第9話 新しい風
「ハリネズミのシュークリームっすか。へー」
針谷一花が持参したハリネズミのシュークリームを男子高校生どもに振舞い、即席の試食会が始まった。
二十個ばかり焼いてきたようだが、おかげで開店前にほぼ半数が売れた。
女子高校生ならば「かわいい~」「
「ご馳走さまです」
「美味かったです。ちょい小さいけど」
「もうちょっとデカい方がいいですね」
味や見た目の品評はなく、目下、サイズについてしか感想がなかった。
「お前ら、もうちょっとありがたがれよ」
当眞が呆れたように言った。
さて、特盛の焼きナポリタン目玉焼きトッピング、食後にコーヒーとハリネズミのシュークリームの値段をどうするか、と考えたが、そもそもシュークリームの値段を設定していなかった。
まあ、皆お友達なので、細かい計算はしなくていいだろう。
「お一人様二千円です」
当眞がお友達価格を請求すると、あちこちから「高くね?」「ぼったくり」と非難囂々だったが、しれっと料金を徴収する。
「売上貢献に感謝します。ありがとうございました」
当眞はにこやかに微笑むと、腐れ縁の高校生どもを開店間際までに追い出した。
針谷一花は気疲れしたのか、テーブル席にへたり込んだ。
「にぎやかな方たちでしたね」
「開店前はだいたいこんな感じです」
「毎日来るんですか?」
「月に何回かぐらいです。さすがに毎日は付き合いきれない」
当眞は手早く食器を片付け、カウンターテーブルを拭いた。店先の看板に明かりを灯し、テーブル席の椅子を整えて、つつがなく開店準備を終える。
「あの、このまま手伝っていってもいいですか」
店の片隅で所在なさげにしていた一花が言った。
「え?」
「ご迷惑じゃなければ」
「べつに構いませんけど」
手伝ってもらえるのはありがたいが、さすがにただ働きはさせられない。そもそもシュークリームを持ってきてくれ、とだけ言ったが、報酬の類いはまったく決めていなかった。一花の方から報酬はいくらか、とは言い出しづらくもあるだろう。
「とりあえず、これを」
当眞が紺色のエプロンを支給する。一花がエプロンを着けると、微妙にぶかぶかだったが、なんとなく喫茶店のスタッフぽくは見えた。
「ハリネズミのシュークリーム、一個いくらで売ったら売ったらいいと思いますか」
しばらく考えてから、一花が自信なさげに言った。
「……二百円ぐらい」
「ちょっと安過ぎませんか」
「いいんです。原材料費がそれぐらいなので」
原材料だけでそれぐらいかかるのなら、利益がまったく乗っていないことになる。
適切な利益がなければ、事業を続けていくのはままならない。
「うち、コーヒー一杯六百円なんです。ハリネズミのシュークリーム単品三百五十円、コーヒーとセットで九百円にしたら、ちょうどいいぐらいじゃないですか」
「そうですね」
一花が頷いた。コーヒーとシュークリームのセットで千円を超えると、どうしても割高感があるが、千円を切るならば悪くない。単品で頼むより、セットで頼んだ方がお得な設定なので、コーヒーもついでに頼んでもらえるだろう。
「シュークリームを作ると卵白が大量に余るんです。なにか別のお菓子に卵白を使えたら、原材料費はもう少し抑えられると思います」
「そうですか。じゃあ卵白を消費できるお菓子を考えてみてください」
「分かりました」
喫茶微睡の開店時刻となり、早速馴染みの客が入店してきた。
「こんばんは。お好きな席へどうぞ」
当眞はにこやかに挨拶をしつつ、一花に告げた。
「持ってきていただいたシュークリームの報酬なんですけど、ひとまず一個二百円で仕入れさせていただいていいですか。あと往復の交通費もお支払いします。バイト代についてはおいおい考えます」
一花が恐縮しながら言った。
「バイト代はいらないです。わたしが作ったお菓子をお客さんが食べているところを見たいな、と思っただけで」
パティシエ失格の烙印を押された一花にとって、お金は二の次で、お客さんが自分の作ったお菓子を食べた感想が知りたいらしい。その気持ちはよく分かる。
手取り足取りというわけではないけれど、祖父は店の味の作り方を教えてくれた。
――ちょっと違うな
――今日はなかなかいいぞ
当眞が作った料理を祖父が食べ、感想を聞くのが何よりも楽しみだった。
褒められるのが嬉しくて、熱心に作るうち、おおよそ店の味は受け継いだ。しかし、現状維持は衰退の始まりである。祖父が店に立てなくなった窮地の今こそ、ただ店の味を受け継ぐだけでなく、新しい風を吹かせたいと思っている。
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