第23話 隼人side
両手を開いて、大きく息を吸う。土の匂い、肌を撫でる風、真っ青な空、風の音……。五感を研ぎ澄ませ、全て吸収する。大観衆を背に受ける自分をイメージしながら……。
───俺はこれから甲子園のマウンドにあがる。
組み合わせ抽選の結果、青翔は大会5日目の第2試合と決まった。そこまで日にちを延ばせられたのも、運かもしれない。
クジを引いてくれた向井に感謝だな。ノックが終わり、グランド整備が行われている。
プレイボールまではあと10分。ふと、ベンチの中に目をやれば。
制服姿で、せっせとベンチ内を整えていく結良が目に入った。
しばらくその姿を目で追う。
……ありがとう、そしてごめん。
……いっぱい心配かけたよな。
「結良、どう?」
結良の仕事が一区切りついたところで、ベンチの中に入り声を掛けた。
「わっ、隼人っ!」
目をキラキラさせた結良が俺を見つめる。
頬もかなり紅潮している。
暑さのせいもあるが。
「なんかすげー興奮してない?」
俺は笑った。
「うんっ。だってこのベンチも、この手すりも、テレビで見たまんまなんだもんっ。あたしがここにいるなんて、ほんと夢みたいっ」
まるで子供みたいにはしゃぐ結良に、俺まで幸せな気持ちになる。
すげー、かわいい……。癒される。
「ん?どうした?」
上目使いで見上げられ。
やべっ……
いまそんなこと考えてる場合じゃないんだ。
頬を軽くたたき、顔を正す。
「隼人はどう? 初戦でいきなり先発とか、めちゃくちゃ緊張するよね……」
結良は俺の足をチラッと見たあと、不安そうに眉を下げた。
緊張を気にかけてるんじゃなくて、俺の足を心配しているのはあからさまで。
「この足じゃ、不安か?」
「えっ、そういうわけじゃ……」
「心配ないって。この大事な初戦に、出場記念として俺を起用するわけないだろ?」
そう言って、おでこを軽く弾く。
「そう……だよねっ」
おでこに手を当てた結良に、笑顔が戻る。
「この体と18年つき合って来て、大丈夫だと思ったから、俺は1番を受け取ったんだ」
1番をつけさせてもらう以上、万全の状態で臨むのは当然。甲子園に行きたいからなんていう欲のために、安易なことはしないさ。
県大会、1番をつけていた凌空への礼儀でもある。
「結良、握手して」
「握手?」
戸惑ったように差しだす結良の手を握った。
「パワーチャージ」
これからボールを握る右手に。
「なにそれっ」
白い歯をこぼしながら結良が笑う。一番のパワーは……結良の笑顔だ。
「オッケ、チャージ完了!」
「では、行ってらっしゃい!!」
笑顔の結良に見送られ、俺はベンチを飛び出した。
真っ白なプレート。誰もまだ跡をつけてないマウンドに足を乗せ、軽く体を上下させる。最高のマウンドだ。
土の感触を何度も確認しながら、マウンドを足でならしていく。
「ふーっ……」
すでに額には汗が滲み、帽子を取って腕で拭った。
見上げると、一面に青い空が広がっていた。
……湧き上がる、感謝の想い。
甲子園に出場した選手がよく言ってたな。
"感謝の気持ちで戦う"
県予選で散った奴らがいて、俺達はいまここに立てている。
樋口との勝負は、俺をものすごく成長させてくれた。俺を1番に置き、今日の先発に起用してくれた広田監督。
はかり知れないプレッシャーの中、県大会1番をつけて投げてくれた凌空。
3年間、苦楽を共にしたチームメイト。
支えてくれた家族、仲間。
そして、結良。
俺にこの夏を見せてくれたすべての人にありがとうを言いたい。
"感謝の気持ちを持ってマウンドに立つ"
俺は今日初めて、本当の意味でそれを実感した。
ウ~~~~
サイレンが響き渡り、主審が手を上にあげる。
いよいよ始まる、俺の夏が。
18メートル先では、俺のどんな球も体を張って受け止めてくれる向井がいる。
感謝の気持ちを込めて、第1球を投げた───
5回現在無失点。三振もここまでで6つ奪った。
青翔2点リードで試合は進んでいたが、ノーアウトランナー1塁の所で、初めてフォアボールを出してしまう。
伝令を務めているチームメイトが、こっちへ走って来るのが見えた。
……ここで終わりか。
調子が良い悪いに限らず、長くても5回までと言われてたから。投球練習をしていた凌空もマウンドにやってくる。
「やべー、マジ楽しい」
率直な気持ちを笑顔で伝えると、凌空にツッコまれた
「今ピンチなんだぞ?得点圏にランナー背負ったんだからな」
でも、そう言う凌空の顔も笑顔。5回でも思う存分楽しめた。
これで夏が終わっても悔いはない。
夢の大舞台に、結良と凌空と一緒に来れた。
これ以上の幸せはないだろ?
「……凌空ありがとう。凌空が見せてくれたこの景色、一生忘れない」
ここで伝えたいと思ってた。甲子園のマウンドで。
「……バーカ。まだ終わってねえんだよ……」
凌空が帽子をずらし、目元を隠した。俺だって、うっかりするとマウンドで泣きそうだ。
「……だな。このバッター、低め狙ってけばいつか振ってくれるから凌空なら打ち取れるぞ」
でもやっぱり……また次も投げたい……!
始まったばかりの夏を、夢を、まだまだ見ていたいんだ。みんなともっと野球がしたいんだ。
「おう、あとは任せろ!!」
「頼んだぞ!」
俺は白球を凌空のグローブの中に収め、エールを込めて背中2度叩くとマウンドを降りた。
凌空はその後きっちり抑え。
青翔は初戦を突破した。
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