針谷一花のむにゃむにゃ業務報告

第20話 悪魔合体

 夜久当眞さんに万葉社長をご紹介していただきました。

「針谷さんはどこの洋菓子店に勤めていたの?」

「言えません」

 針谷の分際で、製菓長シェフの名を呼ぶことさえおこがましい。朝起きられなくて放逐された身としては、一時でも勤めていたなどとは口にもできません。針谷一花なんぞを雇っていたことが知れたら、お店の名前に瑕がついてしまいます。

 何を学んだのか、と言えば、お菓子作りの道は果てなく続く修羅の道であるということと、お菓子を作れば作るほど楽しくなってくるということ。

 万葉社長は女性医師の紹介業を営む会社の社長という触れ込みでしたのに、なぜだか黄金柑なる柑橘を使ったスイーツを考えてほしい、と打診されました。

 女性医師の紹介業と柑橘を使ったスイーツがさっぱり結びつかず、頭の中では盛大にクエスチョンマークが点灯しておりました。

 よくよく聞けば、万葉社長のご実家が静岡県にあるみかん農家なのだとか。

 ああ、なるほど。

 それで、なぜスイーツ?

 恥ずかしながら、黄金柑というものを初めて知りました。

 みかんにしてはとても小さく、明治時代から鹿児島県日置郡東市来町近辺で知られ、黄ミカンと呼ばれていたそうな。愛媛や静岡では黄金柑と呼ばれ、味がとても良いため、最近はゴールデンオレンジと呼ばれて人気があるようです。

 しかしながら、小さい実のため、出荷して販売するには向かず、家庭用に少量栽培するのが主流で、生産量が少なく、希少価値が高いことから、「幻の」と冠されることもある特別なみかんなのだそうです。

 幻のみかん、ゴールデンオレンジ。

 そんな希少なみかんを使って、スイーツを開発してほしい、と。

 なぜそんな大役のお鉢が針谷に回ってくるのでしょうか。

「考えてみます」とその場ではお答えしましたが、どんなに考え、うんうん悩んでも、希少な幻のみかんを活かせるような案にはたどり着けませんでした。

 かつてのボスである製菓長には「朝起きられるようになったら、また来い」とお声がけを頂いておりましたが、それは裏を返せば「朝起きられないうちは出入り禁止」ということでもあります。

 ぜんぜん朝起きられるようにはなっていないけれど、希少なみかんを台無しにするよりかはマシと思い至って、お忍びでこっそり製菓長にご相談に参りました。

 針谷を見かけるや、製菓長はご機嫌麗しくなく、「お前、よく顔を出せたな」という圧力をひしひしと感じましたが、折よく季節限定の新作スイーツの目玉となるようなアイディアを構想中だった製菓長が黄金柑に食いつきました。

「この黄金柑、どこで手に入れた?」

 希少価値が高く、生産量が少ない幻のみかんをなぜそんなに大量に持っているのか。

 黄金柑を好きなだけ仕入れられる特殊なルートでもあるのか、と尋問されました。

「実家がみかん農家の社長に黄金柑を使ったスイーツ開発を依頼されまして」

 針谷には過分なお役目を賜ったことを脅えながら答えると、製菓長が言いました。

「レシピは俺が考えてやる。特別にそのレシピを使わせてやる」

「いいんですか?」

「ああ」

 製菓長のご厚意で、黄金柑を使ったレシピを頂けることになりました。

 その名も、タルトシトロン黄金柑。

 針谷はただレシピ通りに作っただけ。

 万葉社長にタルトシトロン黄金柑を試食していただくと、たいへん喜んでいただけました。針谷がレシピを考えたわけではないのに、万葉社長に気に入られてしまい、ちょっとした罪悪感を覚えました。

 製菓長に申し訳ないな、とひそかに思っていたところ、万葉社長が実家の屋根を葺き替える、という名目でクラウドファンディングを始め、あろうことかその返礼品に製菓長が作った黄金柑のコンフィチュールが選べるようになっていました。

 万葉社長と製菓長の悪魔合体。

 近づくな、危険、危険。

 タルトシトロン黄金柑は製菓長が考えたものです。針谷は何もしていません。ただ、レシピを使わせていただいただけであります。

 万葉社長と製菓長のホットラインが完成した以上、これ以上針谷に用はないはずであるのに、万葉社長には次なるお役目を頂いてしまいました。

「針谷さん、ダルメイン世界マーマレードアワードに出品してみない?」

「なんですか、それ」

 唐突な提案に、針谷は思わず目がきょとんといたしました。

 イギリスの湖水地方にあるダルメインで開催されているマーマレードの世界大会だそうで、イギリスの国民食であるマーマレードの伝統と文化を再興させたい、という大会創始者の思いからコンテストが始まったそうです。

 当初はほんの数十瓶であった出品も、大会を経るうち、世界四十ヵ国以上から三千作品を超えるまでになり、世界中から手作りマーマレード愛好家が集う巨大イベントへと成長したそうです。

 最優秀賞であるグランドプライズ賞に選ばれた暁には、英国王室御用達の老舗デパート「フォートナム&メイソン」で商品化されるそうな。ロンドンのピカデリー本店や日本国内でも販売されるそうです。

 プロの部とアマチュアの部があり、個人、団体問わず、マーマレードの製造を事業としていないものはアマチュアの部より応募するとのこと。

 針谷が参加するなら、明らかにアマチュアの部での参加です。

 応募するカテゴリーは複数あり、一種類の柑橘で作ったマーマレード、複数の柑橘を使ったマーマレード、柑橘類にその他の食材(柑橘以外のフルーツ等)を使用したミックス・マーマレードなどがあり、カテゴリーを選んで出品料を支払えば何作品でも応募できるようです。

「せっかくだから、複数のカテゴリーに応募しましょう」

 万葉社長は俄然乗り気でした。

 みかん農家の品質をアピールするには格好の舞台とは思いますが、いかんせんワールドワイド過ぎやしないですか。針谷には荷が重すぎます。うぐぐ。

 一種類の柑橘だけで作ったマーマレードはともかく、複数種の柑橘で作ったマーマレード、他の食材も混ぜたマーマレードとなると無限に組み合わせがあり、なにが美味しいのか、もはやさっぱり分からない迷宮入りです。

 英国人の味の好みもよく知りませんが、まずは黄金柑単独でマーマレードを作り、黄金柑と柚子、黄金柑と蜂蜜などを組み合わせ、いろいろと試作を重ねました。

 作業はひたすら丁寧に。

 皮を茹でこぼし、どこまで苦みを抜くか。苦みを残しつつ、苦みがあり過ぎもしない最適なバランスはどれほどか。どのぐらいまで果皮を柔らかくするか。どの程度、とろみをつけるか。見た目も美しいと思える果皮と果汁の量はどれぐらいか。

 幸い少なくない製作費を頂けたので、家にこもりきりで時間を忘れてマーマレード作りに没頭したあと、反動でしばし燃え尽きていましたが、コンテストの結果が発表になったようです。選評が英語なので、さっぱり分かりません。

「来年はゴールド目指して頑張ろうね」

 金・銀・銅賞は点数によって判断されるので、受賞数に制限はないそうです。

 にこやかにステップアップを約束させられそうになりましたが、来年につきましては少々考えさせてくださいませ。

 針谷、これでもけっこう頑張りました。

 ダルメイン世界マーマレードアワード・アマチュアの部、銅賞。

 万葉社長にはご満足いただける結果ではなかったのやもしれませんが、朝起きられなくて洋菓子店を首になった針谷にしては、なかなかの快挙なのでは。

 自分で自分を褒めてあげたい。

 偉いぞ、針谷一花。

 お前にしては、よくやった。

 あの製菓長もお褒めの言葉をくださいました。

 えへへ、やったぜ。

 遥か遠方のダルメインの地から送られてきたブロンズの賞状を胸にしかと抱いて、ただいま喫茶微睡でまどろんでおります。

 波に揺蕩うような穏やかな眠気がなんとも心地よい。

 微睡から目覚めたら、楽しいお菓子作りの時間が待っている。

 と思います。

 ので。

 しばらく起こさないでくださいませ。

 むにゃむにゃ。

 銅賞。

 えへへ、やったぜ。

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