』

 リョースケ君はチョコを交互に見較べた。

「彼女の方からにするよ。確かに彼女に失礼だし、アカネと喧嘩してまでしたい事じゃないから」

 リョースケ君は彼女のチョコのラッピングを丁寧に剥がしていくと、可愛らしいハート形のチョコが姿を現した。一つ摘まむとリョースケ君は口にゆっくりと運ぶ。

「ん、美味しい」

 ……きっと頑張って作ったんだろうなぁ。今のリョースケ君の言葉、彼女に伝えてあげたいなぁ。出過ぎたマネだし、今の私では叶わないけれど。

『ちゃんと味わって食いなぁ?』

「だからお前は誰目線かと。まあ、うん。大事に食べるけどさ」

 そうしてリョースケ君は彼女のチョコを最後まで食べ切った。

「ごちそうさまでした」

 そうしてリョースケ君は、もう一つの、自分で作ったチョコに手を伸ばす。調理実習で作ったチョコだ。ラップでくるまれただけで可愛いらしさなんて微塵もない。それでもリョースケ君はそのラップを丁寧に剥がす。それはもう、大切そうに。

『どうでもいいでしょ?』

「俺にとっては大事なの」

『ナルシスト』

「何とでも。誰に言われても」

 リョースケ君はチョコを咥えると、パキッという軽い音と共にチョコが砕けた。チョコに円形のフチが残った。リョースケ君はモグモグとチョコを咀嚼する。

「美味しいじゃん」

 私は呆れる。

『何が良いんだか』

「ん」

 リョースケ君がチョコを私に差し出す。

『……なに?』

「味見、してみなよ?」

『できないって知ってるでしょ?』

「わかんないじゃん。食べれるかどうかは試してないだろ?」

 やけに真剣な表情でリョースケ君が言った。

『いやだって触れてないし』

「ほら」

 やけに熱心に勧めてくる。これは無駄でもやらないと続く問答が面倒そうだ。

『ムダだと思うけどなぁ』

 とブツクサ零しながらもチョコに口を開いて首を伸ばす。そしてリョースケ君が齧った少し横に歯を立てる。


 パキッ


『へ?』


 チョコを見ると、ハートマークの上部のような円が二つ重なったような形になっていた。口の中に広がる甘い味。


 蘇る記憶。


「齧れた?」

 私はモグモグとチョコを咀嚼する。私は思わず唇に指を添えると、赤い顔でリョースケ君の顔を見る。

『間接……キス、なっちゃったじゃん?』

 私の一言にリョースケ君も顔を赤くして言い訳する。

「いや、狙ってやった訳じゃなくて、その、ごめん」

『別にいいけどね。うん、結構美味しくできてるじゃん』

 するとリョースケ君は得意げになる。

「だろ?」

『私のチョコに比べて全然大したことないけどね?』

「えー……え?」

『あ』

 気がつけば私の体が徐々に周囲に溶け込み始めた。それを見てリョースケ君は慌てる。

「突然どうして!」

『未練が解消されたからかなー』

「アカネ、記憶戻ったのか!?」

 私はその問いには答えない。その代わり私はリョースケ君のチョコを指差す。

『ねえ、リョースケ君。前に聞いたよね? 私のやり方で作ったんだからそのチョコは私が作ったチョコと同じじゃないかって。全然だよ。ちっともやっぱり似てなかったよ。私のチョコはもっと断然圧倒的に美味しいよ』

「……そっか」

 リョースケ君は残念そうだった。うん、私も残念だよ。

「でもね、今この世にあるチョコの中で一番私のチョコに近いチョコだと思う。だからベストじゃないけど、マイ・ベターチョコだね」

 という事で私は満足してしまった。それに、私はリョースケ君のチョコを食べてしまった。リョースケ君が私に差し出したチョコを。これ以上望むなんて。これ以上は欲張れないよ。

 私は徐々に薄まる自分の体をしげしげと見て悟る。

『さよなら、みたい』

「……」

『そんな顔しなくていいんだよ?』

 そもそも今の時間がおまけみたいなんだもの。こんな、リョースケ君と話せるなんて思ってもいなかった。まして軽口を叩き合って、冗談を言い合って、喧嘩して……いっつも一緒で。名前で呼んで貰って。友達を教えて貰って、嫌いなモノや好きなモノを知れて。……名前を知れただけで夢のようだったのに。

 そこでふと、私はふと思いついて悪い顔になる。

『リョースケ君? 予言してあげるね』

「え? 予言?」

『今後、きっと私のチョコより美味しい手作りチョコはリョースケ君は食べれません』

「は!?なんだそれ!!」

『残念でしたー。それじゃバイバイバーイ♪』

 私はそうして薄れていき、世界に溶け込み、やがて姿が見えなくなった。まあ、結局私の手作りチョコをリョースケ君は食べれなかったから、本当の私のチョコの味なんて知らずじまい。一生知れる事はない。きっと今後たくさんリョースケ君は女の子からチョコを貰う事だろうと思うけど、食べる度にきっとモグモグしながら「これより美味しいのか」って私を思い出すんだ、ザマー見やがれ。……これぐらい、いいよね? 一生思い出すんだ、バレンタインの度に。だからそんなヒドイヤツを泣きながら見送る事なんてしなくていいんだよ、リョースケ君? ……でもそれより本当に私の作ったチョコ食べて貰いたかったなぁ。そんな事を泣きながら私は思って、意識を手放したのだった。

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