第4話 シュークリーム作り
一花は「喫茶微睡」を訪れて以来、シュークリーム作りに没頭した。
まずは、シュー生地作り。
事前準備として、薄力粉は粉ふるいでふるっておく。
シュー生地に加える全卵を溶きほぐし、湯煎で人肌程度に温めておく。
オーブンは200℃に予熱しておく。
皮なしアーモンドを細切りにする。
手鍋を取り出した一花は、水、牛乳、無塩バターを入れ、火にかけた。沸騰したら弱火にし、10秒ほど待って火を止める。
ふるっておいた薄力粉と塩を一度に加える。
ゴムベラで練るように混ぜていき、ダマにならないよう手早く混ぜる。
生地がひとかたまりになってきた。
弱火にかけ、ゴムベラで練りながら、鍋底を弱火に数秒あてて外すのを繰り返し、生地の温度を保ち、ムラなく加熱する。
生地作りのいちばんのポイントは、生地の温度を高過ぎず、低過ぎない状態で維持することだと製菓専門学校で習った。
温度が低いとデンプンが糊化せず、のびが悪く膨らまない生地になる。
加熱し過ぎると、水分が抜けたり、バターが染み出して、膨らみや食感が悪い生地となる。
手鍋の中の生地の表面がパサつき、粉吹き芋のような状態になった。
鍋底に薄い膜ができるようになったのを見計らい、鍋を火から下ろす。
湯煎で人肌程度に温めていた溶き卵を、少しずつ生地に加えながら混ぜる。
ある程度混ぜていくと、生地につやが生まれた。
ヘラですくったとき、薄く滑らかな帯のように垂れ下がるくらいの濃度に仕上がるよう、卵で調整する。
すくった生地が落ち、ヘラに逆三角形の生地が残るのが目安だと習った。
――水に対して半分量のバターと薄力粉を加え、卵で固さを調節。
――卵はおおよそ水と同量を加え、さらに塩を少々。
配合はとても単純だからこそ、計量はきっちりした。
最適な配合は結局のところ、自分で作ってみないことには分からない。水の半分を牛乳に置き換え、その分、少しバターを減らしたものも後で試すことにする。
直径10mmの星口金をつけた絞り袋に生地を入れる。
オーブンシートを敷いた天板に、厚みのある大きなシェル型になるよう絞り出す。
これがハリネズミの胴体となり、シェルの尖った方向が頭となる。
直径5mmの丸口金をつけた絞り袋に少量の生地を入れ、ハリネズミの尻尾をS字に絞り出す。
少しの全卵に水を少量加えて溶きほぐし、刷毛で胴体に薄く塗る。
ハリネズミの胴体に薄切りにしたアーモンドを何本か刺して、針に見立てる。
霧吹きで生地に水を吹きかける。
200℃のオーブンで10分焼き、生地がふっくらと浮き上がってきたら、温度を170℃に下げる。焦がさないよう注意し、30分焼いた。
「うわあ、かわいい……」
思わず、一花は嘆息した。
生っ白く、ふんにゃり、へんにゃりしていたシュー生地の図体が身体を大きく見せて威嚇するかのように膨らんでいく。アーモンドの棘が生地の膨らみと共に脇に流れ、だんだん焼き色がついていく。
オーブン内の様子を見ているだけで、ひたすらに愛おしい。
焼き上がったハリネズミのシュー生地は、いろいろな顔つきをしていた。
絞りが均一ではなかったため、ずんぐりむっくりしたもの、やけにいかついもの、地面にめり込みそうなぐらいに頭が垂れ下がったもの、いろいろだった。
大きさがまちまちなので、お店では売り物にならないだろう。
でも、それでいい。
洋菓子店に勤めていたときは、いかに怒られないかばかりを考え、ずっとびくびくしていた。
その点、自宅でのお菓子作りは気楽だ。
ちょっとくらいミスしても平気だし、手際が悪くても怒声が飛ぶこともない。
焼き上がったハリネズミのシュー生地を眺め、一花はうっとりとした。
「……楽しいな」
お菓子作りは楽しい。
それは、しばし忘れかけていた感覚だった。
オーブンの中で命を得たように胎動し、ハリネズミさながらの形を得たが、もともとは粉と水、バターと塩と卵でしかない。
火にかけて、混ぜて、膨らんで……。
それだけの手を加えると、ただの粉や水がはっきりと形を成す。
天地創造の神になぞらえるのは大袈裟だが、自分の手で作った、という確かな実感は何物にも代えがたい喜びだった。
一花は続いて、クレーム・パティシエール――いわゆるカスタードクリーム作りに取り掛かった。
事前に、無塩バターは室温に戻して柔らかくしておく。
薄力粉とコーンスターチを合わせ、粉ふるいでふるう。
バニラのさやにナイフで縦に切れ目を入れ、ナイフの背でしごいて、中の種を取り出す。
鍋に牛乳とグラニュー糖の半量、バニラのさやだけを入れ、中火にかけて沸騰直前まで温める。
ボウルに卵黄とバニラの種を入れ、泡立て器で溶きほぐす。グラニュー糖を加え、すぐに泡立て器でグラニュー糖が完全に溶けるまで、すり混ぜる。
合わせてふるっておいた薄力粉とコーンスターチをいっぺんに加え、均一になるまで混ぜる。コーンスターチが入ると歯切れのよいクリームになる、と製菓専門学校で教わったが、後ほどコーンスターチが入らないバージョンも作ってみることにする。
牛乳半量を泡立て器でよく混ぜながら加えていき、溶きのばす。
牛乳の入っている鍋に、シノワで濾しながら戻し入れる。
中火にかけ、ゴムベラで混ぜながら加熱していく。とろみがついて、表面につやが出てきたら、室温に戻しておいた無塩バターを加えて、よく混ぜ合わせる。
透明感のある、つややかなクリームになった。
炊きあがりの目安だ。
ボウルに戻して、底に氷水をあて、ゴムベラで混ぜながらクリームの中心まで急冷する。表面にラップを密着させて乾燥を防ぎ、使用するまで冷蔵庫に入れておく。
無心で作業するうち、どんどん楽しくなってきて、アーモンドプラリネまで作った。
グラニュー糖を手鍋に入れて火にかけ、カラメルを作る。
茶色くなってきたらごく弱火にし、ローストアーモンドを加えて絡ませる。
オーブンシートにあけて冷ましたら、綿棒で細かく砕く。
「さあ、仕上げ!」
一花はハリネズミのシューの真横に切れ目を入れた。
細かく砕いたアーモンドプラリネと、冷蔵庫で冷やしてあるカスタードクリームを混ぜ合わせる。
直径10mmの丸口金をつけた絞り袋に入れ、シューの切れ目から絞り入れる。
茶こしで粉砂糖をふるいかける。
アイシングをコルネに入れ、白目を描く。
その上から、チョコペンで黒目を絞る。
お尻の切込みに尻尾を挿して、ハリネズミのシュークリームが完成した。
「……できたっ」
一花が、ふうっ、と一息つく。
ハリネズミの目を描くのはなかなか難しく、とぼけた表情のものもあれば、悲しげな表情のものもあって、出来栄えはまちまちであったが、なんとも言えない達成感に満たされた。
ひとつ、試しに食べてみた。
「あ、おいしい……」
素直な感想が口から漏れた。
いつだったか母が買ってきてくれた催事のハリネズミのシュークリームは技巧的な味であったが、一花の作るハリネズミのシュークリームはまさしく手作りの味だった。
とにもかくにも、自分一人で作り上げたという実感がある。
「アーモンドプラリネが多いと、ちょっとくどいかな」
一花はぶつぶつ呟きながら試食した。
「尻尾はなくても大丈夫かも」
一花は取り憑かれたようにハリネズミのシュークリームの試作を繰り返した。
幾度となく配合を変え、絞り方を工夫し、生地の焼き時間を調整した。
「味って、こんなに変わるんだ」
比較して試食すると、ちょっとした差が大きく味に変化をもたらすことを知った。
計量ひとつ、混ぜ方ひとつ、火の入れ方ひとつで、こんなにも味が変わるのか、ということに気が付き、衝撃を受けた。
洋菓子店に勤め、計量などの部分的な役割でのみ菓子作りに関わったが、出来上がった商品を実食する機会はなかった。
今ならば、よく分かる。
たかが計量、されど計量。
見習いの一花の不注意のせいで、大きく店の味が変わってしまう。
自分が店を切り盛りする製菓長の立場であるならば、「店を潰す気か」と叱咤したくなる気持ちも分かる。
自分なりのハリネズミのシュークリームができたら、お詫びに行こう。
ごくごく素直に、そう思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます