第14話

それから放課後まで眠り続け、夢まで見ていた。

3人で小指を絡ませる、あの懐かしい夢を。


───"ぼくが結良ちゃんをこうしえんに連れて行ってあげる!"

───"ちがう!ぼくが結良ちゃんをこうしえんに連れていく!"

───"じゃあ、ふたりでつれて行って?約束だよ?"


目覚めた時は、何だかすごく幸せな気持ちだった。恋心なんて知らなかったあのときみたいに。原点に戻って、みんなで夢を見よう。


あたしたちの描いた夢まで、あと少し―――






「マネージャー!こっちよろしく!」

「はあいっ!」


呼ばれてダッシュする。


今日はすごく気分がよかった。昼間あんなことがあったけど、ゆっくり休めたし……久しぶりにゆっくり隼人と話せたから。

彼女じゃなくなったあたしと隼人の関係は、あくまでもマネージャーと選手。

隼人は青翔のエースだし、雲の上の存在の隼人にはなかなか声を掛けずらい。

それなりに忙しくグラウンド上を駆け回るあたしにも、そんな時間は無かったし。間はどんどん広がるだけだったけど。やっぱり隼人は隼人だった。


なにも変わらない。あたしの、好きな人。


隼人は拒絶したいだろうけど、自分の気持ちに素直になれば、あたしは今だって隼人が好きだから。夏が終わったら……今度はあたしから気持ちを伝えてもいいかな……。



「腹へったー」

「メシだメシ!」


7時くらいになると、みんな休憩がてら軽食を摂る。あたしはその時間を利用して、部室の近くでボール磨きをしていた。ずっとやりたかったんだけど、優先する仕事がありすぎてそんな暇さえなくて。


今日はこれをやるって決めてたんだ。汚れがひどいものは中性洗剤をしみこませた布で拭き、縫い目がほころびているものは針と糸で直していく。


「いたたっ」


急いでたら、針を人差し指に刺してしまった。血が指先にぷくっと浮かびあがってくる。


「はい」


そのタイミングで、絆創膏がひょいと差し出された。


「わわっ……!」


差し出し主は凌空で、ニコッと笑うとあたしの隣に腰を下ろした。


「結良が針持ってる時点で用意しとかなきゃーって思ったら、ちょうどだったなー」

「ひっどーーー!でも助かった。ありがとう」


笑ながら受け取って、人差し指に巻く。凌空はおにぎりの包みを開ける。


「今日はなんだか災難だったな」

「ほんと恥ずかしい……」


一生懸命だったあの時のことは否定しないけど、あとで考えると消したい過去だよ。


「結良があんなに向かってくなんて、正直びっくりした」

「へへへ」


だから笑って済ますしかない。


「隼人のことなんか言われたんだって?」


聞きにくそうに振ってくる凌空はすべて知ってるみたいで、やっぱりあたしは笑うしかない。


「ふふふ」

「すげーじゃーん。さすが愛の力?」


軽くグーパンチを肩にお見舞いしてくる。愛の力、か。


「まあなー、結良はそんなこと言われたら複雑だよな。ま、あとは隼人がそうじゃねえってことを甲子園行って証明してやればいいだけだな」


パクッとおにぎりをほおばり、ひとり納得する凌空。


「……うん」


もう、それは解消されてるんだけどね。

隼人はあの子たちが言ってたみたいに、彼女にうつつなんか抜かさないし、それを証拠にあたしと別れてグングン調子をあげてるもん。すごくいいことなのに、心の奥底では悲しくて。


「なんだよ」


声の変化を察したのか、凌空はパンチした手をそのまま広げてあたしの頭に乗せた。


手の温もりが、心に温かい膜を張る。

……優しくしないで。こんなときに優しくされると涙腺が緩んじゃうから。


「どした」


……優しい声で聞かないで。ほんとに涙が出てきちゃうから。


「なんかあった?」

「……なにもない」

「隼人と何かあったのか?」


なんで心って、人の言葉に反応しちゃうんだろう。核心をつかれて、目が泳いで。ごまかそうとしたのに、凌空は見逃してくれなかった。


「何もなくて人は泣かねえよ」

「……」

「結良が泣いてると、俺が困るんだよ」


そう言って、ほんとうに困ったような声を出す凌空。


「俺はさ、隼人と結良と幼なじみなわけだし、立場的には中立なんだから、なんかあったら頼ってくれてもいいんじゃね?」

「……」

「結良のことも隼人のことも、一番よく知ってんの、俺だから」


ポロッ。涙が零れてしまった。

……やだ。

こんなときに我慢できないなんて。

慌てて拭いたけど遅かった。


「ケンカか?想像つかないけど」

「……」

「なんか言われたの?それとも誤解?必要なら俺が言ってやろうか?」


のぞきこまれ、逃げるようにお尻を遠くにずらす。


「ううん全然違う。あたしが悪いの……」

「だからそれじゃわかんねえって」


じれったいのか、心なしか強くなる凌空の声。別れたことを、凌空はまだ知らない。

つきあっていたのをずっと隠していて、あとで後悔したのは記憶に新しい。

だったら、別れたことはすぐに言った方がいいよね……。

一番知ってるとまで言ってくれた、幼なじみなんだから……。


「隼人とは……もう別れたの……」


勢いだった。


「えっ……」


目を見開く凌空は、まるで予想すらしてなかったように思えて。あたしを真っ直ぐ見つめていた。


「ふふふ、ビックリした?」


笑うって感情を隠すのに便利だね。恥ずかしいときも、悲しいときも。目尻の涙を指で弾いて、無理に口元をあげた。


「……ウソ、だろ……」


だから。お願いだから、凌空が泣きそうになんかならないで。凌空の顔が、またぼやけてくるから……。


「でも大丈夫!あたし結構立ち直り早いから!」


その言葉に、もっと凌空の顔が険しくなって……。


「隼人から別れようって言われたのか?」


……あ。余計なことを言っちゃった……と思ったときには凌空がスクッと立ち上がっていて。


「凌空っ!」


呼んだけど、もう遅かった。あたしの前をサッと通過した凌空は、灯りのついた部室に入って───


「……っ!」


慌てて追いかけたあたしの目に映ったのは、隼人の胸倉に手を掛けている凌空の姿。


……ちょっとなにしてるのっ!?


向井くんと話していた隼人は、突然の出来事に顔を強張らせる。言葉も出せず、ただ眉をひそめて。


「結良泣かしてんじゃねえよっ!!!!」

「やめてっ……」

「やめろっ!」


あたしの声に向井くんの声が被さり、凌空の左腕を掴む。

その手には拳が握られていて、隼人に向けられる寸前で向井くんが回避した。


「オマエの左腕は、人を殴るためにあんのかっ!」

「……っ……」

「ちげえだろっ!!」


普段冷静な主将の声を荒げての制止は、的確な判断だった。

部員同士の殴り合いなんて、絶対に許されないから。


やだ。

やだよ……。凌空が隼人を殴ろうとするなんて……。

あたしはただ、足をガクガク震わせながらその場に立ち尽くす。


「……んだよっっ……!!」


凌空は歯を食いしばりながら向井くんを睨みつけ……乱暴にその手を降ろした。それを見て少しホッとしたように息を吐いた向井くんは、凌空の両肩に手を乗せた。


「なに興奮してんだ、凌空」


声を掛けられても、凌空の視線はまた隼人に向いて。


「なんで別れたんだよっ」


今度は言葉で詰め寄った。


「えっ……」


困惑した声を出す向井くんの視線の先は、あたし。


……ビックリするよね。もう、俯くしかなかった。


「隼人、ほんとなのか?」


向井くんからも詰め寄られ、隼人がチラッと視線をあげる。瞬間、凌空がまた一歩距離を縮めた。手は出さないけど、気迫はそれにも勝っている。


「言ったよな、泣かすなって。俺はな、結良が選んだならしょうがねえって思ったんだ。結良が幸せならそれでいいって思ったんだよっ!!!」


責めないで。

お願いだからっ……。

隼人は突っ立ったままだった。

反撃するでも反論するでもなく。


「なんとか言えよ!」


そんな態度は凌空を怒らせるだけなのか、答えない隼人の肩を押す。フラッとよろめく隼人の体。


……もう、やだっ……!

下を向いて目を瞑ったまま、あたしは叫んだ。


「お願いやめてっ……!」


隼人が反論しない理由が分かりすぎて、もう限界だったんだ。


「凌空、やめて……」


すがるように凌空の腕を掴む。


隼人はきっと、あの日のキスを知ってるの……。


もちろんそれだけが原因じゃない。あたしが、隼人に好きって態度を見せなかったから……。


「隼人は悪くないのっ!悪いのはあたしだから!」


あたしの曖昧な態度が、隼人にそういう決断をさせたの。だから、隼人を責めないで。

ジッと凌空の目をみつめる。


「なんでだよっ……」


隼人を庇うように立ちはだかったあたしを見て、凌空が辛そうに顔を歪めた。

凌空の瞳を揺らすソレが、ジワジワとあたしの胸を締め付けていく。


「ふざけんなっ!」


その瞳を逸らして捨て台詞を吐いた凌空は、パイプ椅子を蹴り倒すと部室を出て行った。


……はぁっ……。

あたしはその場にしゃがみ、顔を両手で覆った。

向井くんの重いタメ息が、部室に落ちる。


「なにがあったかよくわかんねえけど、部にこういうの持ち込むな」


苦しそうに吐き出す向井くんの言葉は、主将として間違ってない。


「隼人わかってんのか、あと10日だぞ。なに考えてんだ」


……そう。県大会開幕まで、あと10日。そんな時期に女のことで、2枚看板の隼人と凌空が仲互いとか、絶対にあっちゃいけない。

……あり得ない。

向井くんが隼人に見せた苛立ちは、すべてあたしが引き金で……もう胸が張り裂けそう。

出来るなら、消えてしまいたいと思う程に。


「…………悪い」


続けて部室を出て行った隼人が発したのは、この言葉だけだった。




それからの隼人と凌空は……。


睨みあうでもなく、文句を言うでもなくて。教室では目も合わせず、お互いがお互いの存在を視界に入れてない様子だった。それでも、いざグラウンドに入れば別だった。

部室で着替える時間をずらすことはしても、練習でのいい所や悪い所の声掛けは今まで通りだし、認め合いもする。


そこはふたりが持つ、野球への意識の高さ。プレーに影響が出ないのはすごく助かった。恐れていたのは、チームへの影響だったから。

でも、キャッチャーで主将の向井くんは、そんなふたりにハラハラしている様子が否めなかった。



「隼人と凌空、バトルっちゃったんだって?」


部室での騒動が広まるのにも、そう時間は掛からなかった。それでもエースふたりのことだけに、誰もおおっぴらにウワサできない様子。

わざと明るく問う黒田くんに、あたしはうろたえた。


側では、後輩たちもしっかり聞き耳を立てている。


「よくあることだから大丈夫。仲がいい証拠だよ!」


部員達を不安にさせないように、精いっぱい笑顔でそう答えるあたしが一番不安でしかたない……。


明日から試験、県大会まではあと1週間。どうしたらふたりが修復できるのか、悩みは果てなかった。

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