第23話

 寒かった冬はあっという間に終わってしまった。教室の窓からは緑の葉を揺らす桜の木々が見える。学年が上がって新しいクラスになっても時雨の日常はそれまでと何一つ変わらない。

 知砂やパピ、それからミユとは定期的にやりとりが続いている。高校生になった知砂は仲の良い友達ができたらしく、最近では一緒に遊ぶ頻度が減っていた。それでもDMで日常の出来事を教えてくれるので疎遠になったという感じはしない。

 パピからは時々、どこか遠くへ行こうと誘われるようになった。彼女は時雨と遠出することを楽しみにしてくれているようで、日頃のやりとりは次の目的地を決めるための相談が多かった。

 ミユとは一ヶ月に一度くらいカフェでお茶をするようになっていた。ミユは新しく就いた仕事にも慣れ、パートナーとは一緒に暮らし始めて順風満帆の生活を送っているらしい。

 みんな前に進んでいるのだろう。いつの間にかもう誰もユズのことは話題にしなくなっていた。それなのに時雨だけは何も変わっていない。

 毎日のようにユズの新しいポストがないか確認し、決まった三人とだけリプのやりとりをする。相変わらず学校で友達はいない。緒方ともクラスが離れてしまい、話し相手すらいなくなってしまった。

 チャイムが鳴って教室の空気が動き出す。お喋りをしていた子たちは大人しく席に戻って授業の準備を始めていた。時雨もまた授業道具を用意して教師が来るのをぼんやりと待つ。そうしながらも頭の片隅ではユズのことを考えていた。

 この数ヶ月間、いくら彼女のアカウントにリプをしても返信はなかった。そもそもログインしているのかどうかもわからない。単純にSNSに飽きてしまったのかもしれない。それならそれで構わない。しかし、みんなから聞いたユズの様子からどうしてもそうは思えない。

 時雨は開いたノートにペンを走らせる。

 誰が一番古くからユズのことを知っているのだろう。考えてから知砂の名前を書く。たしか知砂から話を聞いたときは二年前の春にユズと仲良くなったと言っていた。今から逆算すると三年前。知砂から聞いたその頃のユズは時雨もよく知る彼女と変わりないように思う。明るくて他人を放っておけなくて前向きでアクティブで。


 ――いつ頃から様子が変わったって言ってたっけ。


 いつの間にか授業が始まっている。それでも構わず、時雨はペン先でノートをトントンと叩きながら知砂との会話を思い出した。たしか、みんなと遊びに行く少し前。一昨年の十二月頃だったか。それよりも前から様子は少しおかしかったとも言っていた気がする。その次にユズと会っていたのはミユだろうか。たしか彼女がユズと初めてあったのは今から数えると一昨年の春、病院で。


 ――病院、か。


 平日でも毎日のようにユズは病院に来ていたという。しかしユズとの会話を思い出してみても彼女が病院に通っているような雰囲気はなかった。いつも笑顔で楽しそうで、そして他人のことを心配して励ましていた。しかし、ふと不安になる。時雨はユズから何か悩みを聞いたことはない。他の誰からもユズに相談事をされたという話を聞いたことがない。悩みがないなんてことはなかったはずなのに愚痴すらも聞いたことがなかった。

 時雨たちは所詮はネットでの知り合い。悩みを相談するような仲ではない。そうユズが思っていたとしたら体調が悪いことを隠していたとしてもおかしくない。


 ――具合が悪くなって、それで連絡ができなくなったとか?


 しかしミユと一緒にカフェで会ったユズは外見的に健康そうではあった。パピが会ったというユズも具合が悪そうな感じではなかったのだろう。ただ、人が変わったような態度を取っていただけ。


 ――何があったんだろう。


 時雨やみんなが知るユズはそんな態度を取るわけがない。もし機嫌が悪かったとしても、いきなりあんな態度を取るような性格ではないのだ。考えれば考えるほどわからない。ただ彼女に何かがあったのだろうという漠然とした不安だけが大きくなっていく。

 時雨はノートに書いていた『病院』という文字にペン先を向けてトントンと叩く。

 一番最近、彼女を見たという場所は病院だ。そしてミユの呼びかけにだけユズは答えていた。それはミユだけが知っていたからではないだろうか。ユズが病院にいたということを。逆を返せば、あの日のユズの態度がおかしかったのはもしかすると時雨があの場にいたからではないか。

 しかしいくら考えてもモヤモヤした気持ちが増していくばかりで何も解決しない。


 ――また行ってみようかな。病院に。


 もうミユは病院に通っていない。もしユズがまだあそこに通っていたとしても誰かが気づくことはない。もしかしたら会えるかもしれない。

 教師の声を聞き流しながら時雨は頬杖を突いて考える。

 こんなにも彼女に執着している自分は異常なのだろうか。他のみんなのように彼女のことを少しずつ忘れていく方が普通なのだろうか。


 ――シグと一緒にいるとなんか安心するんだよね。


 そう言って笑った彼女の顔が忘れられない。あの、笑っているのにひどく寂しそうな表情が。時雨が会った頃の彼女には知砂やミユ、パピがいた。それなのにひどく寂しそうだったのはなぜだろう。その理由を聞くことができていれば何か違っていたかもしれない。

 しかし記憶の中の自分は何も言えず。ただ笑って「そうなんだ」と答えているだけ。自分にとって眩しい存在だった彼女に尻込みして何も言えなかった。彼女と会えなくなる日がくる。そんなこと考えもせずに。


 ――病院に行ってみよう。


 当然、会えるとは限らない。きっと会えない確率の方が高い。それでもこのまま日常の中に閉じこもっていたら、きっと後悔する。時雨は顔を上げると「先生」と手を挙げた。


「ん? どうしましたか、笠本さん」


 気づいた教師が怪訝そうに時雨に視線を向ける。時雨は「体調が悪いので早退します」と立ち上がった。教師を目を丸くしながら「そうですか」と頷く。


「えっと、じゃあ一応、保健室に行ってから――」

「いえ。病院の診療時間が終わってしまうので帰ります。すみません」


 言いながら手早く荷物を鞄に詰め込むと教師の言葉を無視してそのまま教室を出た。

 ミユの話ではロビーでユズと話をしていたのは十四時くらい。今から行けばまだその時間に間に合いそうだ。入院中かもしれないという考えは頭から消す。彼女が入院するほど具合が悪いなんて考えたくもなかった。

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