第13話
体育祭が終わり、校内は気の抜けたような空気が漂っていた。大きな行事のあとっていつもそう。体育祭ロスとか学園祭ロスだとか言って、授業に集中できなくなる生徒が多くなるんだ。行事に向けて頑張っていた分、張り合いがなくなっちゃうんだから当然だよね。
去年までなら、もうすぐ夏休みだし……と、なんとか気持ちを繋いでいたものの、今年は受験生ということで、余計にみんなのキモチも浮上しにくいみたい。あたしもそれに便乗して、こころにぽっかり大きな穴が開いていた。
体育祭が終わって淋しいわけじゃない。……隼人にフラれたから。
すべてを打ち明けた沙月には、それはフラれたって言わないよとフォローされたけど。好きだと思ってる相手に付き合いを解消されたら、フラれたって言うよ……。
『すべてをゼロにして、野球に集中したい』
だとしても。この夏が終わってからの約束なんて、ひとつもないんだから。
"凌空が好きかもしれない"なんて、自分の気持ちまで迷子にしてようやく気付いた隼人への想い。
知らない間に、あたしの好きは、毎日毎日育っていたんだ。気づくのが遅すぎた。
隼人が空気の様な存在になって……でもその中で、確実に毎日呼吸をしていたのに。隼人が左側に居るのを当たり前に思いすぎていたんだね。自業自得なあたしの失恋の傷は、まだまだ癒えそうにない。
今日もグラウンドでは、部員たちが一生懸命練習に励む。隼人と同じ空間で過ごすにしても、教室よりグラウンドの方がまだキモチは楽だった。
グラウンドでは、あたしにも使命があるし。
「マネージャー、スプレー!!」
飲み物の補充作業をしていると、3年生の黒田くんが、顔を歪めながらベンチになだれ込んできた。肘のあたりに打球を当ててしまったみたい。
「大丈夫!?氷必要?」
すぐにコールドスプレーを手に取り、痛がっている箇所にシップする。
「いや、それは大丈夫っしょ。ゴホッゴホッ……。俺この匂いキライなんだよなー」
噴射される霧に顔を背ける彼の患部が左腕なことに気づき。
「あ、やっぱ冷やしておこう」
あたしはクーラーボックスの中から氷を取り出した。
「黒田くん左投げだもんね。特に大事にしないと」
専用のバンドにセットして、肘にくるっと巻いた。少し休んでもらう意味も込めて、ドリンクも手渡す。
「おー、なんか手際いいんじゃないの?」
「いえいえ、どーいたしまして」
褒められて、ちょっとうれしい。
「つーか、両利きなの知っててくれたんだ?」
「うん、もちろん」
黒田くんは、左投げ両打ちという珍しい選手。これも仁藤くんのノートのおかげ。何気なく見ていたら見逃してしまいそうなことだから、すごく助かった。
こういうときにマネージャーの仕事として発揮できるし、選手との信頼関係にもつながる。
「こんな底辺の俺のこと知っててくれてるなんて、マジ嬉しいなあ」
感激の眼差しを向ける黒田くんに、あたしもちょっと得意げになる。
「底辺だなんて。ベンチ入り決まったでしょ。おめでとう」
「へへへ。おかげさまで背番号いただきやしたっ!」
満面の笑みを浮かべる黒田くんは、青翔に入って初めてセンターを守る背番号8番を手にいれたんだ。はじめての背番号でポジションまでゲットできたなんて、大飛躍。
ここは実力の世界。後輩たちが先に背番号を手にしても、腐らないでずっとがんばってたもんなあ。
黒田くんとは、1年の時から一緒にスタンドで声を張り上げていた"同志"だったから、ベンチメンバーに選ばれたことはあたしもすごくうれしかった。
先日、背番号が発表されて、"背番号1"エースの座には隼人がついた。二番手を意味する"背番号10"は、凌空が手にした。
層の厚い青翔で、入部3ヶ月程度で10番を手にした凌空の実力はどれだけのものなのか。想像のつかないレベルにいることは間違いない。
組み合わせ抽選会も終わり。シードをもらった青翔。桜宮と対決することがあれば、それは決勝という、因縁めいた組み合わせになった。
「おかげでモチベーション半端ないわ。親孝行できて良かったー」
「ほんとおめでとう。お母さん喜んでたでしょ。地元大阪だっけ?」
黒田くんは県外から来た選手で、親元を離れて寮生活をしている。
「そうそう。だから甲子園には地元の仲間がみんな応援に来てくれるっていうから、絶対行かねえとな!」
……そうなんだ。強い決意を語る黒田くんを見て、みんなそれぞれの想いがあるんだと、胸が熱くなる。
青翔に集まって来たひとりひとりが、家族や地元の期待を背負って頑張ってるんだ。
「でもやっぱあれだな。彼女がいるともっとモチベーション上がんのかな」
コップを差出し、ドリンクのお代わりを要求しながら羨ましそうな視線をどこかへ注ぐ黒田くん。
あたしもドリンクを注ぎながらつられてそっちを見て……思わずこぼしそうになった。あっ……。
「凌空くんお疲れさまっ」
凌空が休憩に入ったようで、グラウンドの脇から花音ちゃんが声を掛けたのだ。
……今日も来てたんだ。
最近、花音ちゃんは凌空の練習をよく見に来ている。大会が近くなって、いよいよ花音ちゃんの気分も盛り上がって来たのかもしれない。
あたしもそうだったな。大会が近くなるとそわそわして、どんな調子なのか気になったもん……。
照れたような笑みを浮かべながら近づいて行った凌空は、タオルとドリンクを受け取り、ふたりならんでベンチに腰掛け楽しそうにおしゃべりしている。声は聞こえない。
「川瀬さんも隼人と付き合ってるしよ~」
「えっ?あ……」
意識をこっちに戻す。
「どこもかしこも熱いのなんのって、うらやまし~」
冷やかしの目をむけてくる黒田くんをまともに見れない。あたしたちが別れたことは、きっと誰も知らない。
誰に公言しなきゃいけないわけでもないし、わざわざアピールする必要もない
端から見れば今まで通り。隼人もあたしに変わりなく接してる。
たぶん……凌空も知らないんじゃないかな。なるべく意識しないように、間もなく合図がかかる全体休憩に向けて、コップを並べていく。
「隼人、最近目つき変わったよな?」
「……そう?」
「あれあれ?川瀬マネージャーの目はふし穴ですか~?」
茶化されて、動揺が隠せない。
今まで機敏に動かしていたはずの手足の反応が鈍る。
「はははっ。別に彼氏を特別扱いしてるとか誰も思ってないから、遠慮しなくていーよー」
……そうじゃないのに。目つきが変わったのは知ってるよ。
野球に集中したいと言った通り、今の隼人は野球だけを見ている。
隼人は、別れて正解だったのかも。
あたしを彼女にして甲子園を掴もうとした隼人の願いに背くように、あたしは隼人を見ていなかったんだから……。
「ついに見つけたって感じだよな。本気球」
興奮気味に黒田くんが言い、あたしも作業しながらチラッと隼人に視線を注ぐ。
隼人は今、マウンドに立ちバッターをつけた練習をしている。バッターボックスには、青翔不動の4番、日野くん。
桜宮高校に勝つためには日野くんにはどんな球でも打ってもらいたいけど、隼人の球は打たれて欲しくないという複雑な心境。
隼人が本番さながらの真剣な表情で、振りかぶって───投げた。
文句のつけようのない、完璧なフォークボール。
バッターの目の前でボールが落ちるから、そのまま来ると思っていたバッターは思わず手を出してしまい。
結果、空振り三振。
「うわ、やっちまった!」
これには日野くんも苦笑い。
「魔球だな、おい」
バットを触ったり回したりしながら、当たる角度をもういちどシミュレーションする。バッターボックスの周りでは、後輩達が隼人のピッチングを絶賛していた。
「どこまで伸びんだろーな、隼人は。ほんとすげーヤツ。チームメイトながら雲の上の存在だわ」
黒田くんも。
良かったね、隼人。
"自分の限界を探る"
隼人は、それを見つけたのかもしれない。
うれしいけど……周りが絶賛する隼人の好調ぶりは、あたしが認めたくない現実から来てるもの。
───あたしと別れて調子が上がった。
きっと、メンタルの部分で吹っ切れたことが、プラスになったのは間違いない。
隼人はあたしと別れた影響なんて全くなく毎日の練習をこなしてるから、あたしがそれを蒸し返すわけにもいかなくて……。
”変わらなきゃいけないモノ”
隼人にとって、あたしはその一つだったのかな。頭ん中をゼロにしたい。そう言って告げられた別れに、あたしがこれ以上しがみつくわけにもいかなくて。
あたしもグラウンドでは、邪念を捨ててマネージャー業に専念するだけだった。
7月に入った。
あと5日後に期末テストが始まり、それが終わるとすぐに県大会が始まる。そして、月末には、甲子園に出場する学校が決まる…。
カキーン……
今日の朝もグラウンドのあちこちから、金属音が響いていた。日に日に日差しは強さを増し、部員たちの顔も引き締まってきている。
甲子園への戦いは、もう始まってるんだ───
「川瀬、過去のスコア確認したいから、秋からの分あとで出しといて。あと投手ファイルも」
ベンチ付近で作業していると、向井くんに声を掛けられた。
「うん、わかった!」
あたしは今の仕事を終えると、すぐに部室へ向かった。部室はグラウンドのすぐ脇にあって、中は想像よりもキレイ。これも、仁藤くんがちゃんと管理してたおかげだよね。
部室には沢山のノートが保管されている。
データをまとめた物だったり、歴代のスコアブックも。
「秋からって言ってたよね……どの辺にあるんだろう」
対外試合に紅白戦。すべて記録を取っているから、その数は膨大。比較的キレイなノートに手をのばしてみると、予想通り最近のもので、そこから秋までさかのぼって取り出した。
ノートの表紙には記録期間が記載されてるし、ちゃんと順番に並んでいるから探しやすい。さすが仁藤くんだなぁ……なんて感心していると。
「あれ?」
期間からして、多分一冊分。抜けているノートがあった。
「なんで1冊だけないんだろう?」
ちょっと疑問に思ったけど、誰かが見ていることもあり得るし特に気にせず今度は投手ファイルを探す。ポジション別に、色々なデータが記録されてる重要なファイルなんだけど……。
「あれれ?」
外野と内野の分はあるのに、投手のだけがない。これも、投手の誰かが持ってるのかな……?
「向井くん」
部室から戻ると早速向井くんを呼び止め、スコアを手渡した。
「サンキュ!仕事早いなあ!」
「あのね、スコアなんだけど、1冊だけみつからない期間のものがあったの。誰かが見てるのかな?」
「基本持ち出し禁止だし……俺はともかく、そんな前の見る奴いるかな……」
向井くんは首を捻る。
「あと、投手ファイルもないの。これも誰か持ってたりしてる?」
続けてそう言うと、明らかに顔を曇らせた。
「それもないの?……誰かが持ってる……それはないかな。午後、投手と捕手でミーティングするから必要だなって隼人と話してたからさ」
投手の中心は隼人。
その隼人がノートを必要としてるってことは、投手の誰かが持ってるはずないか……。
「じゃあ朝練終わったら、もう一回探してみるね」
「わかった。そうしてくれると助かる」
昼休み。もう一度部室やベンチをくまなく探したけれど、投手ファイルは見つからなかった。小さいものじゃないから、間違って捨てるなんてのはあり得ないし。
誰かが見たとしても、持ち帰りは禁止だから一度も行方不明になったことはないみたい。
……どこに行っちゃったんだろう……。
あたしの管理ミス……?そう考えると、胸の中がモヤモヤした。
5時間目。ほぼ朗読の古典の授業が終わり、あたしは席を立つとそのままトイレへ向かった。
はぁ。
疲れた。
受験生だから期末テストはそれなりに頑張らなきゃいけなくて、最近は夜遅くまで勉強してるんだ。
部活と勉強の両立ってほんと大変だなあ。精神的にも肉体的にもかなりつらいけど、それを部活中には見せられない。
常に笑顔でいないと……
座って目を瞑ったらそのまま眠りそうになった。
ダメダメ!トイレで寝るなんてあり得ない。
頭を振って気合をいれ、個室を出ようとしたときだった。
「そういえばさ、仁藤くんの代わりのマネージャーって、矢澤くんの彼女なんでしょ?」
「らしいねー」
耳に飛び込んできた会話に、鍵をあける手が止まる。
これって、あたしのこと……?間違いなくそうだとわかる女の子の会話に、出るに出れなくなって困った。
どうしよう……。
「彼女っていう権限使ってマネージャーになるなんてズルいよね」
ズキンッ……。ズルいって言葉に反応して、胸がチクリと痛んだ。
そんな風に思われてたんだ。……ショックだな。
「ほーんとほんと。女子でもいいならあたしだってやりたかったのに」
手を洗う水の音に乗って、話はヒートアップする。
「矢澤くんも矢澤くんだよー。あれで野球一筋ならカッコいいのにさあ」
「言えてる~。彼女にうつつを抜かしてるから甲子園行けないんだよ」
「だよねっ、今年もどうせ無理じゃない?」
ガチャッ……、その瞬間、手が勝手に動いて鍵を開け。
「勝手なこと言わないで!」
全開になった扉の向こうに、あたしはそう叫んでいた。だって、どうしても許せなくて。突然のあたしの登場に、女の子たちはギョッとした顔で後ずさりする。
けどふたりいれば心強いのか、悪びれることもなくすぐに顔を戻す。
「だって、みんなそう言ってるし……ねえ?」
「うんうん。あたしも人から聞いたんだし」
あくまで噂のせいにし、自分の意見じゃないと主張する。なにそれ。
「隼人のなにを知ってるの!?何もしらないくせに!」
隼人の苦悩も、努力も、なにも……。隼人が彼女にうつつを抜かしてたなんて、どの隼人をみても、そんな姿は影すら出てこないはず。
雨の日も風の日も雪の日も、ただひたすらボールと向き合っていた姿しかでてこない。
彼女だったあたしが言うんだから間違いないのに。外の人間に、憶測だけでそんなこと軽々しく言ってほしくない。言わせないっ……。
「今の言葉訂正して!!!」
どうしても我慢ができなかったの。たったひとりだとしても、そんなこと思って欲しくないよ。グイグイと体を競りだし、その足は止まらない。
「ちょ、ちょっと……」
圧倒された彼女たちは押されるようにトイレの外に出て、そこはもう人々が行き交う廊下。
「あたしのことは悪く言ってくれても全然構わないっ!だけど隼人の悪口だけは絶対に許さないっ!」
甲子園に出て当然とまで思われてるプレッシャーが、どれほどのものか。桜宮にはいつも勝てないと言われる屈辱が、どんなものか。あとひとつが遠くて、エースとしてどれだけ苦しんでたか。知りもしないでっ……。
トイレ前の騒ぎに、教室からは人が溢れ出す。
「結良っ!?どうしたのっ!?」
体がグラッと傾く。背後から沙月がつかんだのだ。
そこでフッと力が抜けて。
「何も知らないくせに、勝手なことばっかり言わないでよぉぉぉぉ!!!」
うわああああっ、と泣き出してしまった。制御なんてきかなかったの。
「結良、落ち着けっ……」
またひとつ足音と声が近づいてきて、腕を掴まれる。それが凌空だと分った直後。
「なんだよ、なんの騒ぎなんだよ」
凌空が彼女たちに問いかけた。
「だって……。野球部のマネージャーは女子はダメっていうからあたしも諦めてたのに……」
「うん……いきなり女子がマネージャーになるから……。だったら募集でも掛けてくれば良かったのに」
彼女たちは隼人のことじゃなく、トイレで話してた不満を口にした。
……確かに、そうかもしれない。
志願してたあたしからしても、他の女の子が急にマネージャーになったら「どうして?」って思ったはず。
とそこへ、急いだ足音が近づいてきて。
「あとは俺が」
あたしを掴む腕が、凌空から隼人へと変わった。
「……っ」
胸が、苦しくなる。一瞬間が空いたけど、彼女たちは言いにくそうに続けた。
「……川瀬さんは矢澤くんの彼女だからマネージャーに優遇されたのかなって……。だとしたら、ちょっとズルいんじゃないかって思ったの」
「結良がマネージャーになったのは、俺の彼女だとかそういうのは全く関係ない」
隼人はキッパリ断言した。
「え、でも……」
「1年の頃からグラウンドに足を運び、試合に足を運び、熱心に野球のことを勉強して応援してくれてたからだ。監督はそういうのを全部見てた。だから、今この時期にマネージャーとして仕事ができるのは結良しかいないって監督が懇願したんだ」
あたしは俯いたまま、ただ黙って隼人の声を聞いていた。
「今だって、朝は部員の誰よりも早く登校して、帰りも最後まで残って後片付けをしてくれてる」
彼女たちも同じように。
「マネージャーは飾りじゃない。興味本位で務まる仕事じゃないよ。キミたちにそれが出来るの?」
普段こういうことを言わなそうな……実際言わない隼人からのきつい言葉に、周りも静まり返った。固唾をのんで、見守っている。
「な、なによっ……彼女だからって。ねえ?」
「そういうのが余計に反感買うんだって……」
彼女たちは、集まった野次馬にも必死に同意を求めるけど。首を縦に振る人は誰もいなくて。隼人も強気な姿勢を崩さない。
「野球部の大切なマネージャーがこんな言われ方して、黙ってられる部員なんていないと思うけど?」
大切なマネージャー……。そう思ってくれているだけで、心が震えるほど嬉しかった。
ありがとう……隼人……。
隼人の言葉通り、騒ぎを耳にして集まって来た野球部員たちが、口々に助け船を出す。
「そうだ。憶測だけで物を言うのはよくないんじゃないかな」
「俺らのマネにひどいこと言ってんなよ」
「どうせお前らなら一日ももたねえだろ」
「うちのマネージャーに謝れよ!」
向井くんや、黒田くんも……。……みんな、ありがとう……。
彼女たちはもう何も言い返すことなく、気まずそうにこの場から去って行った。
あっ……。
「ちょっとしっかり!」
全身の力が抜けて、フラッとしちゃったんだ。背後から抱えてくれていた沙月のおかげで倒れなかったけど。
「休ませた方がよくないか?」
「そうだな。中村、俺このまま保健室連れてくからあと頼む」
「うん、わかった」
えっ……。
凌空と隼人と沙月の間で、話がまとまり。
「行こう」
あたしの肩に手を乗せ、保健室へと促す隼人。少し迷ったけど。
「……うん……」
……こんな状態で、次の授業を受けられそうもない。あたしは大人しく隼人に従った。
こんな風にふたりきりになるのは別れて以来。歩く道のりは無言。それが余計にドキドキを加速させた。
隼人が触れている箇所が、ものすごく熱い。
隼人はすごく余裕そうなのに、あたしひとりがドキドキしてる……。
保健室までの道のりが、ものすごく遠く感じた。
保健室の先生に事情を話すと、ベッドで休ませてもらえることになった。
ベッドに背をつけると、さっきまでの緊張や興奮がフッと解き放たれたように楽になる。
「さっきは、ありがとう……」
「べつに何もしてないよ」
「ううん。隼人が悪者になっちゃったらどうしよう」
隼人は、青翔のヒーローなのに。
「んなのどうだっていい。間違ったこと言ってないから」
そう断言する隼人の男らしさに、胸がキュンとなる」
「それより、言われたのってマネージャーの件だけ?」
「……」
スイッチが入った言葉は、別にある。でも言えるわけもなく、うまく交わせるでもなく口を噤む。
「京介が俺を呼びに来てくれたんだ。隼人を悪く言うな……って、結良が泣きながら言ってるって……」
「……」
「隠し事はなしだ」
「……甲子園に行けないのは、彼女にうつつを抜かしてるからだ……って」
目を瞑りながらボソリと呟いた。どんな反応をするのか、心臓をバクバクさせながら。
「ははは、そうか。んなこと言われちゃったか」
隼人は乾いた声を出した後、
「俺達、まだつきあってることになってんだな」
遠い昔を懐かしむように、しんみりと。
……蒸し返したくない。あたしに見切りをつけて野球に集中している隼人を、また混乱させたくないのに。ギュッと目を閉じたままでいると。
「ありがとな」
隼人の手のひらが、あたしの頭に優しく乗った。
顔をあげる。
「俺のこと、かばってくれて」
「……隼人……」
きゅうう、と胸が痛くなる。鼻がツンと痛くなったから、目も赤くなってるんだろうなあ……。でも涙が零れないように、下唇を噛んでグッとこらえた。
「俺はなに言われたって平気。んなことでメンタル壊れるほどヤワじゃないって」
「……」
「じゃなきゃ、青翔のエースなんて務まんないよ」
乗せた手で、頭をクシャクシャっと撫でる。
「結良は部員に愛されてんな。結良の頑張りがはみんなにも伝わってんだろうな」
その中に、隼人も入ってる……?
「最近疲れてるみたいだけど、徹夜で勉強してんのか?」
……見ててくれたんだ。嬉しくなって、自然と頬が緩む。
「さすがに徹夜は無理だけど、試験近いしそれなりに勉強してる……」
「無理するな。今日は放課後までここでゆっくり休んだらいいよ」
「……うん」
あと2時間授業が残ってるけど、こういう日があってもいいかもね……。
キーンコーン……
ちょうど、昼休み終わりを告げるチャイムが鳴り、
「じゃあ、俺戻るから」
「ありがとう……」
隼人は保健室を出て行った。
あたしの盾になってくれた。あたしを心配してくれた。
その優しさがうれしくて、ただただ心の中でありがとうをあたしは繰り返した。
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