第10話 零士の気持ち

「陽介、あのさ……」と、零士さんが、突然、少し低めの声で呼んだ。その声は、いつもの冷静なものとは違って、少し不安そうで、震えているようにも感じられた。


「うん、何?」と、俺は少し緊張しながら答えた。


「今日は、本当に特別な日だから、どうしても伝えたかったことがあるんだ」


 零士さんの言葉は、普段の穏やかな調子とは違って、少し間を置いてから出てきた。まるで、その言葉に何か重い意味が込められているかのようだった。


「伝えたいこと……?」


 俺の喉が乾いていく。言葉がすぐには出なかった。


 その瞬間、空気がピンと張りつめたように感じた。車内の静けさが、逆に二人の間の距離を広げていくようで、息をするのも忘れそうだった。零士さんが続けようとしている言葉に、何か重大なことが含まれているように感じて、心臓がますます速く打つのを感じた。


「最近さ、俺たちの関係が少しずつ変わってきてるの、気づいてるだろ?」と、零士さんは視線を外しながら言った。その言葉には、いつもの冷静さとは違う真剣さが込められていた。


「うん、確かに、ちょっとずつ変わってきてる気がするけど……」と、軽く答えたが、心の中では不安が広がった。


「俺がこれまでお前にしてきたことは陽介を大切にしたかったからだ」


そして、零士さんは深く息を吐いて言った。


「陽介が好きだ」


 その一言が、俺の胸に突き刺さった。言葉の意味がしばらく頭に浮かんでこなかった。耳を疑っていた。


「え?」と、俺は、思わず声を出してしまった。


「陽介、お前のことが好きだ。もっと一緒にいたいと思ってる」と、零士さんは真剣な目で俺を見つめていた。その目に心を引き寄せられるような気がして、思わず目をそらしたくなった。


 その時、胸の中で湧き上がったのは、言葉にできない感情だった。零士さんの気持ちを嬉しく感じる一方で、同時にその気持ちに応えられない自分が切なくて、言葉がうまく出てこなかった。


「零士さん……」


 どうしても言葉が出せなかった。心の中で何度も繰り返していた言葉が、やっと口に出る。


「ごめんなさい」


 やっと、そう言葉を絞り出した。


「え?」と、零士さんは驚いた表情を浮かべ、その目が少し鋭くなった。


「俺、零士さんのこと、好きなんですけど……でも、家族のこととか、色々なことで今は自分のことで精一杯で、今は……」と、何とか理由を説明しようとしたが、その言葉がうまく続かなかった。


「家族のこと? お前も、俺を裏切るのか?」


 その言葉に、体が硬直してしまった。零士さんの表情は、今までの優しさとは正反対の、威圧感を感じさせるものに変わっていた。


「いや、そんな……!」と、俺は反射的に手を振りながら言ったが、目の前で零士さんの気迫に圧倒されそうになった。心の中で叫びたい気持ちはあったが、言葉がうまく出てこなかった。


「なんでだよ……」


 零士さんの声はとても苦しそうで、その言葉が僕の胸を締めつけた。


 その瞬間、何かが破裂したように感じた。零士さんの声が、あまりにも威圧的で、怖くて、体が反応してしまった。息がしづらく、胸が苦しくて、目の前がぼやけていった。


「陽介?」


 零士さんの声が少し驚いたように聞こえたが、その声にも恐怖を感じてしまった。震える手を支えながら、なんとか零士さんを見上げた。


 その瞬間、零士さんの表情が一瞬で変わった。険しい顔つきが、すぐに驚きと後悔に変わった。


「そんなに怖がらせたか……?」と、零士さんは声を落として言った。その顔には、混乱と申し訳なさが浮かんでいた。


「すみません……」と、俺は声を震わせながら言った。自分でも何が起きたのか分からなかった。零士さんの怖さに押しつぶされそうになって、心が追いつかなかった。


 零士さんはしばらく黙って立ち尽くしていたが、やがて静かに近づいてきて、俺をゆっくりと支え起こしてくれた。その手が思ったよりも温かく感じて、少しだけ安心した。


「ごめんな、陽介。俺、あんな風に言ってしまって」


 その声には、まるで自分が言ったことを信じられないかのような、戸惑いと後悔がにじんでいた。


 俺はその時、彼がどれだけ本気で自分の気持ちを伝えてくれたのかを改めて実感していた。でも、同時にその気持ちに応えられない自分が辛くてたまらなかった。怖かったけど、それ以上に、自分が彼を裏切っているような気がして、胸が締め付けられる思いだった。


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