第22話

プレイボールは10時。早めの昼食をとって、只今バスで県営球場まで移動中。緊張しすぎて、お弁当なんて喉を通らなかったよ……。

落ち着かなくて、歯の奥をギシギシとかみしめていると。


「マネージャー、リラ~ックス」


後ろの座席から、黒田くんが肩を揉んできた。


「きゃっ!」


驚いて声をあげると。


「黒田セクハラー」

「隼人にチクるぞ」


なんて、バスの中はどっと沸く。みんな余裕があるなあ。

決勝戦なんて何度も経験してるみんなは慣れてるの?

和やかなムードとみんなの笑顔に、だんだんとあたしの気持ちも軽くなっていく。

そうだよね。笑顔でいれば、緊張なんて吹っ飛んじゃう。


どんな時も明るい青翔メンバーが大好き。もっと、このメンバーで過ごしていたいな……。負けた時点で終わりだと分かっている夏だけど、そんなことは考えたくない。


一番後ろの座席に座っている凌空だけは、みんなの会話に入らず、真剣な表情でずっと窓の外を見ていた。



球場にはすでにたくさんの観客が入っていた。ベンチから見る球場の景色は、スタンドで見るものとはまた違う。

一体となってメガホンを振る姿は、波のうねりのよう。

声援は、こだまのように反響しあって耳に届く。


中で見るのと外で見るのと違うのは、大変なことだけじゃなくて、こういう景色ひとつひとつをとっても言えることだった。

今日は沙月や京介くんはもちろん、クラスのみんなも応援に駆け付けてくれるみたい。

みんなの声援が本当に力になるんだってこと、心の底から感じた。


すでに気温は30度に達していて、グラウンドには陽炎も見える。暑い中、ありがとう……みんな……。


公式戦もここまで5試合戦い、ベンチでの用意も手馴れてきた。


「ドリンクよし、タオルよし……」


一通り準備に抜かりがないのを確認して、最後に紙袋の中からユニフォームを取り出した。

隼人の……ユニフォーム。


初戦からずっとベンチで見守ってくれていたこのユニフォームを、ベンチの奥に掛けた。

"隼人も一緒に戦っている"

その想いをメンバーで共有するために。

このユニフォームを着た隼人と一緒に甲子園に行きたい。それは部員全員の想い。

今日は隼人も球場に来てくれるけど、今まで勝利してきたゲン担ぎも兼ねて、借りたままなんだ。


「結良、今日も頼むな」


用具の準備が整った選手たちは、これからシートノックを行う。


「あ、凌空っ」


凌空はあたしに声を掛けたあと、隼人のユニフォームを見上げ、触れて。自分の帽子をあたしに渡すと、隣に置いてあった隼人の帽子を手に取った。


「今日は隼人と一緒に戦う」


そう言った凌空は。


「隼人、力貸してくれよ」


帽子に向かって言葉を落とすと、その帽子を被った。


「凌空……」

「結良のためにも、隼人のためにも、チームのためにも……絶対に甲子園、手に入れる」


真剣な瞳に、強い決意を感じる。


「うん……。凌空なら……きっと出来る……」

「しっかり見てろよ」


凌空はそう言うと、笑顔でグラウンドに飛び出して行った。


渡された凌空の帽子。何気なくひっくり返して。


「……っ……」


ワッ……と溢れ出る涙。たまらず口元をおさえ。


「……凌空……っ……」


その帽子を胸に抱きしめた。帽子のツバの裏に書いてあったのは。


【隼人と結良と一緒に甲子園に行く!!!】


まだ小学生の凌空が書いたと思われる、力強いメッセージだった───




時間になり、両校が整列。見えない火花が散る。


「お願いしますっ!!!」


気迫あふれる挨拶で、試合が始まった。


桜宮は初回からエースの樋口投手を投入してきた。同じく、青翔も今日は凌空で勝負をかける。

ただの決勝戦じゃない。

両校のプライドをかけた本気の勝負。


抜群の投手力を誇るふたりを要したこの試合は、今までみたいな快音はなかなか聞けない。さすが3年連続甲子園出場校だけあって、そう簡単には打たせてくれない。


「あ~っ……!!!」


いい当たりになると思った日野くんのライナーは、ショートの選手がダイビングキャッチ。

歓喜の両手をあげようとしたベンチメンバーが、メガホンを叩きつけて残念がる。


「ナイスバッティング!」


悔しそうな顔をして戻ってきた日野くんは、ベンチに引き揚げてからも、樋口投手の投球に合わせて、スイングするマネをしてタイミングを計るほど、修正に余念がない。


0-0のまま均衡を貫いていたゲームが動いたのは、7回表だった。

ストレート、カーブ、フォーク、色んな球種を駆使して打ち取っていた凌空がつかまった。回が進んだことで、タイミングを合わせた3番選手が快音を響かせたのだ。


「ワアアアアアアーーーーーッ!」


ツーベースヒットとなり、ノーアウト2塁。スタンドは今日一番の盛り上がり。


桜宮高校の桜色のメガホンが振り回され、まるで優勝したかのようなお祭り騒ぎ。

その後は、落ち着いてファウルフライとセカンドゴロに打ち取ったものの、セカンドゴロの間にランナーが3塁に進んだ。


「スクイズあるか?」


ベンチ内でも不安な声が上がる。


「あるだろうな」


うん。あたしもそう思う。ツーアウトだけど、1点勝負ならあり得る。サインが決まり、凌空がボールを放った瞬間、バッターはバットを横に構えた。

と同時、向井くんは腰を浮かせ、ミットを横に逸らした。


「ストライク!」


バッターはバットにボールを当てられず、飛びだしたランナーは慌てて3塁へ戻る。スクイズ警戒が成功したんだ。


良かった……!!


「オッケーオッケー!!!」


ものすごい駆け引きが、ダイヤモンド内で行われている。これが、一発勝負の高校野球。


「ナイスピッチ!」

「ツーアウトツーアウト!」


ベンチからは、身を乗り出すようにして控えメンバがー声を枯らす。あとひとり抑えれば、長かったこの回が終わる……と思った矢先。ヒットを打たれてしまった。ショートとセカンドのちょうどど真ん中。

3塁ランナーは手を叩きながらホームベースを踏んだ。


「ああっ……」


桜宮に、1点リードを許してしまった。


イヤだ……。去年の夏、0-1で負けた記憶が脳裏をかすめる。


その後はピンチを切り抜け、凌空は笑顔で戻ってきた。イヤな記憶も、凌空の笑顔で吹っ飛ぶ。


「もうぜってー点はやらねえから!」


そうだよね。マウンドで投げてる凌空がそう言うんだから、信じなきゃ!



宣言通り、その後凌空は桜宮に1点も与えなかったけど。青翔が点を取ることも出来ず……スコアが動かないまま最終回を迎えてしまった。

9回裏、0-1。

ダメ……。


こんなところで終れないっ……。

終らないで……。


先頭打者は、1年生の宮本くん。


背番号は17番だけど、代打でいい活躍をしていたから今日はスタメンに起用されたんだ。


その宮本くんは、広田監督の起用に応えヒットを放った。

よしっ、いけるっ!その後、手堅く送りバントを決め2塁へ進むも、次のバッターが倒れ、早くも2アウトになってしまう。


「ああ……」


思わず落としてしまう肩。

次のバッターは、黒田くんだった。

1年生が打って、3年生が黙ってるわけにはいかないでしょ!


大きく素振りをしながらバッターボックスに入った黒田くんに声援を送る。


「黒田くんいけーーーっ!」


あとひとつ勝ったら、甲子園には地元の仲間が応援に来てくれるんでしょ?


そのために、意地を見せてっ……


───と。


この大一番で、センターにツーベースヒットを放った。3塁ベースを回ろうとした宮本くんだったけど、3塁コーチがそれを止める。

捕球したセンターが、ものすごい球をホームベースに返したのだ。

それはノーバウンドで、キャッチャーミットに収る。


「おーーーーーっ」


球場がどよめく。無理してホームに返って来てたら、滑り込んでもアウトだったよ……。

繋いでくれて、ありがとう。

だって、次のバッターは。


「凌空ーーーっ!!!」


青翔スタンドは、ここで今日一番の盛り上がりを見せた。


応援団長は太鼓を打ち鳴らし。吹奏楽部は熱くなった管楽器を鳴り響かせ。メガホンを持った生徒たちは、日陰の無いスタンドで声を枯らしてくれている。

みんなの想いに乗せて、絶対に勝利を掴みたい。

きっと出来るよ……青翔ナインなら……。


9回裏、ツーアウト。

3塁ランナーが帰れば同点。2塁ランナーまで生還すれば逆転。

ランナーを帰せなければ、そこで夏が終わる。


凌空は粘って粘って、フルカウントまで持ち込んだ。


既にもう凌空に対して10球目。さすがの樋口投手も苦笑い。

それでも、凌空の口元は一度も緩むことがなく。


想いは、ただ一つ。甲子園へ。凌空と、隼人と、あたしで……指切りをしたあの日の約束を叶えたい……。


「見極めが大事だな」


ベンチ内の誰かが放った言葉に、ふっと、ある記憶が蘇った。


『もっと球を見極めろ!』


ボーイズ時代、三振して監督から叱られた凌空は、


『見極めるなんて難しいんだよなー』


なんて、あとでチクチク文句を言い、


『打てる時は目をつぶってたって打てるんだ。結良でも出来るよ』


なんて言うから、


『それじゃあ練習の意味ないじゃん』


なんてあたしは呆れたんだっけ……。

でも、それは『見逃し三振』を極端に嫌う凌空だからこその理論。ピッチャーの手を離れてから、バッターボックスに到達するコンマ数秒の世界で球を見極めるなんて、ほんとに難しい。

こうも言ってた。


『あとがない時は、思いっきり振りぬくんだ。信じて打てば、バットは応えてくれる』


あたしは思った。まさに"今"がその時なんだ……。

凌空が樋口投手を睨むように見据える。

来るなら来い、やれるものならやってみろ…とバットを突き出す姿は、まるで挑戦状のよう。


心理戦……?


樋口投手は動じることなく、ポーカーフェイスを貫く。そして、少し溜めてから放った球は、あたしから見ても分かるくらい少し高めに浮いた。


アッ……と、いう表情を樋口投手が見せ。凌空が足をグッと踏み込む。

凌空は、絶対にバットを振る。

どんな球でも、絶対に跳ね返す―――


「お願いっ―――」


強く思ってボールの軌跡を追うと。


バットとボールが、空中線上でピッタリ出会った。


―――カキーーンッ……。


そのまま振りぬいたバットは、ボールを高く高く運んでいく。ライトの選手は打球を追いながら後ろへダッシュ。


その間に、ダイヤモンドを思いっきり駆け抜けるランナーたち。宮本くんが帰って、黒田くんも帰って。

でも、ボールがグローブに収まればそれも無意味になる。


……超えてっ……。


お願いっ……。祈るように打球を追った。


落下地点に、ライトの選手が飛びこむようにジャンプして。


……っ。


「抜けたあああああああっ!!!!!」


グローブの少し先に、ボールが落ちたのだ。


「わーーーーーーーっ!」


瞬間、ベンチから選手が飛び出し。ちょうど2塁に差し掛かっていた凌空は、両手をあげながらこっちに向かって直進してくる。


「ゲームセット!」


……それは試合終了の合図。


うそ……

逆転したの……?

ほんとに勝っちゃった……?


信じられなくて、あたしはその場に突っ立ったまま。みんなが凌空をもみくちゃにするその向こうで。樋口投手はその場に崩れ落ちていた。





「川瀬」


広田監督に背中をポンとたたかれて我に返れば、選手たちが整列し始めていて、


「は、はいっ!」


あたしも慌てて監督に続いて隣に並ぶ。みんなの顔には、はじける笑顔。ほんとに、ほんとに甲子園行きが決まったの……?

青翔の校歌が流れ、広田監督が宙を舞い、凌空が優勝投手インタビューを受け。


スタンドには、満面の笑みでガッツポーズする隼人……。あたしはまるで夢の中にいるんじゃないか……って、ずっとふわふわした気持ちでそんな光景を見ていた。



逆転サヨナラ2-1。

青翔学園は3年ぶり、夏の甲子園への切符を手に入れた。



祝賀ムードはその日だけで。次の日からは、甲子園に向けて厳しい練習が始まった。まだまだ青翔メンバーとの夏が続く。

みんなと野球が出来る。

あたしはそれが嬉しくてたまらないよ……。




それともうひとつ嬉しいこと。隼人の経過は良好で、全治2ヶ月は見るように言われていた怪我は、まだ1ヵ月経っていないのに、もう普通に歩けるまでになっていた。

それでも隼人は無理をしないように、歩くときは松葉づえを使っている。




「どうかな……」


暑さを増したグラウンドで、あたしは不安を口にした。


決勝戦から数日たった今日、新たに選手権大会用の背番号が渡されるんだ。隼人が選手登録をしてもらえるかどうか、心配でしかたないよ……。


「大丈夫に決まってんだろ」


そう言う凌空が、一番落ち着かない様子だった。


そして、背番号発表のとき。


「1番……矢澤隼人」


監督が読み上げた名前に、体中に電流が走るくらいの喜びを感じた。選んだ上に、1番に置いてくれた広田監督の想いにあたしは深く感動したんだ。


今までのチームへの貢献度。隼人の努力、苦労。全部、報われた瞬間。


良かったね、隼人……。嬉しくて嬉しくて、続く発表を聞きながら、あたしは静かに涙を流していた。


それからあっという間に壮行会やら取材やらがめまぐるしく行われ。

甲子園入りしたときには、隼人は怪我の影響など全くないほどの復活を遂げていた。


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