ブルッティ・マ・ブオーニ

第18話 死にかけの喫茶店

 半世紀近く、「喫茶微睡」の店主として生きてきた。

 だが、脳梗塞を患い、すべてが変わってしまった。

 どうにか騙し騙し営業を続けようとしたが、利き手側の右半身が麻痺してしまったため、調理が困難になってしまった。フードメニューはなくすより他にない。

 片手でもなんとかコーヒーは淹れられたが、調理ばかりか歩行も困難になっていたせいで、運んでいたコーヒーを客に向かってぶちまけそうになった。馴染みの客らに心配され、哀れまれるのが惨めに思え、ここらが潮時だと感じた。

 コーヒーを淹れられたところで、客席まで提供できないのではお話にならない。

 喫茶店を閉める決断をしたが、常連客らに惜しまれた。

 どうにかして続けられないか、とせがまれるうち、孫の当眞が「僕が店を継ぐ」と言い出した。

 申し出は嬉しかったが、孫はまだ高校生だ。

「学業を放り捨ててまで継ぐ価値はない。学業に支障が出るぐらいなら廃業する」

 うまく回らない口で伝えると、当眞は代案を口にした。

「じゃあ、夜だけ営業するのはどう?」

 当眞の提案はなかなかに新鮮だった。「喫茶微睡」の看板はそのままに、大人のまどろみ時間と称して夜の三時間だけ営業する。学業に支障が出ず、廃業待ったなしの喫茶店を生かすぎりぎりのラインだった。

 死にかけの喫茶店は当眞のおかげで生きながらえたが、麻痺した身体はいかんともしがたい。少しでも機能が回復するよう定期的に病院にリハビリに通い、碑文谷公園で黄昏れて、鳩に餌をやるのに飽きたらぶらりとそこらを散歩して、くたくたになって帰宅する。

 邪魔になるだけなので、喫茶店に顔は出さない。

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