第2話 プライベートモード


ーー取引先との打ち合わせを終え、私はオフィスに戻り、残っていた仕事を片付けていた。


春輝はいつも通り定時までにはしっかり仕事を終え、「お先に失礼します」とクールに去っていく。


私も残業は長引かせたくない。早く終わらせて帰らなきゃと急いで仕事終わらせる。


いつもの風景だ。


ーーもちろん、帰宅後もそうである。


予定より少し遅れたものの、無事に仕事を終え、私は自宅のドアを開けた。


「ただいまー。」


すると、キッチンの方からぱたぱたっと駆け寄る足音。


「くみちゃん!おかえり~!」


満面の笑みを浮かべて走り寄ってくるプライベートモードの春輝がそこにいた。


「先に帰ってたのね。」


私は微笑みながら靴を脱ぐ。すると、すかさず彼が手を差し出してくる。


「くみちゃん!荷物、もらいます!」


「じゃあ、お願いします。」


何気なくバッグを渡そうとした瞬間――


「違う!おなましやす! だよ!」


春輝はぷくっと頬を膨らませ、むすっとした表情で私を見つめてくる。


「あぁ、もう……はいはい、おなましやす。」


仕方なく、いつもの彼のお決まりのやり取りに付き合う私。


すると、彼は満面の笑みでバッグを受け取ると、続けて私の脱ぎかけのコートまでさっと手を伸ばしてきた。


「はい!おなまされました!」


「春輝、それは別に自分でやるから。」


さすがにコートくらいは自分で片付けるよ、と言いかけたのに――


「だめ!くみちゃんはお仕事頑張って疲れてるんでしょ?僕がやるの!」


と、子どもみたいにむっとした顔で押し返される。


「……いや、そんなに甘やかさなくていいから……まぁ、じゃあ、これもおなましやす。」


すると彼は、目をキラキラ輝かせながらコートも受け取り、嬉しそうに頷いた。


「はい!またおなまされました!」


これがプライベートモードの春輝である。


職場ではあんなにキリッと冷静で、仕事モードの彼が、家ではこんなにも甘えん坊になる。


このギャップが、たまに心臓に悪い。


「くみちゃん、今日はね、くみちゃんの大好きなハンバーグを作ったの!食べて、ね?」


はるとの目は期待に満ちた輝きを放っている。完全に「褒めて!」と訴えている。


「わかったわかった。じゃあ食べるよ。」


私は微笑みながら、食卓の椅子に腰を下ろした。


「いただきます。」


――一口、パクッ。


「……うん、美味しい!」


口の中で肉汁が広がり、ほどよく甘いソースが絶妙なバランスを生んでいる。


春輝は料理が得意で、その腕前は本物だ。


「ありがとう、春輝。」


「えへへ、どういたしまして!」


満足そうな笑顔を浮かべる彼は、しかしどこかまだ期待を込めた目をしている。


「……なに?」


私は警戒しながら尋ねた。


すると、彼は少しもじもじしながら、小さな声で言う。


「……なでなで、してほしいな。」


――これだ。


私は苦笑しながら、彼の頭に手を伸ばし、優しくなでた。


「はいはい、よく頑張りました。」


すると、春輝は目を細めて、子犬のように気持ちよさそうに目を閉じた。


この顔を職場の皆に見せたら、どんな反応をするだろうか。


「ねぇ、くみちゃん。」


「なに?」


「今日はこの後、ソファで映画見ながらぎゅってしてもいい?」


「……春輝、甘えすぎ。」


「いいでしょ?ね?今日僕だって家事も仕事も頑張ったもん!だから、ね?おなましやす。」


私が断れるはずがない。


結局、その後の映画鑑賞中、私は彼にぎゅーっと抱きつかれることになるのだった。


(そして翌日、職場で眉間にシワを寄せた彼を見て、この子犬のような姿を思い出し、笑いそうになるのは私の特権だ。)

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