柚希とシグ
第28話
大沢柚希は母と二人で暮らしていた。そのことに不満なんてなかった。
朝から晩まで働きづめの母の助けになりたくて友達と遊ぶこともせず家事を手伝っていた。まだ小学校に入学もしていない子供が何を手伝ったところで邪魔でしかなかっただろう。それでも母はいつも笑って「ありがとう」と言ってくれた。だから小学校に上がっても柚希は友人と遊ぶよりも家事を手伝うことを選んだ。
学校が終わればすぐに帰宅して洗濯物を片付け、母のために夕飯を作り、母が帰ってくるまでに宿題を終わらせる。休みの日には母と一緒に部屋の掃除。
それが嫌だと思ったことはない。しかしどうやらそれは同級生にとっては普通ではなく、また可哀想という同情の目で見られることなのだと知った。
遊ぶ時間もないなんて可哀想。そう言ってきた仲の良かったクラスメイトは心配してくれていたのかもしれない。だが柚希にとってその言葉は母を侮辱する言葉にしか聞こえず、そんなことを言われるくらいなら一人でいいと自ら孤立を選んだ。だって母は自分のために働いてくれているのだ。友人と遊ぶより母の力になるのが当然。
そう思っていた。
だがある日、母は知らない男の人と柚希を会わせた。
「お母さんね、再婚しようと思うの」
恥ずかしそうにそう言った母の笑顔は幸せそうで、そこにいるのは柚希の母ではなく新たな生活を望む一人の女だった。
それが四年ほど前の事だっただろうか。それからの生活はあっという間に変わってしまった。母は再婚し、家には知らない男の人が住むようになった。三人で住むには狭いからと住み慣れた街を離れ、それを機に母は仕事を辞めて専業主婦になった。
家には母がいて、家事は母の仕事。そこに柚希の居場所はない。
母は「家のことはもう気にしなくていいから普通の学生生活を楽しんでね」と笑顔で柚希に言うのだ。それはまるで今までの生活を否定されたようで悲しくて、どうしたらいいのかもわからなくて途方に暮れた。
友人はいない。家にいてもやることがない。幸せそうな両親の間に自分の居場所はない。次第に母の前で笑うことすらできなくなっていた。
その頃だっただろうか。街中で自分と瓜二つの少女と出会ったのは。
双子の妹。彼女は本当に自分とよく似ていた。考え方も仕草も、そして他人や自分に興味がなくて無表情なところも何もかも。
「……ねえ、SNSやってみない?」
そう提案したのは柚希の方からだった。もっと自分の半身のことが知りたい。そう思ったからだ。きっと水希も同じ気持ちだったのだろう。アカウント名も二人で決めた。柚希と水希だからユズ。
「でもさ、これってわたしの名前じゃん?」
「今気づく? 普通は名前を決めた時点で気づくよ」
そう言って水希が笑ったときのことをよく覚えている。初めて見た彼女の本当の笑顔だったから。
――でも。
柚希はキッチンに立つ水希へ視線を向けた。水希は無表情にケトルからマグカップに湯を注いでいる。
あれがはっきりしている柚希の記憶の最後だ。柚希は小さく息を吐いてテーブルに置いたスマホの画面を見つめる。そこには水希と一緒に作ったユズのアカウントページ。だが、そこに表示されているポストについての記憶は曖昧だった。通知タブにはずらりと並んだシグからの言葉。
「それ、ごめんね」
向かいでクッションの上に座ったシグが申し訳なさそうな声で口を開いた。柚希は「え?」と顔を上げる。
「リプ、めっちゃ送っちゃって……」
「ああ」
柚希はどういう表情をしたらいいのかわからず、ただ微笑んだ。
「悪いのはわたしだから」
「そんなことは――」
シグは口を閉ざす。気まずい沈黙。そのとき水希が「はい」とトレイにマグカップを三つ乗せて持ってきた。
「柚希はカフェオレ。シグは珈琲飲める? もう淹れてから言うのも何だけど」
「飲めます」
シグは笑顔で礼を言ってマグカップを手にする。この部屋に彼女がいることがとても不思議だ。しかし決して嫌ではない。母や父がこの部屋にいるときの方が居心地が悪い。
「――それで」
しばらくしてからおもむろに口を開いたのは水希だった。
「話すならさっさと話せば? わたし邪魔だったら部屋に行ってるけど」
「そんな、邪魔なんて」
思わず柚希が言うとシグが「そうですよ」と頷いた。
「いてください。きっと水希さんがいてくれた方がユズ……柚希さんも話しやすいと思うから」
「そんなことはないと思うけど?」
「でも、きっと普通は話しづらいことなんですよね」
シグの声は優しい。不思議と落ち着く声だった。以前にもこうして話をしたような、そんな気がする。いや、きっと話をしたことがあるのだろう。だからこそ彼女はこうして自分に会いに来てくれたのだから。
「そう、だね」
柚希は呟きながらマグカップを見つめる。どこから話せばいいのだろうか。シグとはいつ知り合ったのだろう。何を話したのだろう。どんな自分だったのだろう。考え始めると何もまとまらない。
柚希は水希に視線を向ける。すると彼女は眉一つ動かすことなく「ユズっていうアカウントは共同で作ったってところまでは話してある」と言った。
「それ以外のことは何も話してないから」
「うん」
ぶっきらぼうな水希の言葉。自分には関係のないことだと言わんばかりにスマホをつつき始める彼女だが、その場から動かないのは心配してくれているから。彼女は妹ではなく、まるで姉のようだった。
柚希はマグカップに視線を戻して「どこから話そうかな」と呟いた。シグは何も言わず、ただ待ってくれているようだった。柚希は考えながらスマホに視線を移す。
「今のわたしがはっきり覚えてる記憶ってね、このユズっていうアカウントを水希と一緒に作ったところまでなの」
柚希はスマホの画面から目を逸らさず「このアカウントを作って少し経った頃に――」と続けた。
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