第16話 間があいて、タイトル案

 ここ数日、ちょっとカクヨムを開いて書き始めたものの書き上げられずでした。小説も手が進んでいないのですが、それでもタイトルはふとした瞬間にこれだ! と引っかかるアンテナは張れているなと。


 というわけでタイトル案です。シンプルに不登校とか学校という単語を出さずに、なんとか多面的な視点みたいなのが入れられたらなぁと思っていました。


 それは多分書こうとしているのが子どもだけでも親だけでもなく、学校の教師や心理士、医者などの視点も入れていきたいなと考えているからです。(できるかは不明ですが)


 というわけで、多分昨日Xで軽くバズったようで、誰かが小説のタイトルみたいと書かれていましたが、私もそう思ったのでとりあえず仮のタイトル案です。


『蝉は夏を知らない』


 仏教の言葉だそうです。


蟪姑けいこ=蝉春秋をらず

伊虫このむし=蝉あに朱陽の節を知らんや


『往生論註』曇鸞


 蝉は秋(冬)春をしらない、ならばどうしてこの蝉が夏を知ることができようか(いや知ることはできない)


 という文言だそうです。なるほどなぁと。


 それを不登校に置き換えると、学校は不登校を知らない。もしくは不登校は学校を知らない。あるいは親は子どもを知らない。子どもは親を知らない。


 戦争体験者になぞらえる方もいらっしゃいました。戦争が日常の世代が、穏やかな戦争のない暮らしを知っているか? 幼いときから戦争が日常であれば、戦争のない世界を知らないことになる。


 いろんな視点からの物語にとても合いそうだなと感じました。


 また、蝉は夏しか知らないというのは、違うという意見もありました。蝉って、羽化する前の地中で過ごす時間のほうが圧倒的に長いそうです。日本では1~5年くらい(蝉の種類による)地中暮らしの長さがあるそうです。


 つまり土の中で夏以外も体験しているというわけだそうです。これもちょっと面白いと思っていて(不謹慎かもですが)、不登校ってまるで土の中の蝉みたいだなと。実は観察が難しいそうで、蝉の地中時代の暮らしはまだ謎が多いようです。


 なので『地中の蝉』もいいか? と思ったのですが、流石になんかそこまで行くと、蝉の会とかで不登校親の会が立ち上がりそうです。作中で母親が不登校の親の会を蝉の会と言って立ち上げても面白いかもしれません。


 あとは、このエピソードを作中で誰に言わせるか。これ、自分でも楽しみになってきました。全くクライマックスシーンでもないのですが、前半か真ん中あたりに誰かに言わせたいなと。子どもにいうか、親にいうか両方か。


 というわけで、『蝉は夏を知らない』いい感じでは? と思っていますが、きっと他の人も同じことを思っているでしょうから誰か先に使われることもあるだろうなと。そうなったら仕方がないのですが、まぁタイトルは著作権もないので、つけたもん勝ちですね。


 タイトルの表現の美しさや意味深さになんとか引けを取らない内容を描いていきたいなぁと思うのでした。


 真面目に、書けるといいなぁ……というのと、締切を今年の7月でチャレンジしてみようかしら? (無謀)と思ったりしているのでした。来年の7月か他の締め切り合わせにしつつ書き上げて見るのもありかもですね。


 

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