第15話 隼人side

「───その件はあまり広めないように。選手同士が疑いを持つのが一番怖いからな」

「わかりました。……じゃあ、またグラウンドで」


一礼して、俺は多目的室を出た。


試験が終わって昼飯を食ったあと、俺は広田監督と30分くらい話をしていた。広田監督は、選手とのコミュニケーションを大切にする。グラウンドでは選手とよく話し、特に1軍の選手を中心とし、制服姿でじっくり話をすることもある。

今悩んでること、興味があること。野球以外のことでもなんでも。

そうやって、選手の心理状態を確認しているらしい。


この機会にスコアやファイルがなくなっている件にも触れた。これを知っているのは、向井と俺。そして結良。

悪用されてる可能性は低いし、データならUSBメモリにも入っている。あまり事を大きくしないようにとのことで話はついた。



多目的室は、校舎の一番端。窓の外に目をやると、野球部のグラウンドが見えた。アップメニューは終わっているようで、向井を中心にノックが行われていた。

こんな風に上から見ることなんてないから新鮮だ。

あの中で俺はいつも練習してんのか……。不思議な気持ちで眺めてると。


「……あ」


結良を見つけた。ボールの入ったカゴを抱えてグランドを走っている。

頑張ってんな。

その姿を追う胸の中は、やがて鈍い痛みに支配されていく。見てるのがつらくて視線を中へ戻し、昇降口に向かう。


結良に別れを切り出すのは迷ったし勇気がいった。

でも、今の俺にはそうするしかなかったんだ。

体育祭のとき結良にキスしてた凌空を見て、結良への気持ちを確信した。


結良のせいじゃない、凌空のせいでもない。……結局は、弱い俺のせいなんだ。

結良は……突然のことで戸惑ったよな。

自分からコクっといて、一方的に別れを告げて。卑怯だ。

でも、この三角関係の殻を誰かがぶち破らないと、全員が行き場の無い空間に浮かんだままになるようで……。


凌空は俺を殴ろうとしたほど、結良を想ってる。結良も自由の身になれば、遠慮しないで自分の心と向き合えるだろ?そうすれば、本当に好きなのは誰なのかが分かるはずだから……。

後悔は、してない。凌空のことは……ひとまず静観するしかないか。



「あ」


階段を降りかけて、体をUターン。着替え一式を入れたエナメルを、教室に置きっぱなしだったのを思い出したんだ。


「めんどくせえな」


口にしながら教室へ戻る。


時刻は2時。試験は午前中で終わり、校舎内に残ってる生徒はいない。明るいくせにこんなにがらんとしてるのを不気味に思いながら教室へ急ぐと、そこには置き去りにされたままの俺のエナメルと。


「矢澤くん……」

「わあっ……!!」


……手塚がいた。

人が居るなんて思いもしなかったから、素で驚いた。

心臓がバクバク言ってる。


「驚かせちゃってごめんね」


よっぽどビビった表情をしていたのか、手塚は申し訳なさそうに謝ってくる。……なんとなく気まずい。

コクられた過去もそうだし、結良からあんな話を聞いたっつうのもあるし。


「まだ残ってたんだ」


無視もできず、当たり障りない会話で場を繋ぐ。野球部以外は帰宅してるはずなのに、なんで居るんだ?


「うん。ちょっと野球部見てきたの」

「ああ……」


ハニカみながら答える手塚は凌空の彼女。冷やかしあう間柄でもないし、ただ納得だけしながら自分の席へ向かうと。


「矢澤くん……結良ちゃんと別れたんだってね?」


まるでこれを言うために待ってたとばかりに切り出された話題は、心臓に悪影響を与え。

焦りを伝える心拍数の上昇を表に出さない様、エナメルを肩にかけながら曖昧に返事した。


「…………ん……まぁ……」

「どうして?」


触れてほしくなくて濁した俺の努力なんて全く伝わってないのか、手塚は間髪入れずに問いかけてくる。


……なんでそんなこと聞くんだ?

答えを待つ手塚の目を固まったまま数秒見つめてしまったあと、「ごめん」そう言って教室を出ようとすると。


「矢澤くんっ……」


引き止める声と共に、俺の胸に飛び込んできた。


「……っ」


ぎゅっと、腰に手を回される。


……?

困惑して、一瞬身動きが取れなくなった。


「……好きなの…」


細い声が耳に届いた。……は? なに言ってんだよ。……凌空とつきあってんだろ?


「あたしじゃ……ダメ?」


震えるように訴えかける声に、ハッとして体を離す。

揺れる黒髪を耳に掛けた彼女は、俺を見つめながらもう一度同じ言葉を唱えた。


「あたしは……ずっと矢澤くんだけが好きだった」

「なに言って……。だって、凌空と……」


頭の中はパニックだ。凌空に告白したのは手塚からだろ……? 俺はからかわれてんのか?

整理の出来ない頭と心をどうにか落ち着かせようとすると、耳を疑うような言葉が聞こえた。


「……凌空くんのことは、はじめから好きじゃない」


目を見張る。


「じゃあ……なんで……凌空と付き合ってんだよ……」

「……結良ちゃんが悪いんだよ……」

「……!?」


突然出てきた結良の名前に、頭が真っ白になった。


「矢澤くんと付き合ってるくせに、凌空くんまで欲しがるからっ……」


なに……言ってんだ……?


「それに……結良ちゃんは矢澤くんを好きなようには見えなかった……」

「……」

「だから矢澤くんも全然幸せそうじゃなくて。そんな矢澤くんを見るたび胸が痛かった。凌空くんが転入してきて、結良ちゃんの気持ちがフラフラしてるがわかって尚更」


指摘されたくなことを次から次へと言ってのける手塚に、俺が割り込む隙なんてなくて。

黙ってるのをいいことに、話し続ける。


「あたしはこんなに矢澤くんが好きなのに、矢澤くんに思われてる結良ちゃんが矢澤くんを見てない……それが許せなかったの」


時折、唇を噛みしめながら。


「結良ちゃんには、なんでもわかり合える親友もいて、矢澤くんもいる。なのに凌空くんまで……だから、結良ちゃんのもの、全部奪いたくなった……」


恐ろしい手塚の思惑に、背筋が凍る。


「凌空くんがあたしと付き合ったら、少しは結良ちゃんがへこむかなって思ったの」


なんだよ……その身勝手な理由。


そんなことで凌空は利用されたのか?


「凌空は……どうすんだよ……」


手塚の思惑のために付き合わされた凌空の気持ちは。凌空だって、手塚を好きになろうとはしてたはずだ。遊びで女とつき合うような奴じゃない。

手塚は再び俺の腰に手を回すと囁いた。


「矢澤くんだって、気付いてるんでしょ?」


その言葉は、怪しげに耳を震わせる。


「凌空くんが、本当は誰を好きか───」

「やめろって!」


再び手塚を押し戻す。


わかってんだよわかってんだよ!!!そんなこと他人に言われたくない。

大きく体を払った反動で、机がガタッと動き、その上から手塚のサブバッグが落ちた。

目で追うと、そこから黄色い表紙のノートが半分すべり出たのが見えた。


「これは……」


見覚えのあるノート。無意識に手が伸びて。


「っ、ダメッ……!!」


それより先に手塚が拾い上げ、バッグに押し込み隠すように胸に抱えるけど。

咄嗟に青ざめたその顔に、イヤな予感が脳裏をかすめた。


「それ、なに」

「……っ」


冷静に問いかけると、手塚は眉を寄せて、落ち着きなく瞳を動かしながらも黙秘を貫く。


「野球部のスコアブックだろ」

「やっ……」


確信した俺は、それを無理矢理奪い取り中身を確認した。


やっぱり。スコアブック1冊が入っていた。だが、表に書かれた記録期間を見ると、無くなったと聞いていたのとは別のものだ。


「なんでこれを?」

「り、凌空くんが貸してくれてっ……」

「これは持ち出し禁止になってる、凌空が貸すわけない」


キッパリ断言すると、手塚は唇を噛みしめた。


「手塚が部室から持ってきたのか?」


凌空の彼女として練習に足を運んでいる手塚なら、出来なくもない。


「……っ、うわああっっっ………」


追及され観念したのか、手塚は床にしゃがむと顔を両手で覆って泣き出した。

泣きじゃくる手塚の前で俺も混乱する。


「なあ、これをどうするつもりだったんだよ!」


盗んで手塚が得するのか? それとも、結良を困らせるために紛失騒ぎを起こしたかったのか?


「どうするつもりなんだ!!」


だからこそ、声が荒くなった。責任を感じていた結良の顔。練習中、手塚からの差し入れに素直に喜んでいた凌空の顔。

大事なふたりを欺く行為に、ただただ込み上げてくるのは怒りだけ。手塚はしばらく泣き続けたあと、放心したように顔をあげた。

口元だけに怪しい笑みを浮かべて言う。


「……覚えてない?あたしの幼なじみ」


……幼なじみ?

 そういえば、体育祭の時に……。


「桜宮に通ってるんだよ」

「…………」

「ライバル校のレアな情報なんて、喉から手が出る程ほしいよね」


まさか、それを桜宮野球部に……?


「晃は野球部じゃないから、桜宮の野球部は直接関与しないし、入ってくる情報を耳にするだけなら罪にはならないでしょ?」

「……おい。自分が何言ってるか分かってんのか」


自分でも不気味なほど、低い声が出た。

手塚はひるまない。


「凌空くんもあたしに心許してくれてたから、青翔メンバーのこと色々教えてくれたんだあ。ファイルのデータには、選手の弱点まで細かく書いてあった、ふふっ」


むしろ、魂が抜けたように笑い。


「ピンチの時は心理戦がモノを言うんだってね。凌空くんが教えてくれた。その情報があれば攻略しやすいかもね」


目は死んだように座っている。


「なんでそんなことっ……」

「3人が結束して、甲子園目指してるのがイヤだったからに決まってるでしょ!」


手塚の肩を揺さぶると、途端に目力が戻り俺に噛みつく。


「そのためには、どんな手を使っても桜宮に頑張ってもらうしかないじゃない!!」

「……っ」


そんなことを思ってたのか……?

凌空は、野球部の情報を聞き出すことにまで利用されたのか……?


拳を作った手は、ワナワナと震えた。女じゃなかったら、間違いなく殴ってた。


「晃がホントに野球部に渡してるかどうかは知らないけど、それが渡ったら、凌空くんはおしまいだね」


手塚はもう正気を失っている。


「部外秘のデータの入ったファイルが部室にあることを教えてくれたんだし。凌空くんペラペラしゃべってくれるから」

「……」

「差し入れをロッカーに入れときたいって言ったら、部室に入るのも許可してくれたの。おかげで、怪しまれずに入れて助かった」


手塚にはもうなにを言っても無駄だ。

俺は決意を固めて手塚を見据えた。


「凌空のせいにはさせない、データは絶対に俺が取り返す。海道に会わせろ」

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