第24話
授業中の静かな校内を足早に抜け出て、そのままバスと電車を乗り継いで病院へ向かう。
到着したのは十四時過ぎ。病院のロビーは混雑していたがソファに座っている人は高齢者ばかり。時雨はロビーをゆっくり一周し、売店の中もぐるりと回ってみる。しかしそこにユズの姿はなかった。当然だ。たまたま思いついてやってきた日に彼女がいるなんて、そんな都合の良いこと起きるわけがない。
「……なにやってんだろ」
パピの影響でも受けたのだろうか。自分の無駄な行動力に呆れてしまう。歩き疲れた時雨はロビーのソファに腰を下ろしてスマホを開いた。
タイムライン上には知砂やミユ、パピのアイコンは見当たらない。それは最近では特に珍しいことではない。彼女たちの生活が変わってきている証拠なのだろう。一日の中で彼女たちのアイコンを見かけるのはごく僅かな時間帯だけ。ネットに居場所を求めなくても彼女たちはリアルで居場所を見つけることができたのかもしれない。
ユズと出会って一瞬でもネットに居場所を見つけたのはみんな同じだったはず。時雨だってそうだ。彼女と出会って何かが変わるような気がした。そしてユズがいなくなり、他の三人は時間をかけて変わることができた。それなのに自分だけは何も変わっていない。まるで置き去りにされたようで情けなくなる。
考えながらタイムラインを遡っていると見覚えのないアイコンのポストが目に留まった。いつもならば別に気にすることもない。だが今回は違う。その内容が気になったのだ。
『ゲームセンター。UFOキャッチャー前のベンチで待ち合わせ』
ただそれだけ。しかし、その言葉には覚えがある。
――偶然?
時雨はそのアカウントページを開いてみる。それはパピと海に行ったときの帰り道にフォローされていることに気がついた『Y』というアカウントだった。あのときはまだ作られたばかりで一つもポストはなかったはず。しかし今では十数個のポストが流れていた。
『百円を借りてゲーム』
『冬の海に行った』
『ロビーでお姉さんとお喋り』
『カフェのケーキが美味しかった』
そんな短い、まるで何かを記録しているかのようなポスト。そのほとんどに覚えがある。中にはよくわからないものもあったが、一番最初にそのアカウントがポストしている内容を見てそうだと確信する。
『コスモス畑でピクニック』
それを見た瞬間、記憶に蘇るのは乾いた風が吹き抜けるコスモス畑で楽しそうに笑うユズの姿。それは時雨がユズと初めてリアルで会った日のことに違いなかった。でなければ、こんなポストを花の時期でもない真冬にするわけがない。
「ユズ……?」
だが、相変わらずこのアカウントがフォローしているのは時雨だけだ。フォロワーを見てもスパムのようなアカウントだけ。本当に彼女であるのならば、どうして時雨だけをフォローしているのだろう。確かめたい。しかし別人だったらと思うと気軽にリプを送ることもできない。
画面の上を親指が彷徨う。どれくらいそうして迷っていただろうか。結局リプを送ることもできずに診療時間が終わりを迎えた。窓口は次々と閉められていき、ロビーからも人が少なくなっていく。
――次のポストがあったときにリプしてみよう。
時雨はため息を吐いて立ち上がると周囲を見渡した。時雨のようにぼんやりとソファに座っている人がいる。時雨と同じ年頃の少女だ。誰かを待っているのだろうか。目深にキャップを被り、背を丸めて座っている。具合が悪いのかもしれない。もしかしたら動けなくなっているのかも。
心配だが声を掛ける勇気などない。誰かを呼んだ方がいいだろうか。考えながらしばらくじっと彼女を見つめていると、その視線に気づいたのか彼女が顔を上げた。
「え――」
思わず時雨は声を漏らす。そこに座っていたのは紛れもない、ずっと会いたかった相手。ユズだった。だが、そこには時雨の知るユズの表情はない。力の無い虚ろな目でこちらを見ていた彼女は時雨が動かないことに困ったように眉を下げて「こんにちは」と軽く会釈をした。まるで初対面のように。
気づいたときには時雨はその場から逃げ出していた。全力で病院を飛び出し、バス停まで走る。そしてバス停のベンチが見えてきたところで少しずつスピードを緩めて足を止めた。息が苦しい。だが、そんなことがどうでもいいくらいに混乱していた。
あそこに座っていた彼女は間違いなくユズだ。顔を見間違えるはずもない。それなのに彼女はまるで知らない人を見るような顔で時雨のことを見ていた。困ったように、そして不思議そうに。
――ありえない。
そう。ありえない。確かに一緒に遊びに行った回数は二回だけだ。みんなと遊びに行ったのはもう一年半も前になるが、その後もミユと一緒にカフェで会っているのに。
いや、あのとき会ったユズもまた今日の彼女とは違う雰囲気だった。今日の彼女はまるで他人のようだったが、あのときの彼女は時雨のことを分かっているように見えた。
「なんで……」
わけがわからない。
時雨はスマホを取り出してSNSの画面を開く。このことを誰かに伝えなくては。一瞬そう思ったがすぐにその考えは消えていく。
誰に言えるというだろう。今のみんなにとってユズがどういう存在になっているのかもわからない。もうみんなユズへの興味を失っているかもしれない。そう思うとよくわからない不安が生まれてくる。
たった数ヶ月。しかしその数ヶ月で彼女たちの環境は変わり、リアルでの生活が充実していることは確かだ。
このままみんなとのやりとりが減ってしまったとき、果たして自分は彼女たちにとってどんな存在になるのだろうか。友達から知り合い、そして知り合いだった人という存在になるのか。もしかするとユズすらも時雨のことをそうやって忘れてしまったのかもしれない。そう思うと怖くて無性に悲しくなる。
そのときSNSの通知欄にマークが表示された。ミユはまだ仕事中のはず。知砂かパピだろうか。
時雨は気持ちを落ち着けようと深く息を吐き出してから通知欄をタップする。そしてそこに表示されているアカウント名に驚いて目を見開いた。
――ユズ?
一年以上も動いていないユズのアカウントからのリプ。それは短い言葉だった。
『明日、同じ時間同じ場所で』
それは先ほどの彼女がユズであったということを証明する言葉。あの他人のような顔をして挨拶をしてきた彼女は、やはりユズに間違いなかったのだ。そしてこうしてリプをしてきたということは彼女が時雨のことを覚えていたということ。
――じゃあ、なんで。
目の前に低いエンジン音を響かせてバスが停車した。時雨はバスに乗り込むと空いている席に座ってスマホを見つめる。
なんと返せばいいだろう。他の誰かがこのリプに気づいて何か反応をしてくれたりしないだろうか。思いながらタイムラインを眺める。そこには授業が終わったのか、知砂とパピのアイコンがある。だが、二人ともユズから時雨へのリプには無反応だ。やはり、もう二人にとってユズの存在は過去のものになってしまったのだろうか。それともただ気づいていないだけか。
返信をしないまま家への道を辿る。駅から電車に乗り、電車を降りて再びバスに乗る。すっかり外は暗い。そういえば親に早退したということを伝えていなかった。また怒られてしまうかもしれない。
いや、病院には行ったのだ。それに体調が悪いことだってウソではない。だってこんなにも胃が重い。気分が沈んでいる。全身が怠いような気もする。だから明日も学校を休もう。そして病院へ行く。
自宅から一時間以上もかかる一度も診察してもらったことがない病院へ。
時雨は窓の外に向けていた視線をスマホに戻した。そして彼女からのリプのハートマークをタップする。赤いハートが弾けるように表示された。
――明日、会える。
そこで何を話すのだろう。何を言われるのだろう。彼女は時雨のことをどんな目で見てくるのだろう。
ゆっくりとバスが停車してドアが開く。時雨は複雑な気持ちを胸にしたまま立ち上がった。
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