第21話 隼人side

「矢澤君、なかなかいいペースで回復してるね」

「じゃあ来週くらいにはマウンドに立てそうっすか?」

「かもな~。あははは」


そんな冗談を医師と交わしながら額に汗する俺は、今病院のリハビリ室で医師の指導のもと、リハビリを受けている。


ギブスが取れたのは、予定より10日も早かった。家に居たら無理をしそうで、なるべく歩かなくていい環境をつくるために1週間入院し、その後も自宅ではトイレ以外は動かない安静生活を送っていた。

骨を強くするためにも、カルシウムも積極的に摂取して、体力を維持するためにも栄養のバランスのいい食事を心がけてる。


それでも動いてないから体重増加を気にする俺のために、カロリーの計算をしながら食事を作ってくれてる母さんには、感謝しかない。この程度の骨折なら家でゆっくりリハビリするのが普通らしいが、俺にはまだ捨てきれない夢があるから……。



今日は決勝戦。

試合開始は10時。リハビリを終えたら、俺も球場へ駆けつけるつもりだ。


テレビで試合の様子は見ていたけど、決勝戦はこの目に焼き付けたい。久々に青翔メンバーにも会える。みんなのプレーが見れるのが楽しみでしかたない反面。

凌空との対面に、そわそわして落ち着かない自分もいる。

いろんな興奮から、昨日の夜はほとんど眠れなかった……。


「ふわぁ~あ~……」


さっきからあくびが止まらない。


「でけえあくび」

「……っ」


やべっ。人に見られた上に指摘されて、誰だよ……と肩を小さくしながら声の方に顔を向けると。


「な、なんでここにいんだよっ……」


そこにいた人物に、俺は目を丸くした。


「今日決勝戦だろっ!?」


それは、あと数時間後に決勝戦を控えた凌空だったから。


「こんなとこに来てる場合かよっ、なにやってんだっ……」


去年の同じ日。2年生エースとしてかなりのプレッシャーを抱えていた俺は、早朝から学校のグラウンドで練習していた。

よりによって今日、こんなとこに来るなんて……。

焦る俺とは反対に、凌空は穏やかな顔で言った。


「隼人の顔が見たくなったんだ」


ハッとして、思い出す。


俺達が顔を合わせたのは、あの事故以来だったことを……。正確にはその前から結良を巡って冷戦状態だった俺たち。

久々の対面に、しばらく俺達は言葉も交わさずに、ただお互いを見つめていた。


言葉に出来ない想いが沢山ある。

……それはきっと、凌空も同じ。

許すとか許してくれとかそんなやり取りはいらない。ただ、こうしてまた向かい合えたことが、すごく嬉しかったから。


「座れよ」


壁沿いに置いてある椅子に凌空を促す。先に座った俺の隣に腰掛けると、凌空は切り出した。


「結良のこと……あんときは、マジで悪かった」


……部室で食ってかかってきたときのことか?


「その話なら───」

「うやむやにしたまま、今日の試合、投げたくねえんだ」


今させる話じゃないと割り込もうした俺に、凌空は自身の決意を覗かせた。


「……」


今日ここに来たのは、凌空なりに意味があるんだ。決勝戦を楽観視して、こんな話を今してるんじゃないってのも分かったから。

黙って耳を傾けた。


「俺はずっと、結良が好きだった」

「……」

「今でも好きだ」


驚きはしない。


「……コクんねえのか?」

「コクる?」

「……俺たちはもうつき合ってない。遠慮なんて要らねえよ」


言いながら、キリキリと胸が痛んだ。


「ふっ……」


真剣に言ったのに、凌空は煮え切らないような笑いをこぼす。


……なにがおかしいんだよ。胸の痛みを隠して言ってんだから、素直に聞けっての。


「コクる前に玉砕してんだよ、俺は」


……は? んなワケないだろ?


「そろそろ、結良のことちゃんと吹っ切らねえとな」


なんだよ。好きだって宣言したあとに、諦め宣言か……?

じゃあ、結良はどうなるんだよ……。頭に思い浮かべた三角形は、どの線も結び合わずグルグル回る。


「はーっ、やっぱ隼人の顔見たら、安心したわ」


俺の頭はまだ混乱したままだけど。膝をパチンと叩いて顔をあげた凌空の顔はすっきりしていて。


「俺は仏かっつーの」


そんな風に言われて、イヤな気持ちにはならない。ピンチの時に、キャッチャーの顔を見て安心するのと一緒か?

大切な日の今日、凌空にとってそんな存在になれたことが、たまらなく嬉しい。

涙腺が緩みそうになるのを、唇を噛んでこらえた。



そのあとは、チームの状態や桜宮戦へ向け、ふたりで語った。

凌空と野球の話をしている時間はすごく有意義で楽しい。


「おいっ、そろそろ行けよ」


うっかり話しこんじゃったじゃねえか。壁に掛けられた時計を見て、凌空を急かすと。


「なあ……。俺……ちゃんと背負えてるか……?」

「え……?」

「隼人の、1番……」


ためらいを含んだその言葉に、全身の筋肉に緊張が走った。心臓が、ぎゅっと痛くなる。


「……凌空……」


そんな風に思ってたのか?

……凌空は……そんな負担を背負いこんでたのか……?

凌空の肩が、弱々しく見えた。


「なに言ってんだよ。俺の1番じゃねえ。あれは凌空の1番だろっ!」


力強く言って、その肩に触れる。


「俺が託した背番号だけど、今はもう凌空のもんだ。俺だって完璧な人間じゃないし、悔しい想いはある。だけど、それ以上に凌空がマウンドに上がってることが嬉しいんだよ!」


ウソじゃねえ。テレビ画面を通して見る凌空が、カッコよくて、羨ましくて、そして……俺は嬉しかったんだ。


「余計なものは何も背負うな。あの1番は俺のもんだって、堂々と胸張って強い気持ちで押してけよ!背負うなら、プライドだけ背負え」

「……隼人……」


力強く俺を見つめる凌空の瞳に、自信の色が戻ってくる。


「だから、自信もって球放ってこい」


そして


「結良を絶対甲子園に連れてってくれ」


俺にはもう叶えてやれない願いを口にすると。


「いや」


凌空は首を横に振った。


「俺は、隼人と結良、ふたりを甲子園に連れてく」

「……」

「結良に言われたんだ。隼人の夏を終わらせるなって。だから俺は投げてる」

「……っ……」


俺の夏……?

万一早く回復したら、登板できるかもしれないって思ったりもした。

でも、そんな甘いもんじゃないってのもわかってた……。


「絶対甲子園を見せてやる。俺は必ず、隼人を甲子園のマウンドにあげる」


ドクンッ……

儚く消えそうだった夢が、凌空の言葉でまた動き出す。

ほんの少しだけ、色づく……。


「……だから隼人もっ、リハビリ…頑張れ……っ……うっ……」


凌空はそう言うと、顔をくしゃくしゃにして下を向いた。


……っ。

俺だって、こみあげてくるものが抑えられなかった。


「隼人に……誇れるような投球するからっ……絶対に今日……勝ってみせるからっ……ううっ……」


喋れなくなった凌空の肩に手を回した。


俺だって喋れねえ……。胸がつまって、喉が熱くてたまんねえ……。


「じゃあ……俺行くわ……」

「……おう」


お互いにその顔を見れないまま、俺たちは別れた。



頑張れ頑張れ。

遠ざかっていく足音に、エールを送りながら。

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