後日談② お正月

 ◇


 年が明けると、街の雰囲気はガラリと変わる。


 クリスマスを彩っていたイルミネーションは減り、代わりに門松とかがニョキニョキ生えてくる。


 私の家では正月に親戚が集まることはないし、実家に帰ったりするような習慣もない。


 母と二人できままにお雑煮を食べてのんびり過ごすのが恒例になっていた。


 でも、今年は少し違うかもしれない。


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「ねえ、初詣行かない?」


 年末のうちに、私は亜里香にそう声をかけていた。


 彼女は「うん、ぜひ」と即答してくれて、私は胸が躍るような気持ちを覚えた。


 いつもなら冬休みも部活があるけれど、年末年始はさすがに休養期間として設定されている。


 つまり、私には貴重な自由な時間があるわけで、その期間は亜里香と過ごしたかった。


 ◇


 一月一日。


 私は朝から母と軽くお雑煮を食べ、「昼前には出かけるね」と告げて家を出た。


 行き先は県内でもわりと有名な神社で、毎年初詣の参拝者が多いという。


 信心のない私だけど、こういう行事は嫌いじゃない。


 何より、亜里香と一緒にお参りできるのが楽しみだ。


 駅前で待ち合わせしていると、少し遅れて亜里香が姿を見せた。


 白いロングコートを着ていて、マフラーで首元を包んでいる。


「あけましておめでとう」


 彼女が小さく笑う。


「あけおめ。今年もよろしく」


 私も笑い返しながら、お互いに軽い会釈を交わした。


 周りを見渡すと、似たように初詣に行くらしい学生や家族連れで賑わっている。


 ◇


 電車に乗り込み、座席に並んで腰を下ろす。


 車内にはお正月特有の浮かれた空気が漂っていて、みんなが晴れ着や厚手のコートを着ているのが目に入る。


「お雑煮、食べた?」


 私が尋ねると、亜里香は「うん、母さんが作ってくれたよ。……友里んちは?」


「うちも簡単にだけど、食べたよ。やっぱり元旦はお雑煮ないと落ち着かないかも」


 そんな話をしつつ、電車が走り出す。


「ところで、お参りしたら何をお願いするの?」


 唐突に聞いてみると、亜里香は少し考え込んだ。


「うーん、やっぱり健康とか勉強とか……あとはバイトのこともあるし」


「そっか。現実的だね」


「友里は?」


「うーん、なんだろ……。私は今のまま部活を続けて、進路もうまく決まるようにって感じかな。それと、もうちょっと強くなりたいかも」


 そう言った瞬間、亜里香はクスリと笑う。


「友里は十分強いと思うけど」


「そっちの意味じゃなくて、ほら、メンタル的にってこと。いろいろ振り回されないようにしたい、みたいな」


「なるほどね。……きっと大丈夫だよ、友里なら」


 そう言われると、不思議と心が落ち着く。


 ◇


 目的の駅を降りると、神社へ向かう人の流れができていた。


 参道には屋台が並び、甘酒やたい焼きなどが売られていた。


「うわあ、すごい人」


 亜里香が少し驚いたように声を上げる。


「ほんとだね。さすが有名な神社なだけある」


 私たちは人混みに混ざりながら、露店をひやかすようにしてゆっくり歩いた。


「あ、これ美味しそう……」


 亜里香が小さなたい焼き屋の前で立ち止まる。


 見れば、クリームチーズやチョコレートなど珍しい味もあるらしい。


「食べてみる? 私も一個欲しい」


「じゃあ私はチョコにしようかな。友里は?」


「うーん、どうしよう……じゃあカスタードクリーム」


 そんな会話を交わしていると、店の人が「二つで700円だよ」と声をかけてきて、私たちは笑いながらお金を出し合った。


 少し高い気がするけど、まあお正月価格というやつだろう。


 ◇


 袋に入ったたい焼きを一口かじると、チョコがとろりと溶けて甘い香りが口に広がる。


「んー、おいしい」


 亜里香がほほを緩ませるのを見て、私も頬がゆるみそうになる。


「いいね、お正月っぽい……いや、単に屋台が楽しいだけか」


「ふふ、まあいいんじゃない?」


 そんなやり取りをしながら、私たちは人並みに紛れて神社の境内へと進んだ。


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 境内はさらに大勢の参拝客で賑わっていて、本殿へ続く列ができている。


 私たちも並んで待つことにした。


 冷たい風がときおり吹き抜けるけれど、隣に亜里香がいるだけでなんとなくぽかぽかする。


「あっ、絵馬とかもあるね。あとで書いてみようか?」


 私が提案すると、亜里香は「うん、書こう」と即答した。


「何書くの?」


「それは内緒」


「えー、教えてよ」


「教えない。友里は?」


「私も内緒にしよっかな」


 互いに小さく笑い合い、列が進むのを待つ。


 ◇


 ようやく本殿の前まで辿り着き、賽銭箱にお金を入れて二礼二拍手一礼をする。


 目を閉じて短く祈る。


 “部活がうまくいきますように。進路が無事決まりますように。それから、どうか私と亜里香が、これからも一緒にいられますように……”


 そう、心の中でつぶやいた。


 目を開けると、亜里香が私を見て「終わった?」という顔をしている。


「うん、終わった」


「じゃあ、絵馬のところ行こっか」


 ◇


 絵馬を買い、私たちは少し離れた書き込みスペースで思い思いの言葉を記す。


 私は迷った末に「心身ともに強くなり、未来を切り開けますように」と書いた。


 そして、最後に少しだけ付け加える。


「大切な人を、もっと大切にできますように」


 これを読まれるのは恥ずかしいから、字を小さめにした。


 横目で見ると、亜里香も黙々と何かを書いている。


 声をかけずに待っていると、やがて彼女は静かにペンを置いた。


「……できた?」


「うん」


「何書いたの?」


「内緒って言ったでしょ」


 そう言いながら、彼女は照れくさそうに笑う。


 書き終えた絵馬を奉納したあと、私たちは奥のほうにあるおみくじ売り場へ足を運ぶ。


「引いてみる?」


「うん、せっかくだし」


 おみくじ箱を振って番号を出し、巫女さんに札を渡すと、ちいさな紙が手渡される。


 私の結果は中吉だった。


 “焦らず地道に進めば、やがて道が開ける”というような文言が書かれている。


「ふふ、いいじゃん中吉。そこそこいいよ」


 亜里香が隣で言う。


「亜里香は?」


「……末吉」


「あー、微妙」


「微妙だよね。まあ、悪くはないけど、良くもない」


 そう言いながら、彼女は笑う。


 “人の助力を得られれば道は開ける”というような内容らしく、「人に頼るのって苦手だけど頑張ろうかな」と小さく呟いていた。


 ◇


 参拝を終えて、敷地内の甘酒コーナーで温かい甘酒を買う。


 冬の冷たい空気の中、甘い香りが鼻をくすぐって、マフラーの奥でほっこりする。


「美味しいね。やっぱりお正月って感じ」


 私が言うと、亜里香は「あんまり飲みすぎると酔っちゃうらしいよ」と笑う。


「アルコールはほとんど飛んでるんじゃない? でもちょっと体が温まる感じはあるかも」


 そう言いながら、私はカップを両手で包むようにして口元に近づける。


 ホッと息をついたとき、亜里香が私の手の甲に触れた。


「手、冷たくない?」


「少し冷たいね」


「そっか。じゃあ温めて」


 そういって亜里香が私の手を握った。


 私も同じだけの力で握り返す。


 手はすぐに冷たくなくなった。


 ◇


 人混みから少し離れたところに、腰掛けられそうな段差を見つけた。


 私たちはそこに並んで座り、ゆっくり甘酒をすすりながら、周囲の光景を眺める。


 ちょっと前まではあまり想像できなかった光景だ。


 今、こんなに穏やかに隣同士で甘酒を飲んでいるのは、奇跡のようにも思える。


「……今年も一年、いろいろあるんだろうなあ」


 私がつぶやくと、亜里香はゆっくりと頷いた。


「だね。でも、できるだけ楽しく過ごせたらいいよね」


 そんな風に話をしていると、亜里香が急に思い出したように言う。


「そうだ、今年の目標、一つ決めたんだ」


「何?」


「遠慮しないで、友里に頼ろうかなって」


 その言葉に私は少し目を丸くする。


「遠慮しないで?」


「うん。私、ずっと人に頼るのが苦手だったんだよね。何かあると自分で抱えちゃう。でも、もうちょっと素直に甘えられたら、きっと楽になるかもって思って」


「そっか。じゃあ、いつでも言ってよ。頼ってくれたら、私にできることなら何でもするから」


「ありがとう。……その代わり、友里も私に頼っていいからね」


「うん、わかった」


 ◇


 ひとしきり話したあと、私たちは屋台のほうをもう一度回ってみることにした。


 今度は豚汁の屋台が目に留まり、ついつい誘惑に負けてしまう。


「お正月だから、ちょっと食べすぎてもいいよね」


 亜里香は笑って、私も「うん」と頷く。


 お値段はなんと600円! 


 具も全然ないし、普段なら絶対に買わない。


 でも今日この時、亜里香と一緒に食べるとなると話は別で、ぼったくり豚汁も不思議とおいしく感じた。


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 しばらくして、だいぶ日が傾いてきた。


 冬の夕暮れは早い。


「そろそろ帰る?」


 私が尋ねると、亜里香は少し寂しそうに首をかしげた。


「うん、そうだね。……友里んち寄っていい?」


「いいよ。母も“よかったら来て”って言ってたし」


 私は驚きながらも、快く受け入れた。


 実は、母が「お正月くらいごちそうでも振る舞うわよ」と言っていたのだ。


 ◇


 私の家に着くと、母が「いらっしゃい、あけましておめでとう亜里香ちゃん」とにこやかに迎えてくれた。


 テーブルにはおせち料理と温かい豚汁が用意されている。


 豚汁はぼったくり豚汁とは全然違って具沢山だ。


 もしあの神社でこのクオリティを求めるとしたら、2000円くらいはしてしまいそう。


「わあ、すごい。ありがとうございます」


 亜里香が恐縮そうに頭を下げるが、母は「いいのよ、遠慮しないで食べて」と笑う。


 母は「高校生活どう?」なんて話題を出し、亜里香は照れながら文芸部やバイトのことを少しだけ話してくれた。


 私も合いの手を入れつつ、おせち料理をつまむ。


 黒豆やかまぼこ、数の子など、小さいころはそこまで好きではなかったけれど、年を経るごとにおいしく感じてくるのはどういうわけだろうか? 


「最近は友里もいろいろ悩んでるみたいだけど、あなたがいてくれると安心するわ」


 母がふとそんなことを言い出して、私は「ちょ、何言ってんの」と恥ずかしくなる。


 亜里香は笑いをこらえるようにして、「私も友里がそばにいてくれると心強いです」と素直に言うものだから、余計に胸がくすぐったい。


 ◇


 夕食を終えたころ、母は「夜はどうする? お泊まりしてもいいのよ」と提案してくれた。


「え……迷惑じゃないですか?」


 亜里香が戸惑うと、母は首を振る。


「全然。せっかくだし、二人でゆっくりすれば? 私も別に気にしないわよ」


 私もどこか緊張しながら、「……どうする?」と亜里香に尋ねた。


 彼女は少し考えてから、「じゃあ、お言葉に甘えようかな」と微笑む。


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 そんなわけで、亜里香は急きょ私の家に泊まることになった。


 母は「私は先に休むから、あなたたちはご自由にね」と言い残し、自分の部屋へ引っ込んでいく。


 時計を見ると、もう夜の十時を回っていた。


「……なんか、急な展開だね」


 私が照れ笑いすると、亜里香は「うん、びっくりした」と同じように頬を染めた。


 ◇


 リビングでテレビをつけてみても、特番ばかりで面白いわけでもない。


「どうする? 私の部屋行く?」


「うん、そうしよっか」


 冷えた廊下を通り、二階の自室へ向かう。


 ベッドや机は急いで片付けたつもりだけど、細かいところが散らかっていないか気になってしまう。


 亜里香はそういうのを気にしないタイプだとわかってはいても、やはり変なところで意識してしまう。


 部屋に入ると、亜里香は「お邪魔します」と小さな声で言い、ベッドの端に腰を下ろした。


 私は照明を少し暗めにして、部屋の中に落ち着いた空気を作る。


「お正月早々、泊まってもらってなんか申し訳ないけど、ありがと」


「ううん、こちらこそ。……何だか新鮮でいいね」


 彼女の言葉に、私も小さく微笑む。


 確かに、正月の夜にこうして二人きりで過ごすのは初めてだ。


 ◇


「そういえば、去年の今頃はさ、私たちもっとギクシャクしてたよね」


 私がしみじみと言うと、亜里香は思い出したように「うん……」と頷いた。


「そうだね。私、友里が何を考えてるのかわからなくて、不安だった」


「私も、亜里香のことをちゃんと見てなかったかもしれない」


 そんな反省を口にしていると、自然と一瞬の沈黙が訪れる。


 でも、今の私たちにとって、その沈黙はけっして重苦しいものではない。


 沈黙にも居心地の良い沈黙とそうでない沈黙があるのだ。


 私と亜里香は黙りこくってはいるけれど、心の中ではなんだか沢山おしゃべりしている気分だった。


 ◇


 そして寝る時間。


 お正月だし何時まででも起きてていいといわれたけど、1時頃になるとさすがに私も亜里香も限界だった。


 来客用の布団は出してもらったけれど、床は思ったより空気が冷えていて寒そうだったので、ベッドで一緒に寝る事にした。


「一緒に寝るのって小学校の頃以来だよね」


 私の言葉に亜里香は無言でうなずいた。


「狭いけど大丈夫?」


 これにもやはり無言。


 眠いとか不機嫌とかではなくて、なにか緊張したような空気がある。


 それにあてられて、私もなんだか緊張してしまう。


 そして、なんだかお互いを意識しつつ──私たちはいっしょのベッドで眠った。


 ◇


 夜中、ふと目が覚めると亜里香が私のほうに少しだけ寄ってきているのがわかった。


 すうすうと穏やかな寝息を立てている亜里香は、どこか幼くかわいかった。


 私はその寝顔を一瞬だけ見つめ、また目を閉じる。


「……どっちかが男の子だったら、どうなっていたんだろうね」


 小さく声に出したところで、返事はない。


 でも、それでいい。


 私はふわりとした安堵の中で、もう一度深い眠りに落ちていった。


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 朝になり目を覚ます。


 亜里香がいない。


 時計を見ると、すでに10時を過ぎている。


「やば、寝過ごした」


 急いで起き上がると、亜里香がリビングで母と笑いながら会話している声が聞こえた。


 私が慌てて洗面所へ向かう途中、母が「おそようさま」と声をかけてくる。


 朝食(といってもおせちなのだが)のあと、私と亜里香は昼下がりまで家でのんびり過ごし、テレビを見たり、お雑煮の残りを食べたりして過ごした。


 外は冷たい風が吹いているけれど、室内はまるで春のように穏やかだ。


 この後亜里香は帰らないといけないらしい。


 少し寂しかったけれど、また何日もしないうちに会えるのだからと私は自分を納得させる。


「また近いうちに遊びに来てね」


 私が見送るときに言うと、亜里香は「あ、じゃあ今度は私の家にも来てよ」と笑う。


「もちろん!」


 私は笑って──そして。


「あらあらまあまあ」


 母が冷やかす中、亜里香に軽くハグをした。

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