水希とシグ

第25話

 SNSのアカウントを作ったのは、たしか四年前の夏休みだっただろうか。目的があって作ったわけじゃない。ただの暇つぶしだった。名前をどうしようかと相談して『ユズ』にした。作ったあとで彼女が「これ、わたしじゃん?」と気づいたように呟いたときは面白かった。

 彼女は水希の言うことは素直に信じて受け入れていた。『ユズ』という名前も「わたしとあんたの名前を合体させたらそうなった」と言えば最初は素直に納得していた。普通はその時点で気づくだろうと大笑いしたのを覚えている。

 結果的にそのアカウント名にして良かったと思う。結局それを使い続けていたのは彼女だったから。今だってたまにログインしているはず。ポストもリプもしていないが、タイムラインや過去のやりとりを見ていることは容易に想像がつく。

 そこに残された言葉は彼女に向けられた言葉で、そこから相手に送られた言葉は彼女が残した言葉なのだから。たとえ彼女の中にその言葉たちが消えていたとしても彼女の言葉を受け取った人たちの中には今も残っている。

 昨日、ここで遭遇してしまったあの子のように。


 ――来るかな。


 もうすっかり通い慣れた病院のロビーでソファに座りながら大沢水希は『ユズ』のアカウントのSNSを開いていた。作ってから水希がこのアカウントでログインしたことは数えるほどしかない。

 そもそもSNSの何が面白いのかわからない。ここで知らない誰かと繋がって何が楽しいのだといつも冷めた目で見ていた。今だってそうだ。どうして彼女がこんなにもただのネットの知り合いに対して執着しているのかわからない。それでも彼女のために何かできるのならと思わずにはいられない。


「シグ、か」


 昨日リプを送った相手のアカウントページを表示する。アイコンは何かの花の画像。プロフィールには何も書かれていない。フォロワーも少なく、ほとんどポストもない。

 こんな相手と会って彼女は何を話していたのだろうか。何が楽しかったのだろうか。そして、何が悲しかったのだろうか。

 そのとき人の気配を感じた。スマホの向こうにはスニーカーが見える。水希は被っていたキャップを少し上げると目の前に立つ少女に視線を向けた。そこに立つ彼女の顔にはなぜか見覚えがある。どこで見たのだろう。彼女が見せてくれた画像だろうか。

 考えていると目の前の少女は「あの……」と緊張した面持ちで口を開いた。わざわざ水希を見て話しかけてきたということは彼女がシグなのだろう。

 水希は「こんにちは」と言いながら立ち上がる。すると彼女は一瞬目を大きく見開き、そして悲しそうな顔で「こんにちは……」と返した。水希はため息を吐くと「場所、変えましょうか。喉渇いちゃって」と先に歩き出す。


「え、あ、はい」


 後ろからは慌てて追ってくる靴音を聞きながら、ああ、そうだと思い出す。彼女は確かミユと一緒にカフェにいた子だ。あのときもさっきと同じような顔で水希のことを見ていた。びっくりしたような、そして悲しそうな顔。こんな顔を見たのは何度目だろう。彼女が仲良くしていた子たちはみんな自分を見るとこんな顔をする。


 ――めんどくさいな。


 内心そう思わずにはいられない。これは彼女がするべきことであって自分がするべきことじゃない。彼女がいっそのこと全部断ち切ってしまえばそれで終わりなのに。思ったが、それができないこともよく理解していた。

 水希は建物を出ると駐車場をぐるりと回って敷地内にある別棟に入った。そこは食堂やカフェが併設されているリハビリ棟。見舞客や通院患者はあまり訪れない建物なので比較的カフェも空いている。

 水希はカフェ店内に入るとレジで珈琲を頼み、いつもと同じテーブル席に着く。シグも無言のままドリンクを注文すると水希の向かい側に腰を下ろした。


「――こんなところにカフェがあるんですね」


 会話に困ったのか彼女はそんなことを言いながら落ち着かない様子で視線を泳がせている。それでも水希が無言で珈琲を飲んでいると「あの、ユズ?」と彼女は遠慮がちに口を開いた。水希はため息を吐く。


「ユズは珈琲を飲まない」


 すると彼女は驚いたように目を見開いた。水希はキャップを取ると彼女の顔を真っ直ぐに見る。


「わたしがユズに見える?」

「え、なに言ってるの。ユズ……?」


 混乱しているのか、シグは笑っているような困っているような泣いているような、そんな表情を浮かべた。


「わたしは大沢水希」


 水希は名乗る。しかしシグは「大沢水希、さん……」と繰り返すだけで反応は薄かった。


 ――やっぱり言ってないんだ。


 そうだろうとは思っていた。どんなに理想の自分を演じていてもこういうところは臆病なのだ。こういうところだけは自分とよく似ている。水希はもう一度ため息を吐くと「わたしはユズじゃない」と続けた。


「え、でも……」

「まあ、最初は共同のアカウントとして作ったけどね。でもわたしはああいうものにはまったく興味がもてなくて。結果的に柚希があのアカウントを使ってた」

「ユズキ?」

「そう。大沢柚希。それがあんたたちが知ってるユズ」


 水希は珈琲を一口飲んでシグを見つめる。彼女は眉を寄せて「えっと、でもわたしが知ってるユズはあなたで……」と首を傾げた。


「だから違うって言ってんのに。この顔があんたの知ってるユズに見えるわけ?」


 シグはじっと水希な顔を見つめると「顔は、一緒だと思うんですけど」と小さな声で言った。


「でもたしかに表情とか喋り方とかは全然違う人みたいで」

「違う人みたいじゃない。違う人なんだよ。わたしは柚希の双子の妹」


 するとシグは目を大きく見開いて息を呑んだ。


「双子?」

「そう。だからわたしはユズじゃない。わかった?」

「え、でもわたしに今日ここに来るようにリプをくれたのは」

「それはわたし。さっきもいったけどあのアカウントは元々共同アカウントだからね。わたしも使える」

「あなたが……。どうして?」

「どうしてって――」


 水希はシグを見つめながら昨日のことを思い出した。病院のロビーで一人項垂れながら泣いていた柚希のことを。

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