All about my hero

星降

第1話

All about my hero




 「なあ、またこいつ同じ服を着ているぜ。」

 「本当だ。汚らしいよなあ。」

 私の目の前に立つ男の子たちが、にやりと笑う。

 「そうだ、俺たちで洗濯してやろうぜ。」

 そのうちの一人が、バケツを振りかぶった。

 何が起こるかを察し、私は口を開く。

 「やめて……。」

 けれど、私の口から出てきたのは、今にも消えそうなほどにかぼそい声だけだった。

 「ほんっとうに、いらつくんだよ、お前。」

 心の底から憎いと言いたげな顔をした男の子は、私に向かって、思い切りバケツを振った。  

 ほんのりと塩の匂いがする冷たい水が、バシャリと私の頭の上に降ってきて、全身水浸しになる。吹く風は冷たく、ぶるりと震えた。

 「良かったな、綺麗になったじゃん。」

 私に水をかけた男の子たちは、ゲラゲラと笑い、走り去っていく。

 そして、その場には、ぐしょ濡れの私と、錆びたバケツが残った。

 私は空を仰ぐ。澄み渡った空には小さな鳥が一羽だけ飛んでいて、まるで今の私のようだ。

 「けれど、私には彼がいる。」

 頭の中で、ある男の子のことを思い浮かべた。見たことも会ったこともないが、たった一人の私の友達。ある日、ポストの中に彼からの手紙が入っていて、そこから私たちの文通は始まった。

 私は、彼になら何でも話せたし、彼も親身になって話を聞いてくれた。彼は正義感が強く、私がいじめられていることを話すと、とても怒り、君の力になれるのなら何だってする、と言ってくれた。

 そんな一面もある一方、彼はとても恥ずかしがり屋らしく、一緒の街に住んでいるのに、会うことはできない。

 けれど、私はそれで良かった。

 会えなくたって、彼がいるというただそれだけで、私は幸せな気分になるし、誰に何を言われたって、彼のことを考えるだけで、私の心は軽くなる。

 「今日は彼からの手紙が来る日だわ。もしかしたら、もう届いているかも。早く帰らなくちゃ。」

 彼からの手紙は、毎週月曜日と木曜日に送られてくる。

 だから私は、その日は家で手紙を待つのが日課だった。

 そのとき、またもや冷たい風が吹いてきて、私は唇を震わせた。

 本当は、今日の晩御飯を買うために外に出てきたのだが、このままだと風邪をひいてしまうだろう。

 「今日は久しぶりに温かいパンを食べられると思ったんだけどなぁ。」

 香ばしいパンの匂いに後ろ髪を引かれつつも、私は下を向き、家への道を急ぐ。

 海辺の市場から遠ざかり、山の近くのおんぼろな家の前で立ち止まった。

 木で作られた古めかしい家は、早くに死んでしまった私の両親が残していってくれた唯一のもので、今は私一人で住んでいる。

 家の前のポストに真っ白な封筒がはさんであるのを見て、私は、それをひったくるかのようにして取ると、手紙に心を躍らせながら家へと駆けこんだ。 早く開けたいという思いと、大事に読みたいという思いが交差し、手紙に夢中になる。

 期待に胸を膨らませ、私は手紙を開いた。

 『僕の大切な友人へ。』

 彼からの手紙の書きだしは、いつも一緒だ。思わずクスリと笑うと、その次に目を通した。

 『以前君が話していた本を読んだんだけど、とてもおもしろかったよ。君が選ぶ本は、面白くないものがないね。』

 前の手紙で、家にある冒険小説が面白いと薦めたのだが、彼はもう読んでくれたらしい。感想が細やかに書かれていた。

 『それと、君をいじめている男の子たちのことだけど、僕がどうにかしてあげようか?君から話を聞くだけで何もできない自分が、もどかしくてたまらないんだ。』

 相変わらず、彼は優しい。私のことを考え、いたわってくれる。不意に泣きそうになり、私は上を向いた。

 彼からの手紙を読んでいるときに泣きたくない。

 『とりあえず、僕が言いたいのは、僕はいつでも君の味方だということだ。君に泣いてほしくないし、我慢もしてほしくない。君にはいつも笑っていてほしいんだ。』

 もう無理だった。私の目から大粒の涙が零れ落ち、頬を伝うと、彼の手紙の上にポタリと落ちる。

 こんなにも優しい彼だからこそ、迷惑はかけたくなかった。

 涙で視界がぼやけつつも、手紙の続きに目を通す。

 『それと、以前君が温かいパンについて話していたから、僕のとっておきのパンを送るよ。明日の朝には届いているはずだから楽しみにしておいて。』

 私は跳び上がった。さすが彼だ。

 『君の友人より』

 便箋の最後に、少し斜めの綺麗な字でそう書かれているのも、いつも通りだ。早速返事を書きたいとはやる気持ちを抑え、手紙をそっと引き出しの中にしまう。

 そして、私は机に飛びつき、早速返事を書き始めた。話したいことがたくさんありすぎて、頭が爆発しそうだ。

 ペンを右手に持ち、たっぷりとインクを付ける 

 『私の大切な友人へ。』

 今回は、彼の書き出しに合わせてみよう。これを見た彼はどんな反応をするのだろうか。そんなことを想像しながら、紙の上にペンを走らせる。

 『あの小説があなたの好みに合って良かったわ。あなたも言っていたけれど、主人公が敵を倒すラストシーンは、特に圧巻のものだったわよね。良ければ、あなたのおすすめの本も教えてほしいわ。』

 ここまで書き、私は部屋をぐるりと見渡した。

 本棚いっぱいに置いてある本は、どれもおもしろいものばかりだ。また彼にも薦めてあげよう。どうやら、彼の好みは、私の好みと合っているみたいだし。

 『男の子たちのことは、大丈夫よ。今日も水をかけられたけど、服を着替えればいいだけだし。それに、あなたからの手紙のことを考えるだけで私は幸せな気分になれるから。あなたは気にしないで。』

 そこで、私は、まだ服を着替えていないことに気づく。ぐっしょりと濡れていたのに、彼の手紙に夢中になりすぎていて全く気付かなかった。

 ペンを置くと、もう一着の服へと手早く着替える。

 その服は、私には少し小さく、着ると手と足がぴょこんとはみ出してしまうが、今着れる服はそれだけしかないのだから、仕方がない。

 濡れた服を洗濯籠に入れ、手紙の続きを書く。

 『こんな私にも優しくしてくれるのはあなただけよ。あまりにも嬉しくて、少し泣いちゃった。まるで、あなたはヒーローみたいね。私もあなたのような優しい人になりたいわ。』

 そう、彼は私のヒーローだ。両親が亡くなり、独りぼっちな私のヒーロー。彼がいるだけで、「明日」が来るのが楽しみになる。こんな私でも、前を向くことができる。

 そんなことを考え、私はペンを置いた。

 明日の朝に彼からのパンが届くらしいので、あとはそれの感想を書くのみだ。

 椅子に座ったまま大きく伸びをし、机の引き出しを開けて、私は首を捻った。

 「それにしても、紙が減るのが早いなぁ。」

 彼との文通を始めてから、なんだか紙が無くなるのが早い気がする。手紙を書き直したりしているからだろうか。

 「そんなことよりも、明日が来るのが楽しみで仕方ないし、今日はもう寝ようかな。」

 窓の外を見ると、もう日はすっかり暮れていた。濃紺のリボンが空を覆い、白銀の月と小さな星の群れが自分たちの存在を主張している。

 それに晩御飯も無いしね、と私は自嘲気味に笑った。

 脳裏に香ばしいパンと湯気を立てるシチューがよぎるが、頭を振ってそれらを追い出す。そういえば、丸一日何も食べていない。

 「けれど、今日の分を明日に回したと思えばいいわ。」 

 私は、コップ一杯の水を飲み、ベッドに寝ころんだ。

 「おやすみなさい。」

 返事をする人がいないことはわかっているが、それでも挨拶は習慣になっていた。

 私はゆっくりと目を閉じた。 どうやら、彼の手紙と、明日のことを考えているうちに夜が明けたらしい。

 柔らかい日差しが窓から差し込み、私は目を開けた。ぐっすりと眠ったはずなのに、驚くほどに眠たい。

 「おはよう。」

 まだ覚めていない脳でゆっくりとベッドから起き上がり、何度か目をこすった。

 ゆっくりと窓の外に目をやり、私は小さな歓声を上げた。

 「パンだわ!彼が言っていた通り、ポストにある!」

 大きな音をたて、転がるようにして階段を降りる。体当たりをしてドアを開けると、香ばしい匂いが鼻腔に広がった。

 ポストに入っている紙袋を取り出す。ほんのりと温かさを感じる袋の中には、あつあつのパンが二つ入っていた。 

 「やった!ありがとう!」

 彼の名前を呼ぼうとして、私は、彼の名前を知らないことに気づいた。

 手紙は、気づけばポストに入っている。そして、私が手紙をポストの中に入れておくと、次の日には無くなっているのだ。

 「手紙で名前を聞いてみよう。」

 袋を両手で抱えながら、私は頬が緩むのを抑えられなかった。

 彼が私にパンをくれた。彼が私のことを気遣ってくれているというそれだけで、私は笑顔になれた。

 「早く食べたい。」

 急ぎ足で家に戻り、机に皿を並べ、その上にパンを置く。

 たっぷりとバターを塗り、夢中でかぶりつく。

 「こんなに美味しいパンを食べるのは久しぶりだな……。

 バターがじゅんわりと溶けたパンは、どこか懐かしい味がした。

 「初めて食べるはずなんだけど。」

 私は首を捻る。どこかで何かがひっかかる。

 「まあいいか。それよりも、彼がくれたってことの方が大事。」

 私は机の袋をちらりと見た。

 あと一つ残っているので、今日の晩御飯は買わなくても済みそうだ。

 「今日は外に出ずに、家で読書でもしていよう。」

 この後読む本のことを考えながら、パンを食べるときに使った食器を洗う。

 無意識のうちに、鼻歌がこぼれ出た。

 今日はどうやら良い一日になりそうだ。

 「それもこれも、彼のおかげね。」

 私はにっこりと笑った。 

 彼と文通し始めてから、私は随分と変わった

 「彼への手紙の続きを書こう。」

 どうすればこの感謝の気持ちが伝わるかを考え、前回の続きを書く。

 『パン、ありがとうね。あんなに美味しいものを食べたのは久しぶりで、ちょっと感動しちゃった。それと、なぜか懐かしい味がしたんだけど、あのパンはどこで買ったものなの?私も買いに行きたいわ。』

 「こんな感じかな。」

 手紙を一通り見返して、自分の書いた内容に満足すると、私はにっこりと 頷いた。

 封筒に入れようとしたところで、大切なことを忘れていたのに気づく。

 「そうだ、名前。」

 彼の名前について書いていなかった。

 彼の名前を知りたい。けれど、恥ずかしがり屋の彼にそんなことを聞いたら、何かが変わってしまうかもしれないと思うと、少し怖い・

 これまでに、何度か彼自身について手紙に書いたことはあった。けれども、彼はその度に話をはぐらかしてしまう。きっと、彼は自分の話をすることが苦手なのだろう。

 「でも、」

 私の頭の中で、好奇心と恐怖心が、まるで棒付きの渦巻きキャンディのように、ぐるぐると渦を巻く。

 ペンの先を少し噛み、散々迷ってから、私はとうとう結論を出した。

 「やっぱり知りたい、彼のことを。」

 一思いにペンを取り、小さく震える手で文字を綴る。

 『あなたの名前を知りたい。』

 手紙の隅っこに書いたその文字たちは、他のものたちに比べてやや小さく、申し訳なさそうに並んでいる。

 「後は出すだけね。」

 紙が途中で折れないように気を付けながら、夏の雲のように真っ白な封筒に入れた。

 彼がどんな反応をするか、まだ怖いところもあったが、一旦ポストに入れてしまうと、どこか吹っ切れた。

 「今日はミステリでも読もうかな。」

 私は、機嫌よくスキップをしながら部屋へと戻り、一冊の本を取り出した。

 これはまだ読んだことがなく、以前から気になっていたのだ。

 多重人格者の主人公が問題を次々と解決していくという内容だったはずだ。

 この作家が書いた本は何冊も読んでおり、おもしろいものばかりなので、この本にも期待できる。

 私は、古ぼけたソファに座り、本を開いた。

 やはりこの本はおもしろく、私は夢中で読み進める。

 しかし、丁度主人公が謎を解き明かす場面で、私は急に頭が痛くなった。

 頭の中を、内側から金槌で思い切り叩かれているのか、というほどの痛みで、頭が真ん中から割れそうだ。

 熱が出ているわけではないと思うのだが、吐き気を感じるほどの痛みに、私は気が遠のきそうになった。

 「せめてベッドで寝ないと……。」

 昨日水を被ったのが原因かな、と思いながら、私は這うようにしてベッドへと進む。

 昨日は何とも無かったのに、今になって体調を崩すとは、ツイていない。

 やっとの思いでベッドにたどり着き、目を閉じる。

 相変わらず頭はガンガンと痛いが、ほんの少しだけ楽になった。

 薬でも飲んだら良くなるのだろうが、あいにく私の家には、そんなものはない。寝て回復するしかなかった。

 それから私は泥のように眠り、次に目を開けたときには、窓から見える太陽は、かなり高いところにあった。どうやら昼過ぎまで寝てしまっていたらしい。

 その分、頭痛は嘘のように治まっていた。

 「喉乾いた……。」

 水を求め、私はよろよろと台所まで歩く。声が掠れるほどに喉が渇いていた。

 水道の蛇口を捻り、コップに注いだ水を勢いよく飲む。冷たい水が食道を通り、ストンと胃に落ちた。

 一階に降りたついでに、残っていたパンを食べる。バターを塗らなくても十分美味しく、あっという間にパンは無くなった。

 顔を洗い、髪を整える。ぼさぼさの髪は、何度櫛でとかしても、ぴょこんと跳ねた。

「外に出て、風にあたろう。」

 髪との戦いを諦め、私は玄関のドアを開ける。

 そして、ポストを見て驚いた。

 なんと、彼からの手紙が入っていたのだ。最後に手紙をもらったのは月曜日だったので、水曜日はずっと寝ていたことになる。

 そんなに寝ていたことに目を丸くしながら、私はポストから手紙を取り出した。

 今日の封筒は、いつもの真っ白なものとは違い、可愛らしいピンク色のものだ。

 「何かあったのかな?」

 封筒のことを不思議に思いながら、家に入る。

 中身が気になった私は、普段のように部屋に戻ることなく、玄関で封筒を開いた。

 中に入っていた手紙をそっと取り出し、目を通す。

 『僕の大切な友人へ。』

 この部分はいつも通りだ。

 『僕のおすすめは、やっぱりファンタジーかな。特に、バトルシーンが迫力あるものが好きだね。』

 彼の、男の子らしい答えに、私はくすくすと笑う。

 「今度私も読んでみよう。」

 『本当に大丈夫かい?僕は心配で居ても立っても居られないよ。

 僕だって、君との手紙を考えるだけでワクワクするよ。まるで、大好きな本を読んでいるときのようにね。』

 彼の真っすぐな言葉に、私は、頬に熱が集まるのを感じた。それを誤魔化すかのように、慌てて頬に片手を当て、手紙の続きを読む。

 『君のヒーローになれるなんて、とても光栄だよ。僕よりも君の方が心優しい人だとは思うけどね。僕からしたら、強い君は憧れだ。』

 私は目を見開いた。こんな私が強いだなんて!

 ただ、彼の手紙のことを考えると、そのほかのことがどうでもよくなってしまうだけなのに。彼さえいれば、多くは望まないと思っているだけなのに。

 『あのパンが君の口に合ったのなら良かった。また、次の手紙と一緒にパンを送るよ。

 懐かしいかどうかはわからないけれど、あのパンは時計台の近くのパン屋で買ったものだよ。焼きたてがすごくおいしいんだ。』

 「あそこのパンなのね。どうりで懐かしい味がすると思った。」

 彼の答えに納得した私は、一人頷いた。

 そのパン屋は、両親が生きていたころによく連れて行ってもらったところなのだ。土曜日の朝は、やきたてで香ばしいパンが食卓に並んだものだ。

 「懐かしいなぁ。」

 優しかった両親のことを思い出し、しみじみとした気持ちになる。 

 私の両親が亡くなったのは、もう七年前のことになるが、今でもはっきりと二人の顔を思い出せる。

 彼との文通が始まったのは、それから四年後のことだ。ちょうど、両親の残してくれたお金が無くなり、貧乏だと街でいじめられていたときだった

 彼が心の支えになってくれていなかったら、今頃私はどうなっていたのだろう。そんな考えがふと頭をよぎり、体が冷たくなる。

 私は大きく頭を振った。そんなことを考える必要はない。

 次の文章からは、彼の筆跡が少し変わっていた。綺麗な文字から、書きなぐったかのようなものになっている。

 『僕の名前は教えられないんだ。本当にごめん。けど、僕が嫌がっていると勘違いするのだけはやめてほしい。僕だって自分の名前を教えたい。けれど、教えたら最後、君との文通はきっとできなくなる。言い訳みたいだけど、本当のことなんだ。ごめん。』

 『君の友人より。』

 その文章を読み、いろんな感情がごちゃごちゃになって泣きそうになる。やっぱり彼の名前を知ることはできないのだという悲しさと、彼にこんなことを言わせてしまったという申し訳なさ、彼に嫌がられなかったという安堵感が入り混じり、もはやこの感情に何と名前をつけたらいいのかわからない。

 それに、なぜかはわからないが、彼の名前を聞くことができなくてほっとしている自分がいた。

 私は部屋に戻り、早速返事を書き始めた。

 『恥ずかしがり屋なあなたへ。』

 書き出しはこんな感じでいいかな。

 『私もファンタジーはかなり好き。ドキドキしていいよね。』

 最近読んだファンタジーの内容を思い出す。確か、主人公がドラゴンに立ち向かう話だったっけ。

 『私なら本当に大丈夫よ。あなたは心配性ね。私は、手紙のことをそんな風に思っていてくれたってことがわかっただけで嬉しいわ。』

 彼の手紙を思い出し、また頬が熱くなった。

 『私が優しくて強いと感じるのは、あなたのおかげよ。言い方が変になっちゃうけど、あなたがすごいからこそ、私も変わることができるの。』

 本当は、”あなたが太陽のように私を照らしてくれるから、それを受けた私も輝くことができるの”と書きたかったけれど、それはさすがに変だからやめておいた。

 『教えてくれてありがとう。お返しに飴を作るわ。これが私にできる最大限のことだから。あなたの好みに合ったらいいのだけれど。

 今度私も行ってみるわ。』

 そこまで書くと、私は、天井をぼんやりと眺める。

 そして、再び便箋に向かった。

 『あなたにもあなたの事情があるものね。無理を言ってごめんなさい。私は、あなたの文通が何よりも楽しいから、いつか本当に会える日までお互いの名前は秘密にしていましょう。』

 『秘密を守る友人より。』

 そこまで書き終えた私は、透き通った海のような青色の封筒に手紙を入れた。

 「さてと、飴でも作りましょう。」

 彼はどんな飴が好きかわからないから、様々な種類のものを作ろう。

 台所に行き、ボロボロのエプロンを着ける。

 まだ材料はあったはずだ。

 「久しぶりだけど、上手くできたらいいなぁ。」

 彼のことを想いながら、私は飴を作り始めた。

 砂糖を水に溶かし、どろりとするまで温める。家にあった食紅もほんの少し加えた。

 一時間後、カラフルな飴が机の上に並んだ。

 我ながら惚れ惚れするほどの出来栄えに満足しながら、エプロンを外す。

 「あっ。」

 エプロンに穴が開いてしまっていたからか、お腹のところにべったりと赤色の汚れが付いてしまっていた。

 急いで洗面所に行き、汚れをこする。

 「落ちないか……。」

 私はがっくりと肩を落とした。いくら部屋着とは言え、かなり気に入っていたのだ。

 お菓子作りなどという慣れないことをしたからか、まだ夜も早いのに、睡魔が襲ってくる。

 私は大きな欠伸をした。もうそろそろ寝ようかな。

 できあがった飴を綺麗にラッピングし、手紙と共にポストに入れる。

 あれを見た彼は、どんな反応をしてくれるのだろうか。喜んでくれるといいな。

 そんな幸せな気持ちのまま、私はベッドに入る。次に彼の手紙が来るのは月曜日だ。

 疲れた私は、すぐに眠りについた。

 いつか彼と会える日が来ますように。






 濃紺の空には満月がぽっかりと浮かび、辺りには冷たい潮風が吹いている。

 山に近いボロボロの家から、一人の少女がドアを開けて出てきた。

 少女の服は、お腹のところが赤色に汚れている。

 少女は空を仰ぐと、ポストから手紙とラッピングされた袋を取り出した。

 黙って手紙に目を通しながら、袋に入っている飴をガリガリと食べる。

 「美味しかったな。」

 しばらくすると、少女はそう言って、空っぽになった袋を、手紙と一緒に海へと捨てた。

 そして、そのまま海へと入る。腰の辺りまで水につかったところで足を止め、ボロボロの家を振り返った。

 「やっぱり僕は君が心配だよ。服もこんなに汚しちゃってるし、口調が定まっていないほどに、精神が死にかけてるじゃないか。どんどん壊れていく君を見るのは僕も辛いんだよ。」

 ぼそりとそう言って、少女はお腹の汚れを洗い始めた。バシャバシャという音が、誰もいない海岸に響き渡る。

 「僕のために作ってくれた飴、とっても美味しかったな。また僕も彼女のためにパンを買ってあげよう。喜んでくれたみたいだし。」

 赤色の汚れが消えたところで、少女は浜辺に上がり、濡れた服を絞る。

 「大丈夫だよ。君のことは僕が守るから。なんて言ったって、僕は君のヒーローだから。」

 ある程度服が乾くと、少女は家へと歩き始めた。

 「ああ、そうだ。手紙の返事を書かなくちゃね。」

 にこりと笑うと、少女はドアを開け、家に入る。

 ドアが閉まるバタリという音だけが残った。

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All about my hero 星降 @hoshi_hurihuri

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