第27話

「……あの?」


 黙り込んだ水希にシグが遠慮がちに声をかける。水希は振り向きもせずに「あのアカウントは二人で情報共有するために作ったけど」と答えながらキャップを被る。


「わたしは飽きちゃって。結局、ユズが使い続けてただけ」

「そうなんですか」

「そうだよ。そう……」


 自分はそんな彼女から逃げただけだ。彼女が苦しんでいることを誰よりも分かっていたはずなのに。

 ロビーに戻って来るとシグは「ここって、さっきの」と不思議そうに首を傾げた。そして「あ……」と小さく声を漏らす。

 さっきシグと待ち合わせをしていたソファ。そこには一人の少女が座っていた。彼女が着ているパーカーは水希が今着ているものと同じ。シグは迷うように水希を振り返る。水希は彼女から視線を逸らすと少女に向かって足を踏み出した。


「お待たせ。柚希」


 声をかけると少女が振り向く。そして安堵したような笑みを浮かべた。


「良かった……。先に帰ったのかと思っちゃった」

「人と会う約束があるって言ったでしょ」

「うん。その人とそのまま遊びに行ったのかと……」


 心細そうな声。その表情はまるで親を求める幼子のよう。水希は薄く微笑むと「そんなわけないじゃん。それより――」とシグへ視線を向けた。


「ユズに会いたいって子を連れて来たよ」

「え……」


 柚希の顔が強ばったのがわかる。最近の彼女は水希が『ユズ』という名を出すことを怖がっていた。それはそうだろう。今、彼女が苦しんでいる理由はユズという存在なのだから。柚希はシグを見ようとはしない。シグもまた、少し離れた場所から柚希を見ているだけだった。

 ロビーから少しずつ人が減ったきた。もう窓口は閉まっている。残っているのはおそらく会計待ちの人だけだろう。水希は視線を柚希に戻す。彼女は助けを求めるように水希を見ていた。


「……どうする? 会いたくないっていうのなら帰ってもらうけど」


 あくまで優先すべきは柚希の意志。だが、きっと彼女は首を横に振るだろう。その予想通り、彼女は「ううん。会う」と短く答えた。そして立ち上がると軽く深呼吸をして顎を引いた。覚悟を決めたと言わんばかりに。


「――ユズ?」


 振り向いた柚希にシグが囁くように声を掛ける。柚希はシグを見つめると「こんにちは」と少し緊張したような声で言った。シグは悲しそうに微笑む。そして柚希の前に立った。


「久しぶり、ユズ」


 しかし柚希は答えず、ただじっとシグを見つめていた。シグは微笑んだまま「シグだよ、わたし」と泣きそうな声で言う。柚希はじっと彼女を見つめ、そして「ごめんなさい」と俯いた。


「あなたのことは知ってる。でも、あんまり覚えてなくて」

「うん。何か事情があるんでしょ?」


 シグの言葉に柚希は顔を上げた。そして水希を見る。水希は首を横に振った。


「わたしは何も言ってないよ」

「え、じゃあなんで?」

「これ、ユズでしょ?」


 シグがスマホを見せる。その画面を見た柚希は複雑な表情を見せた。


「なんで、わかったの?」

「そりゃわかるよ」


 シグは笑う。


「これ、全部みんなとの思い出でしょ?」

「――思い出」

「これは知砂ちゃんとの、こっちはパピさん。これはミユさんとの思い出。それからこのコスモス畑。これはわたし」

「……そう、なんだ?」

「え?」


 予想外の言葉だったのだろう。シグは笑みを浮かべたまま動きを止めた。柚希は「ごめんなさい」ともう一度謝る。


「わたし、わたしね……」


 しかし柚希は言葉が見つからないのか俯いたまま固まってしまう。無言のまま立ち尽くす二人を病院の職員が遠目に見ているのがわかった。そろそろ移動した方がいいだろう。


「二人とも、場所変えない?」

「えっと、さっきのカフェに戻りますか?」


 シグの言葉に少し考えてから「ううん」と水希は柚希を見た。


「もし、この子にちゃんと事情を話すつもりなら外じゃなくて家の方がいいと思うんだけど」

「家で……?」

「どうせ長い話になるでしょ。柚希、話すの下手だし」

「それはそうだけど……」

「ユズが、話すのが下手?」


 シグが目を丸くしている。水希は苦笑する。


「あんたが知ってるユズは違ったのかもね。で、どうする? あんたも話を聞く気があるの?」

「もちろんあります」

「だってさ、柚希」


 あとは柚希に話す気があるかどうかだけだ。柚希は不安そうに水希を見つめている。いつもそうしてきたように。だが、今は水希が答えを出す番ではない。これは柚希が自分で決めなくてはいけないこと。

 水希が何も答えないことを悟ったのか柚希は眉を寄せながら真剣に悩み、そして「わかった」と頷いた。


「話すよ。ちゃんと全部」

「ん。じゃ、行こう」


 水希が歩き出すと柚希とシグも並んで歩き出す。


「家、近いんですか?」

「すぐそこだよ。歩いて五分くらい」

「え、そうなんですか? てっきりユズの家って知砂ちゃんと同じ駅のところにあるのかと思ってたのに」


 知砂という子の名前は覚えがある。一時期、よく柚希と一緒にゲームセンターで遊んでいたなと思い出す。


「引っ越したのは去年だから」

「去年?」

「そう。病院近い方が便利だったからね」


 水希の言葉にシグは何も言わなかった。きっとそれは柚希の口から聞きたいことなのだろう。シグは隣を歩く柚希のことを見ていた。心配そうに。だが、どこか嬉しそうに。


 ――やっぱりわからないな。


 まるで別人のようになってしまった柚希を見ても、まだこうして話をしたいという。その理由がよくわからない。普通はショックを受けるだろう。自分のことをほとんど忘れてしまっているのだから。

 それなのにシグは柚希の言葉を待っている。柚希もまた、シグならば受け入れてくれると思っている。だからこそ話す覚悟を決めたのだろう。きっと他のフォロワーが相手ならそんな決断はしなかったはず。


 ――なんでだろ。


 考えていると、視線に気づいたのか柚希が不思議そうに首を傾げた。さっきまでの不安そうな表情はもうそこにはない。むしろどこか安心したような顔。その隣ではシグも同じような顔をしていた。その表情があまりにもそっくりで水希は思わず笑ってしまう。


「え、なに? 水希」

「なんで笑うんですか」


 同時に二人が声を上げる。水希は「いや、別に」と誤魔化しながら足元に視線を向けて二人の前を歩き続ける。


 ――この二人の方が双子みたいじゃん。


 そう思わずにはいられない。自分はただ見た目がそっくりなだけの赤の他人だ。

 それでも柚希が必要としてくれるのなら、これから妹になればいい。

 柚希がそうしたように自分がなりたい理想の妹を演じていこう。そうすればいつかそれが本当になる。後ろを歩く二人の存在がそんな気持ちを強くさせていた。

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