第5話

 町長でもある神崎健一郎はいつものように退庁しようと裏口から抜け出た直後に、目の前に軽自動車が滑り込んで急ブレーキで止まったのをなんとか避けることができた。驚いて運転席を睨みつけようとするが運転席の窓越しに見える顔を睨みつけることなどできなかった。それどころか、できれば直ぐに役場に引っ込んでしまいたいと思うほどに、その窓越しに見える顔は明らかに何かを企んでいる顔つきだった。

「健、裏に乗れ」

 後部座席の窓が開いて更に恐ろしい顔があった、小学校から高校までの先輩で「剣道部の鬼」と名高かった嘉瀬川の顔が、本当に悪い顔をして隣の席をその手でパンパンと叩いた。昔懐かしい指導と説教を受ける時の彼の仕草に思わず唾を飲み込む、あの指導で団体戦の全国大会までのし上がったことを思い出し、その辛い日々が脳裏を過ぎるほどの、表情であった。

「えっと、この後用事が……」

「奥さんには電話しといた、なんもないって言っとったぞ、さ、遠慮せずに乗れ、ちょっと話がある、大丈夫だ、悪いようにはせん」

「は、はい」

  悪いようにはせん、かれのいつもの口癖だった。

 そしてそれは良いようにもせんの意味があって、何度か苦労をさせられたものだ。町長は駐車場に自らの軽自動車を残して街灯の灯る人気のない夜の街へと連れ去られる。数分もしなうちに着いたのは三島商店の自宅兼事務所の応接室のくたびれた椅子に4人は腰を下ろしていた。

「健、ちょっと悪巧みに乗って欲しいんだが」

「はぁ……、でしたら役場に」

「役場でできんから、ここで話をすることになった、まずはこれを飲め、そしてこれを読め」

 机の上には盃が4つ、日本酒が注がれた状態で置かれている。4人はよく連んで遊ぶことが多く、ある時、任侠映画を見てからこのような盃をな内緒事の際や決め事の際に交わすようになり、今でもこの風習は続いている。

「強引なんですから、わかりましたよ」

 神崎が盃を手にすると他の3人も盃を手にして一気に飲み干す。

 地元の造り酒屋で細々と作られている味は確かなもので、4人はその味に満足をすると、神崎は嘉瀬川から渡された書類に目を通し始めた。最初は困惑気味だった顔の口角が徐々に徐々に歪んでいくのを3人は見つめて、獲物がしっかりとかかったことを悟ることができた。直ぐに顔に出てしまう性格故に政治家には向かないのに、町長になっているのは、後援会長とその支援者を他ならぬこの3人が勤めているためだ。

「職権でなんとかできるとは思います」

「行けるか?」

「先輩方、でもこれだと青鴉だけの話になってしまうので根回しは難しいでしょう、なので、例えばですが、小鳩ですとか、雀方、他の校区も巻き込んだ方が良いと思います。予算は嘉瀬川先輩の善意に頼りっきりも不味いですので、NPOにしてみては如何でしょうか?予算は各学校の支援金の名目ならなんとかなるかもしれません」

「校長会で話をしてみたんだが、なかなか予算は出せんとのことだ。もちろん、青鴉だって出せんよ、もっと減らせと教育長から通知が来てな」

「小森教育長ですか、あの人は県議選に出ようと狙ってる節がありますので、まぁ、ちょっとこっちで脅かしてやりますわ、予算がきちんと通れば少しくらいは出せるのでしょう?」

「ああ、本当に少しだが出せる」

「町としては本来なら応援すべき事業でしょうが、昨年の豪雨での災害復旧で予算を取られてしまってますし、なかなか難しいです」

「なに統廃合まで続けるつもりだ、そこまですれば、図書館近くの巣籠小中学校が唯一の町の学校になるだろ」

「ええ、先輩には悪いですが、その計画で動いています。ここだけの話ですが、県と国には相談をかけてほぼ纏まりつつあります」

「なら、早い話がいいな、最初の目標は子供達に本をもっと届けること。最終の目標は図書館の活性化だな」

「それにですが、いっその事もう少し面白くしてみては如何ですか?」

「なんだ、健、どうしたらいいんだ?」

 机を挟んで目の前に座る鴻池に向かって神崎は話の矛先を向ける。

「嘉瀬川先輩の資料には図書館の本を利用してとありましたが、もし、可能なら各学校の本を全て図書室から回収して、一度、整理してみては如何でしょうか?膨大な仕事になるかもしれませんが……」

「そりゃ、人手がいるな……」

「だと思います、けれど、各学校に配置された本を図書館の本として一元管理できれば使用の可否や巡回するときの本選びにも良いでしょう?」

「確かに傷んでる本もあるし、修繕もいるかもしれん」

 嘉瀬川が同意するように頷いた。

「分かった。図書館でできうる限りできることをしてみよう、先生方にもご協力を賜るかもしれんが……」

「手伝いに行けるものだけだが、頼み込んでみるよ」

「俺は会社やからなんも手助けできんが、俺と嫁さんで手伝いと車だけは寄贈しよう、そうすればちょっとは役にたつ事ができる」

 三島が申し訳なさそうに言うのを他の3人が止めた。

「売れば金んなるのにすまんな、お前が一番苦労しとるよ」

「よせやい。なんとか儲けは出てるんだ、細々とやるさ、そうと決まれば、盃の仕切り直しだな」

 4つの盃に再び日本酒が注がれる。それは蛍光灯の光に照らされて眩しく輝いて見えた。

「「「「では、成功を祝して、乾杯」」」」

 4人の盃の締めはいつもこれだ、必ず成功させる、失敗は許されない。不退転の決意を胸に秘めて熱い酒を飲み干した。

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