第17話

救急車で運ばれた隼人に付き添い、あたしと凌空も病院へやって来た。隼人はすぐに検査に入った。転落事故だから、脳や内臓にダメージはないかなど、精密検査が必要みたい。電話で連絡して駆け付けた隼人のお母さんも一緒に、待合室で待っていたんだけど……。


「亀裂骨折……?」


検査が終わり、あたしは医師の告げた言葉を理解するのに時間がかかった。打撲もあるだろうし、それなりに静養が必要なのは分かってた。


でも、県大会開幕まではあと5日。実際の試合まではシードもあるからその4日後。時間は十分あると思ってたのに。


「嘘っ……だろ……」


凌空も言葉を詰まらせるように、骨折となれば話は別。

それじゃあ、1週間で完治できないじゃんっ……。

胸が引き裂かれる思いがした。


「普通なら腕や足の骨の1本2本折れていても不思議じゃない事故でしたよ。打ち所が悪ければ、命も危なかったかもしれない。よほど日頃から体を鍛えてたんでしょうね。落ちた時に受け身も取れていたんでしょう」


呆然と立ち尽くすあたしたちの前で、医師はこの程度で済んだことが奇跡だと言った。


脳や内臓の検査でも異常はなかった。ただ、左足の甲に一か所、亀裂骨折が見つかったと。


「あのっ、来週から野球の県大会が始まるんです。投げられますよね!?」


凌空は、医師に食らいつく。骨折と言われてるのに引き下がらない凌空は、少し錯乱状態。

あたしだって同じ。なのに医師は非情にも、厳しい宣告をした。


「ギブスが取れるのが月末くらいだと思うから、全治1ヶ月から2ヶ月は見ておいた方がいい。今しっかり治しておかないと、あとが大変なんだよ。野球を今後続けたいのなら尚更。残念だけど、それはキミも分かるね?」


医師は凌空の肩に手を乗せ。


「ではお大事に」


頭を下げると、この場を後にした。


全治、2ヶ月……?それじゃあ、夏が……甲子園を賭けた夏が終わっちゃう……。

目の前が、真っ暗になる。


「この程度で済んで良かったわ……」


絶句するあたしと凌空に、隼人のお母さんの柔らかい声。息子を心配していた母親としての、心から安堵する声だった。


「……すみませんっ……俺のせいで隼人は……」


項垂れた凌空は、力なく隼人のお母さんに言葉を落とす。こうなった経緯は、隠すことなく伝えていた。


……凌空は……ものすごく責任を感じている……。


「起きてしまったものは仕方ないわ。お医者さんも言ってたじゃない。これだけで済んだのが奇跡だって……」


少し目を赤くしたおばさんは、


「じゃあ、隼人に伝えてくるわね」


そう言うと、隼人のいる病室に入って行った。



あたしは……隼人の部屋に入れなかった。この夏が絶望的になったと知る隼人を、見る勇気がなくて。


「チクショウ……!!!!」


ドンッ……ドンッ……。

拳を作り、廊下の壁を叩く凌空。


「……んで、隼人なんだよおおっ……!!!隼人より先に俺が見つけてれば……俺が事故に遭えば良かったんだ……」


こみあげるものが抑えられない。


この夏のために、隼人はたくさんたくさん、練習してきた。ただ、甲子園に行くために……。ゼロから野球と向き合いたいって、あたしとも別れて最後の夏に賭けてた。


「うっ……ううっ……」


なのに神様、こんな仕打ちしなくてもいいでしょ?

隼人の3年間の野球生活は……こんなことで幕を閉じるの……?隼人は何も悪くない。何も悪くないのにっ……。


全ての引き金は、あたしだった……。

あたしが、隼人の夏を奪ったんだ───

悲しくて苦しくてやりきれなくて。


冷たい涙が頬を濡らす。





おばさんが病室に入って数分後。


「うああああああっ………!!!」


部屋の中から、隼人の叫び声が聞こえてきた。


……胸が、張り裂けそうだった。その声を聞いた凌空も、壁に手をついて頭を垂れたままジッと動かず、目を瞑っていた。そのあとも、何度となく漏れてくる隼人の声。


「……っ……」


あたしはたまらず、その場から駆け出した。



5階の談話室。大きい窓から降り注ぐ陽の光。外の緑は風に揺れて、光が水辺を反射させる。ようやく、待ちに待った夏がやって来たのに。


隼人の夏は……終わっちゃった……。

涙でにじむ景色を、どのくらい見ていたんだろう。


「結良ちゃん」


後ろから声を掛けられて振り向けば、隼人のお母さん。さっきよりもやつれた表情をしていた。無理に笑おうとするその頬にも、涙のあと。取り乱す隼人を、どんな思いで受け止めたんだろう……


「おばちゃんっ……」


こらえられなくて、抱き着いて泣きじゃくった。


「結良ちゃん……」


何もかも、夢だったらいいのに。明日になったら、また隼人とグラウンドで笑い合えたらどんなにいいんだろう……。

大きく揺れるあたしの背中に優しく手を添えたおばさんの声が、優しく届く。


「隼人のところ、行ってあげてくれる?」

「でもあたし……」


正直躊躇った。

なんて言っていいのか分からないし、心の整理のつかない今は、あたしの顔なんて見たくないかもしれない。


「あの子はね、結良ちゃんが側にいてくれるだけでいいと思うから」


……そんなこと……。


「……お願い……」

「……」


でも、目の前の現実から逃げるわけにいかない。……会わなきゃ……。

辛い隼人から逃げたら……もっと隼人が孤独になるような気がして。


「……うん……」


優しい瞳に頷いて、ゆっくりと元来た道を戻ると。


「あれ……」


凌空がいない。キョロキョロしたあたしに、


「凌空は帰ったの。今は会えないって」

「……」

「引き留めたんだけどね……」


凌空の気持ちも痛いほどわかる。凌空は今、きっと、自分を責め続けてる……。

おばさんは一回家に帰ると言い、ノックをしてから部屋に入ると上半身を起こした隼人は窓の外を見ていた。


「おう、結良」


いつもの、隼人。

さっき廊下で聞いた、絶望的な声を出した隼人とは別人みたいに。でも、それは必死に抑えようとしていただけだったと知るのもすぐで。


「……隼人……ごめんなさい……」


震える声を出したあたしに、隼人の顔が曇った。


「……ちげーだろ」


フイッと窓の方に顔をむけ。


「自分のせいだなんて、死んでも思うな」


強くて冷たい声を放ったあと、隼人は顔を歪ませて布団を思いっきり叩いた。


「クソッ……!!」


うっ……。隼人がこんな風に感情をあらわにするのは初めて。 

ヤケにもなるよね……。

甲子園というただ一つの目標のために、毎日練習をがんばってきたのに。目前で、こんな事故に遭ってマウンドに立てなくなるなんて、夢にも思わなかったよね。

大粒の涙が頬を濡らす。

声が漏れないように必死でこらえた。

周りが泣くのは違うから。

泣きたいのは……隼人の方だ。


「クソッ……クソッ……!」


そう言いながら何度も布団を叩く隼人の反対の手を握り、息をひそめて見守るしかなかった。

あたしに別れを告げた時でさえ冷静だった隼人の荒れた姿は、顔を背けたくなるほど。


でも、逃げちゃダメ。現実から目を背けちゃいけない。辛くて苦しい想いをしている隼人から、目を逸らしちゃいけない。

思いっきり、悔しさを吐き出して……その後は、あたしが支えるから……。


「帰れよっ……」


隼人はあたしの手を振りほどき、頭から布団を頭から被った。


嵐が止んだ後みたいに静かになる病室。布団で覆われた隼人の体は、動くことはない。怒りを吐き出して……今はその怒りと冷静に闘ってるんだ……。

……あたしは、その怒りを包み込むように、その白い膨らみを上から優しく抱きしめた。


優しく、背中を撫でる。痛みも苦しみも怒りも悲しみも、一緒に背負うよ……。




いつの間にか眠ってしまった隼人が目を覚ましたのは、それから2時間後だった。


「まだいたのかよ」

「……うん」


窓の外はすっかり闇に覆われていた。

眠っている間に運ばれてきた食事も、すっかり冷めてる。


「隼人、ごはん来てるよ」

「いらねえ……」

「少しでいいから食べよう?」

「結良が食っていい」

「……あたしはいらないよっ……」


グゥ~……。

拒否した反動なのか、お腹が鳴ってしまう。全く緊張感のない音で。

ああもう、なんでこんな時にっ。


「ははッ……」


慌ててお腹を押さえると、隼人から笑いが漏れた。


「ほんとにもう帰れよ」

「……」


笑顔もつかの間。さっきと同じ言葉に、また心が沈むけど。


「遅いだろ。じゃないと、俺が心配でいられねえんだよ」

「……わかった」


さっきまでのヤケになっていた隼人と違い、あたしを気にかけてくれるいつもの姿にあたしは素直にうなずいた。


「また来るから……」


小さく手を振り、涙をこらえながら病室を後にした。

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