第15話 スイッチ切れシンクタンク
後日、夕食を食べてから「喫茶微睡」を訪れた。
「お好きなお席にどうぞ」
店奥の奥まったテーブル席に座る。
夕食は食べてきているので、なにか甘いものが欲しかった。
「ケーキとかないのかな」
私が呟くと、透子がぼそりと言った。
「ハリネズミのシュークリーム、限定10個って書いてありました」
レジ横に裏返してあった黒板ボードを店員が脇に動かしたとき、限定云々の文字が見えたようだ。
透子は何にも興味なさそうに見えて、その実、いろいろ観察している。
「限定のシュークリームか。それ食べてみたいな」
でも黒板ボードが裏返してあったのなら、今日はもう注文できないのかもしれない。
「裏メニューなのかな」
レジ横に裏返してある、文字通りの裏メニュー。
その存在を知っている人だけが頼むことが出来るのだろうか。
「すみません、限定のシュークリームというのは頼めますか」
おずおずと手を挙げ、店員を呼んだ。
「申し訳ございません。今日はご用意がありません」
「そうですか、残念」
「ご注文はいかがいたしますか」
甘いものが欲しい気分だったので、駄目元で尋ねてみた。
「ケーキとかはないですか」
「コーヒーフロートならご用意できます。あとはハニートーストとか」
「私はフロートにするけど、透子はどうする?」
「先輩と同じでいいです」
「じゃあ、コーヒーフロートを二つ、ハニートーストを一つお願いします」
「トーストはお一人で召し上がりますか」
「二人で分けます」
「かしこまりました」
店員はカウンターの奥に引っ込んだ。
シンクタンクは様々な領域の専門家を集めた研究機関を指し、官公庁向けであれば社会開発や政策決定、民間企業向けであれば経営戦略支援など、様々な調査・分析をもとに問題解決や将来予測などの提言を行う。
透子は朝五時には起きて海外のニュースや市況の動向をチェックしてレポートを書いて、深夜まで働くのもザラで、普段から頭を使い過ぎている透子は、たまの休みになると、極力頭を使うことを嫌う。
食事のメニューを選ぶのも面倒くさくて、「先輩と同じでいいです」と答える。
仕事に忙殺されて、透子の情緒が日に日に失われていくのが見ていられなかった。休日のたびに透子を無理やり連れ出して、お日様の下を散歩して、うらぶれた喫茶店を巡るうち、透子もちょっとずつ人間らしさを取り戻してきた。
でも、
そうですね。
さあ、なんでしょうね。
会話はだいたいその二つ。
あなた、ほんとにシンクタンク勤めなの、と思う。
そのくせ、限定メニューのハリネズミのシュークリームのことは目敏く見つけるのだから、どうでもいい細部にまで目を光らせるのは間違いなく職業病だろう。
「なんでこのお店、夜しか営業していないんだろう」
「さあ。なんででしょうね」
改めて問うてみたけれど、やっぱり今日の透子もポンコツだった。
透子が役に立たないので、自分で答え合わせをすることにする。
検索すると、グルメレビューサイトが表示され、星一つの辛辣なクチコミが書き込まれているのを見つけた。
【☆1】何もかも最低
コーヒーは冷めている。
カレーも冷めている。
店員は態度が悪い。
営業時間の一時間前に追い出された。
何もかも最低だった。
こんな店、二度と行かない。
まったく、ひどい書きようだった。
「先輩、どうしたんですか」
「いや、ちょっと気分が悪くなっちゃって」
「こういうのは無視でいいんですよ。無視、無視」
透子はしっし、と虫を追い払うような仕草をする。
彼女はもともと
悪しざまな書き込みを無視するぐらいならばまだいいが、眠たいとか、お腹が減ったとか、そういう根源的な欲求も無視するようになったら、いよいよ危ない。
透子がいつ人間を止めてしまわないか心配で、私は出来る限り目を光らせている。
「お待たせいたしました」
店員がコーヒーフロートとハニートーストを運んできた。
「透子、来たよ。ほら、食べよう」
うとうとしている透子の肩を叩く。
「カロリー、ヤバそうですね」
透子はバカでかいハニートーストを見るなり、ちゃんと人間らしい言葉を口にした。
まるごと一斤の食パンにバターを塗って焼き上げ、これでもかというぐらい蜂蜜をたっぷりとかけた上にアイスクリームが豪快に乗っかっている。
見ているだけで甘ったるく、ちょっと笑っちゃうぐらいのボリュームだ。
きっちり半分ではなく、透子が多くなるよう切り分けてやる。
「ほら。食べな、透子」
「いただきます」
透子は激甘のハニートーストを無表情で咀嚼する。
「どう、美味しい?」
「そうですね」
両目は眠そうで、まったく機械のように咀嚼しているが、もぐもぐ咀嚼するうち、なんだかひたすら甘いものを食べたことにようやく気が付いたらしい。
「……甘っ」
よかった、まだちゃんと正常な味覚があるのだと思って安心する。
透子は口直しのため、コーヒーフロートをストローで啜った。
「どう、美味しい?」
「そうですね」
受け答えは相変わらずだが、心なしか微笑みながら食べているような気がする。
私も激甘のハニートーストを食べ、それからコーヒーフロートを飲んだ。
ほろ苦いコーヒーにシャリシャリとしたアイスが溶けて絶妙な味わいだった。
「いいお店だね、透子」
「そうですね」
「また来ようね、透子」
「そうですね」
透子はコーヒーフロートをストローで混ぜた。
甘いアイスクリームが苦いコーヒーに溶けていく。
喫茶微睡はことのほか良いお店であった。
夜の三時間だけしか営業していない不思議な喫茶店。
ほろ苦いコーヒーフロートをちびちび飲んでいる友人を前にして私は思う。
透子、あなた忙し過ぎるのよ。
あなたも働くのは一日三時間ぐらいでいいんじゃないの。
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