第19話
事故から2日。
隼人と凌空。ふたりのエースが突然姿を消し、最初こそ困惑していたグラウンドもいつもの落ち着きを取り戻していた。
取り戻さなきゃいけないんだ……。青翔の夏は終わったわけじゃない。
青翔の実力は、隼人を失ってもあまりある。
甲子園への夢を、誰ひとり諦めてないから。
みんなが色んな想いをこらえて、目の前の大会のために必死に闘っている。
それを見ていたら、下なんて向いていられないよ。
つらいのは変わらないけど、あたしは青翔野球部のマネージャー。頑張れ、あたし!
自分に気合を入れて、あたしはグラウンドに飛び出した。
「───ナイスピッチ!!」
向井くんを中心に、今日もグラウンドには活気あふれる声が響いていた。
県大会の開会式が明後日に迫ったこの日、あたしは隼人に呼ばれた。
『持ってきてもらいたいものがある』
そう言われたんだ。
しっかり治すためには最初が肝心らしく、無理に動くことがないように、隼人は1週間の入院を選択した。部活終わりだと面会時間が過ぎちゃうから、練習中1時間だけもらって隼人の病院へ。4人部屋の扉を軽くノックしてから入り、手前の患者さんに会釈をして奥の隼人のベッドに近づくと。
「おう、結良」
両腕に持ったダンベルを動かしながら出迎えられた。
「ちょっと、何やってるの?」
「何って、見ての通り筋トレ」
言いながらも動きを止めない隼人。
「大丈夫なの?」
「足は絶対安静だけど、上はピンピンしてんだから。鍛えとかないとなまるだろ」
ニッと笑って、もっと動きを速める。
「怪我を早く直して、一日も早くグラウンドに戻れるようにすることしか、今の俺には楽しみがないしなっ……」
フーッと息を吐くと、ダンベルを横に置いた。どのくらいやっていたのか、額にはうっすら汗も滲んでいる。
「……強いね、隼人は……」
見てるだけで涙が出そうになった。人は目標を失ったら、這い上がるまでには時間が必要なはず。隼人だって簡単にはいかないと思ってたのに。
「この夏を後で思い返せば、後悔が襲ってくるかもしれない。でもその時に、ふさぎ込んでばかりいた俺まで、思い返したくねえんだ」
隼人は噛みしめるように言った。
「どんなにつらくても、眠くもなるし、腹も減る。それが生きるってことなんだよな。別にこの怪我で、野球を取り上げられたわけでもない」
……そのメンタルの強さはどこから来るの……?
「甲子園に行けなくても、俺が野球を続ける限り野球人生は終わらねえんだよ。俺は野球が、好きだから……」
ケアや注意を怠って、怪我したわけでもないのに。ちゃんと怪我と向き合って、回復へむけ闘っている。すでに一歩踏み出している隼人の強さが、痛いほど眩しい。
「ありがとう……」
「ん?」
「野球を捨てないでくれて……」
ほんとは、ヤケになってこのまま野球をやめるって言ったらどうしようって不安だったんだ。
「それはこっちのセリフ」
目を細めてあたしを見つめる隼人に、心臓がバクンッと鳴った。
「昔、結良が甲子園に行きたいって言ってくれたおかげで、今の俺がある。ありがとな、結良」
「……それはあたしだって同じ。隼人に沢山の夢を見せてもらったもん……」
小さな小指で、指切りしたあの日。甲子園に連れて行くと言ってくれたふたりの男の子。あたしの人生だって、その日から変わったんだよ。
「ありがとう」
あたしの言葉が、隼人の夢への架け橋になったなら、それだけで胸がいっぱい……。
「そうだ。頼んだもの、持ってきてくれた?」
思い出した、とばかりに表情を変える隼人。
「あ、そうだった」
涙を飛ばすように目をパチパチさせたあと、持ってきた紙袋を見せ、中から取り出したものは。
隼人がこの夏着る予定だった、背番号1のついた公式ユニフォーム。今朝、おばさんから借りて持ってきたんだ。
「サンキュ」
これを、どうするの?
病室に飾るのかな。
「ハサミ取って」
「ハサミ?」
なにに使うのか分からず、指示された引き出しからハサミを取って渡すと、ユニフォームにハサミを入れようとするから驚いた。
「ちょっと待って!やめてっ!」
慌てて止める。ユニフォーム、切り刻む気!?
きっと青い顔をしているだろうあたしに、隼人は笑う。
「外すんだよ、コレ」
それは背番号に縫い付けられた【1番】
「もう俺には背負えないからな」
「……あ」
丁寧に、丁寧に、外されていく1番。
ピッチャーなら、誰もが憧れる1番。
……どんな思いで外してるのかと思うと、呼吸音さえも漏らしちゃいけないような気がして息をひそめる。
外し終わると、しばらくその1番を眺めた後、あたしの手に乗せた。
「これをさ、凌空に渡してほしいんだ」
「えっ……」
「アイツ、練習来てないんだって?」
「……うん」
「俺の電話もオール無視だし」
「……」
「見舞いくらい来いってのな」
眉間にシワを寄せるのは、責任どうのじゃなくて、単純に親友としてだと思う。
隼人は今回の事故を誰のせいにもしなかった。それでも……隼人は凌空の背負っているものがわかってるんだよね……。
「1番をつけられるのは、やっぱり凌空しかいねえよ。監督さんからも話行ってるはずだけど凌空は聞かないみたいで」
「そう……なの?」
あたしも凌空と会話できてない。
家に行っても出て来てくれないんだ。
「なあ、結良」
「ん?」
見上げたあたしに、隼人は声を絞り出した。
「……多分、俺より凌空の方が苦しんでる。……支えてやって……ほしい」
その瞳が揺らぐ。
……もしかしたら。自分がマウンドに立てないことよりも。
凌空がグラウンドを去ったことに、胸を痛めてる……?
……隼人はそういう人だ……。
いつだって周りに目を配って、周りのことを考えて。
そんな隼人の頼みなら、なんだって聞くよ……。声を出すと涙がこぼれそうで、あたしは一生懸命首を縦に下ろした。
「たのんだよ」
マウンドに立てなくて悔しいはずなのに、こんな時に凌空を気遣う隼人の優しさに触れて、また溢れ出す好き。
「俺の夏は終わったけど、凌空にはまだチャンスがある。後悔のないように、俺の分までしっかり戦えって伝えて」
ふわりと大きく揺れた白いカーテンが運んでくる夏の風。夏の匂い。懐かしく、どうしようもなく苦しい。
だけど……こんなにも温かい……。
隼人の強さと優しさが、あたしの心に融和して。
「凌空が拒否っても、必ず渡して」
「……わかった、必ず渡すっ……」
隼人の想いと一緒に。あたしは隼人の背番号を大事に胸に抱えながら、何度も何度も頷いた。
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