もう一度、愛。

葉月楓羽

もう一度、愛。

「彩衣が死んだの。」


一瞬、お母さんがなんて言ったのか理解しかねた。

解せない…。つい昨日まであんなにピンピンしていたのに。


私、楓山 彩羽いろはの双子の姉、楓山 彩衣あいが亡くなったと知ったのは、姉妹で仲良く科学館へ行った次の日だった。

一緒に科学館へ行った昨日はなんてことなかった。

むしろ、いくら殺されてもよみがえりそうなほど生命力に満ちていた。

それなのに……。


彩衣は今日の朝早く、お気に入りのビールを買おうと近所のコンビニへと出かけていた。

コンビニからの帰り道、薄暗い交差点を渡ろうとした彩衣のもとへ一台のトラックが突っ込んできた。

幸いにもトラックの運転手は良心のある人で、すぐに車を止めて彩衣のもとへ駆け寄り、119番通報した。

お母さんの話によれば、その人はそのまま自ら警察へ届け出たらしい。

救急車で病院に連れて行かれた時にはもう意識不明の重体だった。

それから救命手術が行われたが、努力も虚しく、ついさっき亡くなった。

つい昨日、いや今朝まで当たり前にしゃべっていて、おなかの中にいるときから一緒にいる大好きな双子が死んだ。

どうしてもどうしても現実が受け入れられないままでいた。


私と彩衣はとても似ていた。好きなもの、嫌いなもの、得意なこと、苦手なこと……一卵性双生児だったことも相まって、性格を除けば区別できないほどそっくりだった。

きっとこれから苦しくなると思った。

何も知らない人から彩衣と見間違われることが少なからずあるだろう。今までもそうだったから。

この先を考えただけでどうしようもなく苦しかった。

私たちは箸のように、あるいは靴下のようにいつも2人で1つだった。

片方のいなくなったこの喪失感は到底言語化できるようなものではない。

何か、この隙間を埋めるものがほしい。

だた強烈にそう思った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


それから数日間の記憶ははっきりとはない。

ただなんとなく、時が過ぎていった感覚がしただけだ。

彩衣の葬式があり、通夜をこえ、3日ほど経った頃だと母は言っていた。

葬式では抑え込めないほど私は大号泣しており、酸欠により一時は意識を失っていたとか。

一切の記憶が抜け落ちてただぼんやりと過ぎ去っていく時に流されていた。


私の部屋の棚の上に彩衣の遺影が置いてあった。

母によれば、私が置いてほしいと頼んだそうだ。

ただ、これを目にするたびに改めて彩衣の死を実感してしまう。

今更ながら私は遺影を部屋に置いたことに後悔した。

そこで私は彩衣とお揃いで買った白いレースのハンカチを遺影にかぶさるようにひらりと置いた。

こうすれば、見えない……。

それでもどうしても拭いきれない喪失感があった。


ふと私は、気休め程度に彩衣によく似たロボットでも作ろうと思った。

私はもともと機械に興味があり、大学では機械工学などを学んでいた。

たとえそのロボットで私の喪失感が拭いきれなくても、きっと作っている間だけでも無心になれるだろう。


思っていたよりも「彩衣」づくりは順調には進まなかった。

外見に至っては私と彩衣は瓜二つだったため、いわば参考資料が一番身近にあるようなもので容易に作ることができた。

けれど、彼女らしい言動をプログラムする際に生前の彼女について思い出さざるを得なかったので、いろいろと込み上げるものがありぐずぐずと前に進めなかった。まさに一進一退というような状況だった。


AIに彼女との過去の会話や彼女が言ったこと、彼女の口癖を打ち込んでいく。

懐かしさと悲しみとどうしようもない虚無感でぐちゃぐちゃになりながらも作業を続けた。

一度、情報が足りているか試すためにプレビューを表示する。

するといかにも彼女が言いそうなセリフが表示され、涙する反面、おかしな笑いが込みあげてきた。


その後もいろいろな微調節などを重ね、彩衣が亡くなってからちょうど1年半経とうとしていた頃にやっと彩衣のロボット、アイが完成した。

その出来はとても良いものだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


アイが完成したその日から、私とアイとの生活が始まった。

母も父も昔から私の奇行を見てきているのであまり口出しはしてこなかった。

ただ、発言といい、行動といい、一挙一句がやけに彩衣に似すぎているがゆえにあまり目には触れたくない様子ではあった。

私は基本的に自分の部屋の中でのみアイと過ごし、なるべく部屋の外へアイを連れていかないようにした。

アイは思っていたよりも随分出来が良すぎていて、幾度か本物の彩衣かと錯覚した。

いや、むしろ錯覚するように作っていたのだ。


今、私の部屋には私とアイとの二人きりだ。

本来、私と彩衣は別々の部屋なので少しだけ部屋が狭く感じた。

けれどそんなことも気にならないくらいアイは大人しかった。

寝ているのだろうか。(厳密にはアイはロボットのようなものなので「寝る」という概念は存在しないが)確かめるため、ソファにぐでっと腰を掛けているアイに声をかけてみた。

「あい~?」

「いろはあ?お姉ちゃん忙しいから声かけないで~。」

寝ぼけている時の彩衣の口癖だ。

双子で実質年齢差はないのにやたら「お姉ちゃん」を強調してくるのもいかにも彩衣らしい。

ついくすくすと笑ってしまう。

「なに?ほんと相変わらず生意気なんだから、彩羽は…!!」

不機嫌そうに口を尖らすその様さえ彩衣と遜色ない。

あぁ、やっと会えたね、久しぶりだね、彩衣。お姉ちゃん。

私は不意にぎゅっとアイを抱きしめていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


アイは何も食べることができない。

私はその様子が蚕のようだと思った。

けれどもアイは何も食べることができないということを理解していないらしく、まさに今、私が食べてるプリンに手を伸ばしてきた。

「彩羽!!そんなケチケチしないで私にも一口!!ほら!!減るものじゃないんだから!!」

「いや減るものだし笑」

生前、何回この会話をしてきただろうか。

いとも自然な流れで再びこの会話ができるとは。

いや、再びどころか。あと何回できるのだろうか。


そんなことを考えながらぱくりと最後の一口を食べた。

「あー!!彩羽ひどいっ!!今度私がスイ―ツ買っても食べさせてあげないんだからね!?」

「勝手にしてよ笑」

まったく、この会話をしていちゃ、どっちが姉なのかわからなくなってくる。

そんなことはどうでもいいくらい、生前と何も変わらない言葉を交わせている喜びが波のように押し寄せてくる。

いたずらっ子のようなあどけなさを残した顔でアイは私に微笑んだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ねえ、アイ?友達にチケットもらったんだけど、科学館の展示見に行かない?」

私がそう声をかけるとアイはパッと明るい顔をした。

「行く!!行きたい!!」

二つ返事で科学館へ行くことに決めた私とアイは急いで身支度をした。

もし彩衣と面識のある人と出会ったらまずいのでアイには少し変装の紛い物をしてもらった。

つば付きの帽子を深くかぶってもらい、度の強い丸眼鏡。それからマスクをつけてもらった。

「なんか有名人になった気分だね。」

くすぐったそうにアイは笑った。

その無邪気な様子が私の心をほぐした。


特に知り合いに会うこともなく、無事科学館に着いた私たちは、まずプラネタリウムを見にいった。

「わーっ!プラネタリウムなんでいつぶりだろうね…。校外学習以来だよー。」

私は理系に進んだため直近でも何度か来たものの、文系に進んだ彩衣は数年振りのプラネタリウムなんだろう。

文系に進んだとはいえ理数系も大好きなアイは、説明のアナウンスがかかるたびにキラキラと目を輝かせて星を追っていた。

「あ、あれ。オリオン座だよね?」

中学生の頃の知識で止まっているのか、誰でも知っているような星座を指差し、アイは自慢げに笑った。

「そうだよ。」

私は深く突っ込むこともせず軽く流して、それから人差し指を口に当てて「静かに。」と合図した。

はっとしたように口を閉じ、再びアイは星に見入った。

私は聞き慣れた説明のアナウンスも聞かず、ずっとアイの横顔に見入っていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


アイは昔からお酒が好きだった。

以前はよく一緒にバーに行ったりもした。

アイがお酒に強い反面、私はあまりお酒には強くなかったため、アイが色々なお酒をたくさん試している隣で私はノンアルカクテルや度数の低いカクテルをちびちび飲んだのももう1回や2回ではない。

けれどアイが人目につくのが怖くて長らくバーには行けていなかった。

お酒好きのアイにとってはしんどいことだろうと思い、何かひとつお酒でも買ってきてあげようと思い立った。

アイが好きなお酒の種類がわからなかったので、以前よく行っていたバーのマスターに聞いてみることにした。

正直なところ自分が普段飲みもしないお酒を買うためだけにバーに行くのは億劫だったが、アイのためと思えばこればかりはしょうがない。


久しぶりにバーに入るとマスターは少し驚いた顔をして私を迎えた。

「彩羽ちゃんの方だね?いらっしゃい。」

薄暗くて異質な空間。懐かしくて不意にほろりと笑みが溢れた。

事情を話すとマスターはすんなりアイの好きなお酒を教えてくれた。

「彩衣ちゃんはとにかくね、シェリーが好きだったね。特にフィノがお気に入りみたい。」

私はなんのことかさっぱりだったがアイの好きなお酒の種類が知れたからそれでよかった。

少し値は張ったものの、アイへの日頃の感謝も兼ねてそのお酒を買い取った。

お酒を買い取るだけだと申し訳なかったので、ノンアルカクテルのコンクラーベを頼んだ。

久しぶりに飲むコンクラーベは木苺の甘みとオレンジの酸味が優しかった。


フィノを抱えて帰るのはなんだか楽しかった。

アイに喜んでもらえるかな、と想像するだけで胸が躍った。

「ただいまー。アイ、お酒買ってきたよー!」

そう言うとすぐアイが反応した。

「珍しいじゃん!彩羽って酒苦手でしょ?何買ってきたの!」

「シェリーのフィノだよ。アイが好きって聞いて。」

「ほんと!?私、フィノが1番好きなんだよー!でも酒が苦手な彩羽は飲めないかもね!笑」

他愛ない会話をしながらグラスにフィノを注いでいく。

「はい、どうぞ。」

飲み物くらいは飲めるように設計してあるため、早速アイはフィノを飲み出した。

「んー!美味しい!これだよ、これ。やっぱいいね〜!」

美味しそうにフィノを飲む姿がとても可愛かった。


いくらアイがフィノを好きとは言えど、1人で全部飲み切るのは流石に無理だろう。

けれど余った分を捨てるのはさすがにもったいない。

そのままでは私にとっては度数が高いので、余った分はミルクやサイダー、水で割って飲むことにした。

辛口のフィノは私の口には合わず、消費するのには時間がかかった。

やっぱり私は甘いコンクラーベの方が好きだ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ある日のお昼、アイは張り切ったように私に声をかけた。

「彩羽?今日はお姉ちゃんがご飯作ってあげる!!」

「いや遠慮しとくよ。何回卵焦がしたと思ってるのよ、あなた。」

「うっ…。そ、それはフライパンが悪いんだってば!!」

必死に対抗するアイを尻目に私はご飯の準備を始める。

「アイはそこらへんで休憩でもしててよ。」

返事は返ってこなかった。

でも私はこの異変に気が付かなかった。


フライパンで野菜を炒める音が心地よく響いていた。

軽い飴色に色付いてきた野菜の中にケチャップとご飯を入れる。

そのまま適当に炒めながら別の鍋に卵と牛乳を入れて弱火にかける。

どちらもいい塩梅になってきたので火を止め、お皿に盛りつける。


「今日のお昼はオムライスだよ。お皿持ってって~。」

背を向けたまま私はアイに声をかける。

けれど、返事はなく私が放った言葉だけが虚しく宙に浮いた。

「アイ~?」

もう一度声をかけてみたが返事が返ってこない。何かおかしい。

「アイ?アイってば!!」

やっぱり返事は返ってこない。

振り返ってみると中途半端な場所で突っ立っているアイがいた。


「ちょっとアイ?なにぼーっとしてんの?ご飯よ、ご飯。」

ぱしっと軽くアイの肩をたたいた時、異変に気が付いた。

アイが、異常なほどに軽い……。

言うのであれば質量自体は変わってないものの、重力が一切働いていないような、そんな軽さだ。

やばいと思った時にはもう手遅れだった。

そのままアイは後ろに倒れていった。


「あーあ、電池切れかな………。」

口では何を言っているのかわかっているのに、ただの記号のように、あるいは知らない国の言葉のように感じた。確かに自分の口が放った言葉なのに。

電池切れ…?アイは生きてて…違う、アイは私が作ったロボットで……いやいや、今までの行動がロボットの行動なわけ……だから、それは私がプログラムしたからで………。

頭がおかしくなってしまったようだ。ついには自分が何を考えているのかさえ分からなくなっていた。


そして反射的にぱたりと倒れたアイの首元にそっと手を伸ばす。

「私はもういないんだよ。」

アイに触れかかった指がピクリと動く。

「あぁ、余計なプログラムをしたな……。」

不意につーっと一筋の涙が頬を伝う。

無機質なプログラムによるアイの声に重なって確かに彩衣の声が聞こえた。

「そっか、私、間違ってたんだね……」

写真立てにかぶさっていた白いハンカチがふわりと落ちた。

そこにはあたたかい笑顔の楓山 彩衣の遺影が確かにあった。

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