後日談① クリスマス

 ◇


 十二月に入ると、学校の空気は一気に慌ただしくなる。


 期末テストが終わったばかりなのに、クリスマスと冬休みが控えているせいか、生徒たちはどこか浮ついた雰囲気だ。


 私も陸上部の冬季トレーニングが本格化していて、朝から晩まで走り込みや筋力強化のメニューを消化しなければならない。


 それでも、寒い外の空気を吸い込みながらストレッチをしていると、不思議と体の奥から熱が湧いてくるような気がする。


「もうすぐクリスマスかあ……」


 そんなことを呟きながら校庭を見渡すと、白い息がすぐに消えていく。


 校舎の窓からはクラスメイトたちが見下ろしていて、誰かが手を振っているのが遠目にわかった。


 おそらく“クリスマスはどうするの? ”なんて話をしているんだろう。


 ◇


 実は、私と亜里香も今年のクリスマスに一緒に出かけようと約束していた。


 ちょっと前まではすれ違いの末に心が離れかけていたはずなのに、今はこうして自然に一緒に計画を立てられるようになった。


「イルミネーション見に行こうよ」


 そう誘ってくれたのは亜里香のほうだった。


 あれから私たちは以前よりもたくさん会話をするようになり、お互いを思いやる気持ちを少しずつ素直に伝え合っている。


 もちろん、恋人みたいに明確な呼び方をしているわけではない。


 でも、私の中では「ただの友達」と言い切れない特別な思いが芽生え始めているのも確かだ。


 ◇


 クリスマス当日の夕方、私は部活の練習を早めに切り上げ、校門の前で亜里香を待っていた。


 冬の冷たい風が頬を刺すけれど、胸の奥は奇妙な熱でじんわりと温かい。


 練習後のシャワーを浴びたばかりで、髪が少し湿っているのが気になるけど、気にしても仕方ない。


「お待たせ」


 そう言いながら現れた亜里香は、ダッフルコートにマフラーを巻いていて、いつもよりちょっとおしゃれな雰囲気に見えた。


「ううん、私も今来たところだから」


 そう答えながら、私はほんの少しだけ胸が高鳴るのを感じる。


 彼女の髪はさらりと下ろされていて、見るからに“クリスマス仕様”のように感じられるのは私だけかもしれないけど、いつもより可愛く見えた。


 ◇


 街はどこもかしこもクリスマスのイルミネーションで輝いていた。


 街路樹の枝には無数のLEDが取り付けられ、きらきらと光を放っている。


 道行く人々も笑顔が多いように見えるのは、この季節ならではの魔法のせいかもしれない。


 私と亜里香はなんとなく手を繋いで街並みを眺めていた。


「わあ、綺麗だね……」


 亜里香の声が弾んでいる。


「せっかくだし写真、撮ろっか」


 私がスマホを取り出すと、亜里香は「うん」と笑顔で近寄ってくる。


「……どうする? 自撮り?」


「そ、そうだね。せっかくだし一緒に写ろう」


 さっきからせっかくだしって単語を使いすぎな気がする。


 だってなんだか恥ずかしくて。


 私は照れながら腕を伸ばし、クリスマスツリーの輝きが映る背景を探す。


 亜里香の肩が私に触れ、画面に二人の顔が並んだ。


 シャッターを押すと、頬が触れるかどうかという距離で微笑む私たちが写った。


 ◇


 イルミネーションを見終わったあと、私たちは商業施設の屋外テラスに設置された休憩スペースに腰を下ろした。


 温かい飲み物を買ってきて、肩を寄せ合うようにしてひと息つく。


「意外と人が多いね。平日なのに」


 亜里香が言う。


「クリスマスだからねぇ」


「ふふ、そうだね」


 湯気の立つカップを両手で包み込みながら、私は亜里香の横顔に目を向けた。


 淡いイルミネーションが、彼女の瞳をかすかに照らしている。


「……いつもありがとう」


 思わず口を突いて出た言葉に、亜里香はきょとんとした表情を浮かべる。


「どうしたの、急に」


「いや、なんかこうして一緒にいられるのが当たり前じゃないから。あのとき、私が逃げまくってたら多分こうして座ってなかったと思うし……」


「そっか……私も感謝してるよ。私の“好き”に真面目に向き合おうとしてくれて、嬉しかった」


 そう言いながら、彼女は私の手の甲にそっと手を重ねてきた。


 冬の乾いた空気のせいか、指先が少し冷たい。


 それでも、その温度が私にとっては心地よい。


 ◇


 しばらく無言で肩を寄せ合いながら温かい飲み物を飲み、行き交う人々の姿をぼんやりと眺める。


 カップルが笑い合い、友人同士が写真を撮り合い、家族連れが小さな子どもを抱えてツリーを見上げている。


「……私たちは、何なんだろうね」


 亜里香がぽつりと呟く。


 私は少しだけ考え込んだあと、苦笑いする。


「さあ、どうだろ。周りから見たら普通に友達同士なんじゃないかな」


「……周りから見たらってことは、友里の中では違うの?」


 彼女の言葉には、どこか照れくさそうなニュアンスが混じっていた。


 まあ、私もそのつもりで言ったのだけど、わざわざ確認なんてしてこなくてもいいじゃんと思ってしまう。


「知らないっ」


 私はそういってそっぽを向いた。


 きっと頬が少し赤くなっていることだろう。


 ◇


 しばらくして私たちは駅ビルのレストラン街に入り、軽めの食事をとることにした。


 クリスマス仕様のお店が沢山。


 どこもかしこもカップルばかりだ。


「あんまり混んでないところにしようか」


 そう言って入ったのは、こぢんまりとしたイタリアンのお店だった。


 テーブルに着くと、私は「何にする?」とメニューを広げる。


 亜里香は少し迷ってから、「クリスマス限定ピザっていうのがあるみたい」と笑う。


「じゃあ、それ頼もうか。二人で分ければちょうどいいかも」


 店内にはクリスマスソングが流れていて、私たちを取り巻く空気もどことなく優しい。


 ◇


 ピザが運ばれてきて、赤と緑の彩りが鮮やかなトッピングを眺めながら、私たちは「美味しそう」と声を弾ませる。


 チキンやトマト、バジルソースが絡んだそれは、見た目以上に味も良かった。


「うん、美味しいね」


「ねえ、ちょっとそっちのチーズが多い部分ちょうだい?」


 そんな他愛ないやりとりをしながら、私たちは短い時間をめいっぱい楽しんだ。


 食べている途中、時折目が合うと、どうしてか互いに笑ってしまう。


 食事を終えて店を出るころには、夜の街はさらに賑やかになっていた。


 カップルが手を繋いで歩き、通りにはスノーマンや星を模したオブジェが立ち並ぶ。


「もう少し歩く? それとも帰る?」


 私が尋ねると、亜里香は鼻先を赤くしながら「少しだけ歩きたい」と言う。


「うん、じゃああっちの大通りのほう回ろう」


 寄り添うように歩き出した私たちは、腕を組んで並んで歩き始めた。


 まるでカップルみたいだ。


 だって友達同士手を繋ぐことはあるかもしれないけど、腕を組むことなんてあまりないだろうから。



 ◇


 やがて、大きな噴水のある広場に着く。


 そこにはスケートリンクが期間限定で設置されており、多くの若者がスケートを楽しんでいるようだった。


 シューズはレンタルできて、値段は300円。


「やってみる? スケート」


「え……どうしよう。私、やったことないかも」


「私もないけど、ちょっと楽しそうじゃない?」


 せっかくだし、と言ってみたものの、亜里香は少し不安げだ。


「転んだら恥ずかしいし、冷たいよ」


「でも、クリスマスだしさ。ちょっとくらいチャレンジしてみてもいいんじゃない?」


 私が笑いかけると、亜里香はあきれたように苦笑したあと、「じゃあ、やってみよっか」と頷く。


 ◇


 貸しスケート靴を借りて、リンクの上に立つと、思った以上に足元が不安定で驚く。


 こんなにツルツルしているものなのか、と目を丸くしながら、私はバランスを取るのに精一杯。


「あ、危ない!」


 亜里香がよろめいた瞬間、私が彼女を支えようとして逆に自分が滑りそうになる。


 二人して必死にリンクの縁につかまり、何とか転倒は免れた。


「……やばい、私たち全然滑れないね」


「だね、でもちょっと楽しい」


 お互い笑い合いながら、ぎこちなく一歩ずつ足を運んだ。


 時々、他のお客さんが優雅に滑り抜けていくのを見て、「すごいね」「あんな風になれたらいいのに」と感嘆する。


 ◇


 結局上達することはなく、ほんの数周をヨロヨロと回っただけで「もう限界」となってしまった。


 でも、手を取り合ったり、腕を組んだりしながら支え合ったその時間は、私にとって特別な思い出になった。


 滑り終わって靴を返すころには、頬が真っ赤になっていて、冷たい空気と緊張で息が上がっている。


「疲れたけど……面白かったね」


「うん、めっちゃ転びそうになったけど」


 気づけば、そろそろ帰る時間になっていた。


「そろそろ帰ろうか」


 私が言うと、亜里香は「うん、そうしよう」と頷く。


 でも、名残惜しそうにイルミネーションを見上げる彼女の様子を見て、私も少し未練を覚える。


「また来年も来ようね」


 言葉にした瞬間、自分がやけに素直になっているのを感じる。


 亜里香は一瞬だけ目を丸くして、それから優しい笑顔を見せる。


「……うん、絶対来よう」


 ◇


 帰りの電車の中、座席に並んで腰を下ろす。


 外はすっかり暗く、車窓に映るのは私たちの姿だけ。


 揺れに合わせて肩が触れ合うけれど、今の私にはそれが当たり前のように感じる。


「ねえ、クリスマスってさ、やっぱり特別な日なんだなって思う」


 亜里香がぽつりと呟く。


「特別か……そうだね。私も、今年はとくにそう思うかも」


 心の奥で、確かな温かさがじんわりと広がる。


「……来年も、再来年も、できたら一緒にいたいね」


 彼女の言葉に、私は頷くしかなかった。


「うん、私もそう思う」


 こんなやりとりをしていると、まるで本当に恋人同士みたいだと、自分でも少し笑ってしまう。


 電車を降りてから、私たちは途中まで同じ道を歩く。


 人通りは少なく、夜風が吹き抜けると肩がすくむくらい寒い。


 けれど、二人で並んで歩いていると、寒さよりも安心感のほうが勝っていた。


「じゃあ、ここで」


 亜里香の家と私の家は途中で別方向になる。


 ささやかだけど、ここで別れる瞬間が少し切ない。


「今日はほんとにありがとう。楽しかった」


「ううん、私も楽しかった。ありがとね」


 一瞬だけ、迷いが生じる。


 ハグをするか、しないか。


 結局、亜里香はかすかに体を前に傾けただけで、笑って「またね」と言ってくれた。


 私はその笑顔に心を奪われそうになりながら、ぎこちなく手を振る。


 ◇


 家に帰り着いてドアを開けると、室内の暖房の風が肌を撫でる。


「ただいま……」


 母は仕事でまだ帰っていないらしい。


 リビングは薄暗く、静かだ。


 私はクリスマスのきらびやかな光景を思い返しながら、そっと部屋の電気をつけた。


「また一緒に行きたいな……」


 誰もいない空間で思わず口にしてしまう。


 そして、スマホを取り出してメッセージを打った。


「家着いたよ。そっちは大丈夫?」


 送信ボタンを押すと、すぐに既読がついて「私も無事に帰ってきたよ。楽しかったね」という返事が戻ってくる。


 それだけで、胸が温かくなった。


 冬の夜の空気は冷たい。


 部屋だって暖房を入れたばかりだから寒い。


 でも今の私の心は不思議なくらいあたたかいままだった。

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