第20話 凌空side

……今日も朝から暑かった。


テストが終わり、終業式までは補習期間になった。学校は休みだが、早起きが日課になっているせいか6時には目が覚めた。


習慣ってすげえな。リビングに行き、テレビをつける。

梅雨明けはまだだが、今日はかなり気温が上がるとテレビのニュースで言っている。締め切ったこの部屋も蒸し暑いし、最悪だ。


……にしても、暇だな。


リビングのソファでゴロゴロしていると、あっという間に8時。もう一眠りしようかと、テレビを消したとき。


"ピンポーン"


勢いよく鳴る玄関のチャイム。


……誰だ? 連日家に尋ねてくる結良の顔が浮かんだが、この時間はもう部活に行ってるはず。

そう思って油断して開けたのが失敗だった。


「おはよっ!」


ジャージ姿の結良がそこに立っていた。


「……なんだよ、こんな朝っぱらから」

「ちょっとお邪魔するよー」


ズカズカと家に上がり込んだ結良は、リビングを見て「うわーっ」と声をあげた。


「わわっ、なにこのカップ麺の山。毎日こんなのばっか食べてるの?」


テーブルの上には食べ散らかした空き容器。隼人の事故以来、隼人や結良の家からの食事の誘いを断っていた。とにかく人に会いたくなかったんだ。


「夏なんだから、ちゃんと片づけておかないと虫湧くよ?」


そう言いながら手際よくゴミをビニール袋に入れ、シンクに放置されたままの食器を洗い。終わると、床に散らばった服を回収していく。


「後でやるから置いとけよ」

「ううん、だめ。あたしマネージャーやったおかげで、こういうの放っておけなくなったんだよねー」


傍観していた俺を押しのけ、洗濯機のスイッチを押し、今度は掃除機を手にした。ウイーンと耳障りな音がリビングに響く。


「邪魔」


突っ立つ俺にわざと掃除機の先端を当ててくる。


「ほら、窓開けて!」

「……」


言われるまま窓を開けると、涼しい風が舞い込んできた。


……気持ちいいな……。俺はしばらく窓辺に立ち、吹く風に体を委ねる。

2日ぶりに浴びる外の空気はすごく新鮮で、胸に燻っていたものまで浄化されて行く感じがした。

前を見れば隼人の家。張り巡らされた緑のネットはよく見ると、かなりボロボロだった。

敷き詰められた芝の一ヶ所だけが剥げて、土がむき出しになっている。

それは隼人の努力の跡だ。


……全ては、甲子園のために。


その夢を、俺が奪ったも同然だ。見ていられなくて俯いた。


「……凌空……」


いつのまにか、うるさい機械音は止んでいた。無防備な背中に呼び掛けられ、走る緊張感。


「……今日は、お願いがあってきたの」


……だよな。ただ掃除に来ただけじゃねえよな。

言われることが分かってるから、あえて外を見たまま無視を貫く。


「預かってきたの、これ、隼人から……」


"なにか"を言わない結良。


……けど、俺にはそれが分かった。だからますます振り向けねえ……


「……別れたのは、あたしのせいなんだ……」


そのまま黙っていると、結良がトーンを落としながら話し始めた。

その話、今ここでするのか……?思わず、息を止める。


「凌空が帰って来てから、あたし、気持ちが揺れてた……」

「……」

「もしかしたら凌空が好きなんじゃないかって……」

「……っ」


……なんだよ、それ……。


「だけど体育祭の日、凌空がキスしてくれたおかげでハッキリしたの。やっぱりあたしは……隼人が好きだって」


……正直堪えるな。結良は俺のキモチを知らねえから、そんなこと言うんだろうな。


「隼人は揺れ動くあたしのキモチに気づいてて悩んでたのかもしれない。だから、野球だけに集中するために、あたしと別れたの……」


……そうか……。


そうだったのか。なにも知らなくせに首を突っ込んで、隼人に手をあげそうになった自分が恥ずかしい。

熱くなって……バカみたいだな、俺……。


「……だからお願い……隼人の夏を終わらせないで」


隼人の夏…


「……っ。んなもん、俺がぶっ潰したのわかってんだろっ!」


わかってることを今更聞きたくもねえっ。たまらず振り向いた。悲しくてつらそうな結良の顔が目に飛び込んでくる。

思った通り、手には隼人の背番号。涙を溜めた真っ赤な目が、余計に俺の心を締め付けた。


「隼人の夏はまだ終わってない!!」


キッパリそう口にした結良の言葉に、目を見開いた。


「……なに言ってんだよ……病院で一緒に聞いただろ……全治2ヶ月だって」


「県大会で、青翔が優勝したらどうなる!?」


押し切って、言い張る結良。


優勝って……。


「その先も、まだ青翔の夏は続くんだよ!?」

「……」


「隼人の体の強さ、知ってるでしょ?あの転落事故であの怪我は奇跡だってお医者さんも言ってた。その隼人ならリハビリ次第で……もっと早く復帰できるかもしれない」


それって……。


「だから……一日でも、一試合でも長く勝ち進んだら……間に合うかもしれないじゃんっ……」


マジで言ってんのか……?


「隼人はね、絶対安静を守りながらも、ベッドの上で毎日体を鍛え続けてるの。

もしかして、隼人はまだあきらめてないのかもしれない。青翔が……凌空が……勝ち進んでくれることだけを願って……」


隼人は、甲子園に照準を合わせてるっていうのか……?


「凌空ならきっと出来るよ。あたしはそう信じてる」


自分が立つはずだったマウンド。結良を甲子園に連れて行くために、結良を手放してまで限界を見つけた隼人……。

隼人の代わりに、青翔の1番をつける俺を隼人はどう思う……?


でも……。俺が投げて……もしも……奇跡が起きて、勝ち進んだら……。


いや。


「……無理だ……」


目をつむり、静かに首を横に振る。


「……できねえよ……」

「……凌空……」

「俺のせいで失った隼人の背番号を、どの面下げて背負えるっつんだよ!!」


もうやめてくれ。


「どうせ出たところで隼人のいない青翔じゃ、桜宮と戦う前に消える確率の方が高いだろ」


言い放ち、俺はそのまま庭に降りた。結良の両親が手入れしてくれてたおかげで、青々とした芝が生えている。

……サンダルで踏みしめた芝の感触が、グラウンドを思い出させた。


「凌空、つらいのは分かる……けど逃げないで。隼人が前を向いてるのに、凌空が逃げるなんてダメだよ!」


結良は俺のあとを追いかけてきた。


「可能性も確率も高校野球には通用しない。何が起きるかなんてわからない。そんなもの全部捨てて、ただがむしゃらにぶつかってみてよっ……!」

「……」

「青翔で甲子園を目指すことは、凌空の夢だったでしょ!?」

「俺のせいで隼人はっ……、そんな俺だけが夢を追いかけるなんて出来ねえんだよっ……」


背中で聞く言葉が苦しくて、体を反転させた。対峙する、俺と結良。

互いにその目は真剣だった。


「俺だけっ……んなこと……出来るかよっ……」


頭ん中がグシャグシャで、髪を掻きむしる。


「そう思うならなおさら投げてよ。隼人にこの夏投げるチャンスを残してよ……。あたしだって、責任感じてる。でも、あたしは投げられない……だから……こうして凌空にお願いすることしか出来ないの……あたしにそんな力があったら……あたしが投げたいよっ……」


結良はそう言うと、顔を覆って泣きじゃくった。

それでも、てのひらの隙間からこぼれる言葉。


「……お願い……隼人を……甲子園に連れて行って……」

「……っ」


頭に、ガツンと衝撃が走った。


"あのとき"の感情が蘇る。


───"行きたいなあ、こうしえん"

───"ぼくが結良ちゃんをこうしえんに連れてく"

───"ふたりでつれて行って?約束だよ?"


「凌空は凌空の夢を貫いてよっ……。そして隼人と……あたしを……甲子園に連れてって……っ……」


隼人にその夢が絶たれた今……甲子園に連れていけるのは……俺しかいないのか……?


「……」


目を閉じ、唇を噛みしめ、天を仰ぐ。

目を開けると、眩しいくらいの青が飛び込んできた。

3人で甲子園に行こうとはしゃいだあの頃と、何も変わってない空。俺達3人の関係は変わっても、変わらず俺たちをのんびり見下ろしている。


甲子園の空は、どんな色をしているんだろう……。

甲子園には、どんな風が吹いているんだろう……。


見せてやりたい。

隼人にも、結良にも。


そして見たい。俺も……。


「お願いっ……凌空……」


吸い込まれそうな空に、不思議とみなぎってくる力。


俺に背負えるかわかんねえ。でも、やらなきゃ、いけないんだっ……。

隼人のために……



俺は覚悟を決めて……結良の手から、隼人の"背番号1"を受け取った。




翌日。


県営球場で行われた開会式では、俺は隼人の"背番号1"をつけて入場行進をした。この重みを感じながら、1球1球を大切に、必ず、隼人に繋ぐと心に誓って。

俺の球は、それほど他のチームに浸透していない。

隼人の攻略にやっきになっていた対戦校は拍子抜けしていたが、新たな危機を感じているようだった。


俺と隼人じゃタイプが違うからな。

利き腕も違うし、三振量産機な隼人と違い、俺は打たせて取るタイプだ。1番が、右投げから左投げに変わったってだけでも、相手に与えるプレッシャーはあるだろう。

俺の他にも3人の投手がベンチ登録をしている。隼人が離脱したからって、油断はさせねえっ……。


チーム内の雰囲気もよかった。


"隼人を甲子園に"


それを合言葉に、チームはより一致団結し。勢いづいた青翔はとまらず、あっという間に決勝まで勝ち上がった。

桜宮高校も、順調に駒を進め。

決勝は去年の夏と同カード、青翔VS桜宮に決まった。





「ついにここまで来たな。あとひとつだ」


試合後、ずっと俺の球を受け続けてくれた直哉が、俺に握手を求めた。


「…………ああ」


その手を強く握り返した俺は、湧き立つような血が体中を駆け巡っているのを感じた。待ってろよ、桜宮……


隼人の無念は、絶対に俺が晴らしてやるっ……。

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