第8話 喫茶微睡名物・焼きナポリタン
夜七時――「喫茶微睡」の開店一時間前。
当眞が開店準備に取り掛かっていると、店の外から威圧的な声が聞こえた。
「お前は完全に包囲されている。無駄な抵抗は止めて扉を開けなさい」
窓越しに複数の大柄な影が見え隠れする。
木製の扉を無遠慮に叩き、まるで立てこもり犯に投降を呼びかけるようだ。
さすがに拡声器までは使っていないが、いちいち声がデカい。
「……近所迷惑」
当眞が無視を決め込んでいると、扉を叩く力がはっきりと柔らかくなった。
先ほどの威圧的な声とは打って変わって、媚びるような猫撫で声。
「トーマちゃーん、開けてー」
営業妨害も甚だしいが、扉を開けるまで延々と店先に居続けられても面倒だ。
開店時間前であるが、当眞は渋々ながらも扉を開けた。
「うるさい。さっさと入れ」
「サンキュー、トーマちゃん」
部活帰りの高校生たちが雪崩れ込んできた。運動部の汗臭い男どもが勝手知ったる我が家のようにテーブル席を占拠する。テーブル席にあぶれた後輩は、恐縮しながらカウンター席に腰掛けた。
「当眞、焼きナポ特盛で」
「俺も!」
「目玉焼き乗せて」
「あ、いいな。俺も」
静けさをまとっていた店内が一気に騒がしくなった。
「全部で何個?」
当眞がうんざりしながら言った。
「えーと、何人だ?」
答えを聞くまでもなく、当眞は人数を把握した。
九人。
当眞はフライパンを強火でカンカンに温めると、バターを投入した。
あらかじめ茹で置いていた極太のパスタ麺を投げ入れ、片面を強火で焼く。
斜めに切ったソーセージ、薄切りにした玉葱、輪切りにしたピーマンをぶち込み、軽く混ぜてからケチャップを入れる。パスタ麺をばらすように炒める。
麵が焦げてもいいので、手加減せずに強火で炒めるのがポイントだ。むしろ適度に焦げているのが美味しい。具とケチャップとパスタ麺を絡めながら炒め、ステンレスの皿に盛りつけ、黒胡椒をかけて目玉焼きを乗せる。
ザ・昭和な香りの漂う逸品――喫茶微睡名物の焼きナポリタンが完成した。
常連客たちには、焼きスパだの、焼きナポだのと呼ばれている。
お上品なアルデンテのパスタとはひと味違う、中毒性のある味わい。
祖父の作る絶妙な味をどうしても真似できなくて、あれこれ試しで作っているうち、コツのようなものに辿り着いた。
「ナポリタンの麺はのばすんだ」
祖父がぼそっと言った助言に焼きナポリタンの真髄が隠されていた。
パスタの麺をのばすなんて、一見するとおぞましいことであるが、昭和の喫茶店風にしたければ、麵を思いっきりのばすのが正解であるようだ。
茹でてからわざと放置し、それを焼いて炒める。
それから具と味付けはアバウトに。
祖父が焼きナポリタンの味に辿り着くまでに、ホールトマトやトマトジュース、オリーブオイルにニンニクなど、あれこれ加えて味を試したようだが、いろいろやってみて気が付いたことは、凝れば凝るほどナポリタンではなくなるという逆説だった。
丁寧に作るより、あえて雑に作った方が美味い。
なんとなく、焼きナポリタンは自分のようだな、と当眞は思う。
物心ついた頃には両親がいなかった。当眞は幼い日から喫茶店が遊び場で、祖父は「その辺に転がしていたら、勝手に育った」とうそぶいた。
自転車の乗り方は常連客から教わった。忙しい祖父に代わって映画館に連れていってもらったり、公園や遊園地に連れていってもらったこともあった。
祖父はほとんど休みなく働いて、たしかに雑に育ったが、特段の不満はない。
せめて祖父が存命なうちは、喫茶微睡の看板は下ろしたくない、と思う程度には、喫茶店に愛着がある。
「やっぱ、うめえ」
「この味、中毒性高いわ」
食欲旺盛な高校生どもが、がつがつと焼きナポリタンを食している。
部活終わりのたび、ほとんど毎日のように襲撃されるのは勘弁してほしいが、月に何度かぐらいの頻度であれば構わない。
調理を終えた当眞がひと息ついていると、喫茶店の扉が控えめに開かれた。
「あ……、えっ……」
朝が起きられなくて洋菓子店を首になった元・パティシエの針谷一花が扉脇に立ち尽くしていた。背中が丸まり、目が泳いでいる。遠目にも挙動不審で、両膝が生まれたての小鹿のように震えている。
男子高校生どもは一斉に静まり返り、針谷一花に無遠慮な視線を投げかけた。
喫茶微睡の開店時間は夜の八時であるが、開店時間前にもかかわらず、むさ苦しい男子高校生たちが店を占拠していれば、「わたし、違う店に来ちゃった?」と勘違いしてしまっても無理はない。
「こんばんは、針谷さん。どうぞこちらへ」
男子高校生たちと馴れ馴れしく接していたのとは打って変わって、当眞はころっと態度を変えた。どことなく口調も丁寧仕様になったよそ行きの接客モード。
「あ、えと、皆さん、お友達とかですか」
針谷一花は店奥へ歩み寄ってこず、とてつもなく小さな声でぼそぼそ囁いた。
明らかに、男子高校生の群れに恐れをなしている。
今にも泣き出してしまいそうな狼狽えた表情であるが、針谷一花はおそらく二十歳そこそこだろう。当眞よりも三つ、四つほど年上のはずだが、まったく年上のように感じられない。
「俺たち当眞君の同級生です。四月から高三です」
「部活後によく来るんですよ。テスト前に集まって勉強したり」
高校生どもがこれ見よがしに親友アピールをしてくるが、針谷一花が「……へ?」と間抜けな声をあげた。
「夜久さん、高校生なんですか」
「ええ、まあ」
当眞が言葉少なに頷いた。とかく高校生というだけで舐められるから、初対面の相手にわざわざ自分の年齢を告げたりしない。喫茶店で老店主の代わりを務める高校生はさすがに少なかろうが、牛丼屋でワンオペで働いたり、コンビニでレジを打っている高校生ならごまんといる。
「大人っぽいので、わたしと同い年ぐらいかと思ってました」
「高校生だとなにか不都合でも?」
当眞がちらりと嫌味っぽく言うと、針谷一花が慌てて取り繕った。
「いえ、夜久さん、わたしより年下なんだ、というのが衝撃で。わたしなんて、高校まともに行ってないし、今は腐れニートみたいなものなので」
どうにも針谷一花は自己評価が著しく低いらしい。
製菓学校を出て、美味しいお菓子が作れるだけで十分凄いというのに。
「そうなんですよ。当眞、頑張ってるんですよ」
「当眞のじいちゃんが脳梗塞で半身麻痺になって店に立つのが難しくなってしまって、当眞は高校辞めて店を継いで昼も営業しようとしたけど、せめて高校だけは卒業してほしい、というのがじいちゃんの願いで、だからこういう形態になったんです」
「俺たちもささやかながら売上貢献」
当眞の同級生たちがぺらぺらと事情を語った。
美談めいた風なのが、どうにも気に食わない。
べつに美談なんかではない。
半身麻痺を患った祖父がひとりで店を切り回すのは不可能で、これ以上症状が悪化してほしくないから、無理に店に立たせたくない。医療費が嵩張るなか、人を雇うと人件費が高い。孫の当眞が高校生活と喫茶店の存続を両立しようとすると、昼の営業は難しい。
必要に迫られて、わずか三時間だけの夜営業という特殊な形態に行き着いた。
「お前ら、要らんこと喋り過ぎ」
当眞が素っ気なく言うと、ついでのように続けて言った。
「せっかくだから、売上貢献してもらおうか」
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