第6話 幸運の象徴
どうにも今日は休業日なのかもしれない。
せっかく来たのに、無駄足だったのだろうか。
「喫茶微睡」の看板には明かりが灯っていない。定休日はいつなのだろうと思ったが、あいにく看板には営業時間しか書いていない。
一花が背中を丸めて店内を覗き込んでいると、背中越しに声をかけられた。
「よかったら、中へどうぞ」
「……ひ、ひゃあっ」
思わず、驚きの声が漏れた。
振り返ると、夜久当眞の姿があった。
「どうぞ、中へ」
当眞がにこやかに招くが、一花は遠慮がちに言った。
「あ、でも今日は休業日じゃ……」
「構いませんよ」
一花が恐縮しながら店の中へ入っていく。
カウンター席に座るなり、一花はがさがさとリュックサックを弄った。
「あの……、これっ……」
一花がリュックサックから取り出したタッパーの中には五匹のハリネズミのシュークリームが入っていた。表情がどれも違う。プロの菓子職人が作ったような整然さはないが、不均一なところがかえって愛らしく思える気がする。
「ハリネズミのシュークリームです。自分で作ってみました」
「食べてもいいんですか」
「はい、ぜひ」
「味はぜんぶ一緒ですか」
「純粋なカスタードとプラリネを混ぜたものがあります」
当眞がハリネズミのシュークリームを手で掴んだ。
片手に収まる小振りさであるから、お上品にナイフとフォークを使うのではなく、直接味わった方が良さそうだ。
「これ、プラリネが入ってるやつでした」
ハリネズミのシュークリームを齧った当眞が断面をしげしげと眺めた。
「優しい味わいですね。とても美味しいです。カスタードだけのも食べてみたいです。もう一つ、食べてもいいですか」
「どうぞ」
当眞がお替わりしたシュークリームはカスタードだけのものだったようだ。
プラリネは入っておらず、程よい甘さのカスタードは素朴に美味しく、シュー生地に刺さったトゲトゲのアーモンドの食感がアクセントになっている。
「プラリネ入りのザクザクした食感もいいですけど、カスタードだけのもシンプルでいいですね。見た目も可愛いし、サイズもちょうどいいから、何個でも食べられそう」
当眞が絶賛すると、一花はこそばゆそうに頬を緩めた。
「これ、洋菓子店で売ってたら、ぜったい買います」
手放しの賞賛であったが、一花がちょっぴり沈んだ表情を浮かべた。
「うちの店で出せるクオリティじゃないな、ってシェフに言われました」
「そうなんですか? 僕、これ、好きですけど」
当眞が三個目のシューに手を伸ばしかけ、途中で自重した。
「また作ってきますので、良かったら」
「そう、じゃあ遠慮なく」
当眞が三個目のシューを頬張った。
「単純なカスタードとプラリネ入り、どっちも美味しかったです。二つを比較して食べると味の違いがよく分かりますね。針谷さん、わざわざ作って来てくださってありがとうございます」
当眞が礼を言うと、一花はとんでもない、とばかりに恐縮した。
「いえ、そんなに大したものでは」
「大したものですよ。見た目は可愛いし、味も抜群ですし」
そう言うなり、当眞は何かを思いついたらしい。
「せっかくなので、
「……え?」
一花が戸惑っているが、当眞は気にした様子もない。
「僕、ちょっと調べてみたんですけど、ハリネズミはフランス語で
ヨーロッパにおいて、ハリネズミは
「フランスの庭や公園にはハリネズミがいるんですか」
一花が疑問を呈すと、当眞が曖昧に言った。
「日本でいえば、白蛇とか
とにもかくにもハリネズミはヨーロッパでは「幸運の使者」とされ、出会うと幸せが掴める、という言い伝えがあるという。当眞の博識さに感心するばかりだったが、いかんせんシュークリームの生産が不定期ではお話にならないだろう。
「お誘いは嬉しいですけど、毎日は作れないと思います」
「毎日じゃなくていいです。針谷さんが無理せず、持って来られる日だけでいい」
「そんな不定期でいいんですか」
「うちも不定期営業だし、営業時間もだいたいです。針谷さんの作るハリネズミのシュークリーム、食べれたら
それはまさしく妙案だった。
朝起きられないせいで定時に就業できず、シュークリームの生産も不定期にならざるを得ないとしたら、それを逆手に取り、「食べれたら幸運」と銘打ってしまう。
「そういう感じなら、なんとか」
最初は逃げ腰だった一花も、ちょっと乗り気になっていた。
「気が向いたら、またシュークリームを焼いて持ってきてください」
「はい。頑張ります」
「いや、そんなに頑張らなくていいです。無理のない範囲でやってくだされば」
当眞と一花は連絡先を交換した。シュークリームを持参する気力がある日に連絡を入れる、というスタイルにすることとなった。
当眞と話していると、ぽつぽつと客が入ってきた。
「忙しそうなので、私はこれで」
「それじゃ、また」
そそくさと店を出ると、当眞が店の外まで見送ってくれた。
一花は何度も店側に振り向いて、ぺこぺこと頭を下げた。
また来てね、と言われたのが嬉しかった。
君、もう明日から来なくていいよ、と言われるのとは天と地の違いだ。
計量さえまともにできない自分でも、お菓子を作ってもいいのだろうか。
幸せのお裾分け。
今まで考えたこともなかったが、ハリネズミのシュークリームにそんな素敵な意味が宿るとしたら、シューを焼く明日が不思議と待ち遠しくなってくる。
眠れない夜があるならば、起きれない朝があってもいいと思う。
たとえ起きれない朝があっても、心配することはない。
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