第8話

寒くて淋しいひとりの夜を過ごしだろう凌空は、昨日の言葉通りきちんと起きられたみたいで、始業ギリギリに、野球部のメンバーと教室へ入って来た。


「おはよう」

「うーっす」

「朝ごはんちゃんと食べた?」


気になって、尋ねる。あたしみたいに朝食を抜いたり、トースト1枚食べたとしても持つはずない。

まさかコンビニのおにぎり一個じゃ……


「矢澤家からご招待にあずかりました」


だよね。戻ったってそのまま放っておくわけないか。

夜もきっと、隼人の家やうちで食べることになるんだろうな。

理由を知らなければ、『だったら隼人んちに住んでればいいじゃん』って突っ込むところだけど。


「そっか、なら良かった」


それ以上は口を噤む。

知らないふりをしろって言われてるから、言えない。

……帰ってきた理由、話してくれてもいいのに。


どうして隠の? ……ちょっぴり、悲しいよ。



放課後は、あたしは沙月と花音ちゃんの3人で校門を出た。

電車通学の2人とは学校を出てすぐばいばいになっちゃうんだけど、たまに駅まで行って一緒にお茶をしている。

でも、明日から中間テスト。

さすがにお茶なんてしてる余裕ないし、大人しく帰るあたし達。


「こういう時は部活やってるといいなーって思うねえ」

「どうして?」

「帰ったらイヤでも勉強しなきゃって強迫観念にかられるじゃん。部活してれば、それを理由に勉強しなくて済む!」


花音ちゃんの問いに、沙月があっけらかんと答えた。ぷぷっと笑いが漏れるあたし。


「部活めんどくさいって入らなかったのに調子いいんだから~」


テスト前やテスト中は基本部活は禁止だけど、全国大会を目指している部ばっかりだから、例外だらけ。

校庭はいつもと変わらず賑わっている。

野球部も、テストが終わるとすぐ関東大会が始まるから練習も通常通り。

ここから少し見える野球部のグラウンドに目をやると。


……あ。同じように花音ちゃんの視線もグラウンドに向いていた。

凌空が……好きなんだもんね。


「おー、野球部もやってるねー」


この中で、唯一野球部に感慨を持たない沙月は、遠慮くなく声をあげる。すると、花音ちゃんはそわそわと落ち着かない様子で髪に手を当てた。思いっきり、凌空を意識してるのがバレバレ。


ふふふ、かわいいなあ。

こんな風に、好きな気持ちを素直に表現できる花音ちゃんをうらやましいなと思う。


意外にも、"好きになったら自分から攻める"タイプらしく、教室では積極的に凌空と話している姿を見かける。

この華奢な花音ちゃんのどこにそんなパワーがあるんだろう。やっぱ、恋の力……ってやつ?

凌空もまんざらではなさそうで。そんな姿にモヤっとしつつ、凌空は花音ちゃんの好きな人……そう言い聞かせるあたし。


あたしは凌空を好きじゃない。

それを肯定するためかもしれない。

自分の気持ちが曖昧過ぎて、それを他人任せにしているあたしはどうしようもない……。


隣に並ぶ花音ちゃんをこっそり観察しながら、野球部のグラウンドからだんだん遠ざかっていくと。ふと、花音ちゃんが足を止めた。


「……あのね。実はふたりに報告があるの」


ほんのり頬をピンク色に染めた花音ちゃんに、思わず目を見合わせるあたしと沙月。

……え。


「ま、まさか!?」


沙月も何かを予感したのか、花音ちゃんに距離を詰める。

こんな思わせぶりな言葉の後に続くのが、どんなものなのかは想像がつく。17年も女の子をやっていれば、この手の”報告”は何度か受けたことがあって。

予想があっていれば、その相手は……。


「凌空くんと、つきあうことになりました」


あたしの頭の中の整理がつく前に。

これ以上ないってくらいカワイイ顔での報告は、反対にあたしの顔を固まらせた。

花音ちゃんが凌空を好きだっていう予備知識はあった。でも、急展開過ぎて。意識が遠のきそうになる。


「マジでええええええ!?やったジャン!!!おめでとう!!!」


興奮する沙月の声も、どこか遠くに聞こえる。


なんて言ったらいいのか言葉が出てこない。おめでとうとか、友達の恋がうまくいって嬉しい、とかの前に。

凌空に彼女が出来たという現実に、頭がついていかなくて。

喉元がひゅっと絞められたように狭くなって、声が出ない。

花音ちゃんに、凌空が気になってると聞かされたのが、2週間前。好きになったら自分から押すタイプっていうのは知っていたけど……。


「……うん、ありがとっ……」


……凌空に、彼女が出来た……。その事実は、確実にあたしにダメージを与えてる。


昨日、凌空の帰国の真相を聞いたばっかりで。あの約束を果たそうとしてくれているかもしれない凌空が……


……あたしを好きだとか、勘違いてした? そんなわけ……ないのに……。


「なによー。花音ちゃんグイグイ押すようなこと言って、そんなことしなくてもうまくいくんじゃん」


沙月は花音ちゃんの肩をバシバシ叩く。


……同感。

でもイヤミに聞こえる沙月の言葉も、嬉しそうな表現からはこれっぽちもイヤミは伝わってこなくて、友達の恋の成就を心の底から喜んでる。


でも……あたしは違う。やっぱり花音ちゃんなら告白すれば絶対にうまく行くんだよ……と思ったあたしの感情は、沙月のと違って皮肉でしかない。

自分でも、よくわかる。

それは、相手が凌空だから……?

心の中にずっしりと重い鉛を入れられたように、気持ちが沈んでいく。


最低だ、あたし。

友達の恋がうまくいったのに、素直に喜べないなんて。


「そんなことないよっ……それに、これでも結構がんばってたんだけどね?」

「だねっ、積極的に凌空んとこ行ってたもんね」

「えへへっ……」

「でもさすが花音ちゃんだなぁ。あれだけ人気の凌空を落とすなんて」

「落とすなんて、やだあ」


弾むふたりの会話に、耳をふさぎたくなるのに。

どうやってつき合うことになったのかっていう沙月の尋問に、花音ちゃんは照れながらも教えてくれた。

他のクラスの女子から呼び出されていたところを助けられて、そこで電話番号を交換したこと。


それからメッセージでやり取りをするようになったこと。

メッセージで話が盛り上がってるうちに、勢いで告白して。

……凌空から、オッケーの返事をもらったこと。


なにそれ。

……凌空ってば、優しすぎるよ。


そんなことされたら、誰だって好きになっちゃうよね?


「どした、結良。だまちゃって」

「……えっ」

「あーーーっ、もしかして幼なじみとして複雑ってワケ?」


肩肘でつつく沙月に、ハッと顔をあげた。祝福モードの中、浮かない顔してたら変に思われて当然。花音ちゃんも不安そうな視線を送ってくる。


「ううんっ、まさか。花音ちゃん、おめでと……」


なんとか笑顔は作ったけど、まるで定型文のように乗せた言葉に、どのくらい感情をこめられていたかは自信がない。


「んも~、テストじゃなかったらお茶出来たのにー」


いつもの分かれ道が来て沙月は残念そうに言うけど、あたしはありがたかった。

早く、早くひとりになりたい……。


「沙月、花音ちゃん、また明日ね」


口早にそう言い、くるりと背を向け歩き出す。

歩きなれた道が、今日は全く違って見えた。はじめて迷い込んだ世界みたいに。

……なんだろう。

あたしの心は、大切なものを一つ失くしたような空虚感に包まれていた。



家に帰り、自分の部屋に入る。机の前に座り、テスト範囲を広げてみるけど。

凌空が花音ちゃんと……。そのことばっかり考えちゃって、勉強なんてさっぱり頭に入ってこない。


凌空は……花音ちゃんが好きだったの?

OKしたってことは、そういうことだよね。

あたしも隼人とつき合ってるんだし、凌空が誰とつき合おうと自由だけど……。



そのままあたしは机に突っ伏して眠ってしまったみたい。気が付くと、辺りはすっかり暗くなっていて、部屋には電気がついていた。

あれ?電気つけたっけ……。


まだ冴えない頭のままむくっと体を起こすと、肩からハラリと何かが落ちた。

それはベッドに置いてあったはずのブランケット。


「おはよ」

「うわああああっ!」


背後から掛けられた声に、一気に目が覚める。

寝ている間に誰が侵入したのかと警戒心たっぷりのあたしの目に入ったのは、ベッドに寝転びながら漫画を読む凌空の姿だった。


「な、なんで凌空が!?」

「コレ続き気になってさー。隼人んちに1巻があってつい読んだらハマったの」


手にしてるのは、あたしが愛読してる少女マンガ。1巻がないと思ったら、隼人の部屋にわすれてたんだ……。


「いや、だからって……」

「べつに不思議がることないだろ?昔だってこうやってたんだから」

「まあ……そうだよね」


でもあまりにも久しぶりすぎて、心の準備が出来てなかった。

しかにあの頃は、凌空はあたしの部屋を私物化してたっけ。それこそ、あたしの部屋には凌空の物が沢山置いてあった。


「おばさんが夕飯食ってけってさ」

「ああ、なるほど……」


凌空が付け足した言葉は、以前は何もなくてもこの部屋に来れたけど、今は正当な用がないと来ないと言われたような気がして、少し淋しい。


「んなとこで寝んなよ。制服もシワになるし風邪ひくだろ」


落ちたブランケットを見て、あ、と思う。指先をのばして拾い、胸に抱えた。


「これ掛けてくれたの凌空? ありが……」

「ベッドに運ぼうとしたけど腕が折れそうで断念した」

「ちょっとーーーーーー!」


それってあたしが重かったってことですか!? 失礼しちゃうんだから!

太ってるなんて言われたこともなければ太ってる自覚もないんですけど?

そりゃあ、甘いもの好きだし最近ちょっと顔周りも気になって来たから糖分控えなきゃって……


───と、思い出す。


凌空に重なって見える、花音ちゃんの姿を。一眠りして忘れかけてた。


……そっか。凌空が隼人の家を出て行った理由。プライベートが欲しいなんて言った理由。


「き、聞いたよ?花音ちゃんと付き合うことになったんだってね」


声が震えそうになった。必死でこらえたけど。

漫画に目を剥けたままの凌空の眉がピクッと動く。彼女が出来れば、プライベートは尚更必要だもんね。

電話したり、家にも遊びに来るかもしれない……。

目線を外さす、凌空は口を開く。


「……ん、まあ」


花音ちゃんがウソなんていうわけないのに、否定しない凌空に熱いものが喉元を通過した。


ダメ、我慢して。言い聞かせるように、グッとそれを押し込み声帯を震わす。


「お、おめでと……」


きっとこれが正しい言葉。発した言葉に反応した凌空が顔を上げ、視線がぶつかる。

心の中を探られそうなくらいジッと見つめられ……耐えられなく逸らそうとしたときだった。


「そっちこそ」

「えっ……」

「隼人とつき合ってるらしいじゃん?」


一瞬頭が真っ白になる。……知って、たの……?


いつのまに、隼人は凌空に言ったの? あたし……なにも聞いてなかった。

このタイミングで出されたことに驚きつつ。


「…………隼人から聞いてたんだ……」


気を揉んでたこのことは、知られてたんだと力が抜け、アッサリ認めると。


「ん?隼人?ちがうよ」


……隼人じゃない……?


「え、じゃあ誰から……」

「手塚から。つか、当然俺が知ってると思ってたんじゃない?ペロッと会話の中で出されて驚いた」

「花音ちゃんがっ…………」


頭になかった。花音ちゃんが、話の流れであたしのことを口にする可能性があるってことを。


「なーんか、隠されてた感満載で軽くショックだったんですけどー」


おどけた調子の凌空は、怒ってる風でもそれこそショックを受けてるようにはとれない。それでも、目は確実に笑ってない。

だからこそ、胸がずきずき痛む。


「……ごめん……」


あたしだって同じ気持ちだった。凌空に彼女が出来たのを、彼女の方……花音ちゃんから聞いた衝撃は大きかった。

衝撃というより、ショックだった。

本人に、先に知らされなかったことに。


だから凌空のその気持ちも十分に理解できる。あたしと隼人がつき合ってるのを、第3者から聞いた凌空は、もっと複雑な想いがあったよね……。


「俺帰ってきて1ヶ月経つのにさー。ふたりして俺を騙してたわけー?」

「そっ、そんなつもりはっ……!」


騙す、なんて。でも、そうとられても仕方ないから、


「……ごめんね……」


いたたまれなくなって、椅子から立ち上がった。見上げると、凌空の顔はすぐそばにあって、俯く。


「べつに怒ってねえし、謝られたらそれはそれで惨めになるっつーか、なんつーか」

「ごめん……」

「ま、俺もそーゆーことだから、隼人の部屋に居たらうまくねえこともあるだろ?」

「あ……」


チクリと胸を刺すような言葉に、言葉に思わず顔をあげると。近くにあった凌空の顔が、さらにグッ、と迫ってきた。

凌空は口角をキュッとあげると、すぐに真顔に戻した。


「ってことで、アレもなかったことにしてもらっていいから」

「アレって、なんの……」


言いかけたあたしの唇に、凌空の人指し指が乗る。


「……っ」


……そして理解する。キス、のことだと。


「アレ、結良のファーストキスだっただろ?」

「……」

「気まぐれで、結良のファーストキス奪っちゃってごめんね?」


ズキンッ。


"気まぐれ"……?


……やだよ。気まぐれだなんて言ってほしくなかった。

感情があったなんて期待してないけど。

ならせめて、泣き止ませる策とか、凌空なりの"何か"があったらよかったのに……。


そんなフレーズに硬直していたあたしの耳に届いたのは。


「おいっ……」


焦りを含んだ低い声。

気が逸れ、ふたり同時に振り返った方向には。


「は……やと……?」


どうして隼人がっ……。


「あーー、彼氏のお出ましだーーーー。隼人も一緒にメシ食うんだよなっ」


表情を緩め体を離した凌空は、何事もなかったように、そのままベッドにストンを腰を沈めた。

"彼氏"に反応したのか隼人が目を見開くけど、すぐ凌空に詰め寄る。


「キスって……なんだ……」


……どうしよう。

この5年間、ひたすら隠して守ってきたのに。


「あのっ……」


声を挟むけど、隼人は詰め寄る視線で凌空に答えを求めてる。


「バレちゃったならしょうがねーなー。結良、言ってもいい?」


ダメなんて、言えるわけない。凌空も同意を求めたくせに答えは待たないようで。


「俺がアメリカ行きを伝えたあの日、俺、結良にキスした」

「なっ……」

「元はと言えば、怒って隼人が俺と結良をふたりきりにしたからなんだけどーー」

「……」


絶句する隼人。

目を見開いて、あたしと凌空を交互に見る。


「もう、5年前のことだから時効だよな?」

「……」

「その時結良は隼人とつき合ってなかったんだし、結良はまだ誰のものでもなかったわけで」

「……」

「それに心配しないで。俺、手塚さんとつき合うことになったから」

「……は?」


絶句を貫いていた隼人も、唐突な宣言に言葉を挟まずにはいられなかったようで。


「ほんとなのか?」


隼人の目が、あたしに向けられる。


「あたしも……花音ちゃんから聞いて今日知ったの……」


そのとき神妙な空気を壊すように、ジューとフライパンが良い音を立て、お肉のいい匂いがこの部屋にまで運ばれてきて。


「あー、腹減ってきた!じゃ、先に下行ってるな~」


鼻をクンクンを利かせた凌空は、卑怯にも一抜けしていまい……。取り残されたあたしと隼人の間には、言うまでもなく気まずい空気が流れる。


「隼人、あの」


凌空は時効って言ったけど。


「……黙ってて、ごめんね……」


凌空とキスした、なんて。

その相手は、隼人のよく知ってる人なのに。


「ほんとに、手塚と……?」


だけど隼人の頭の中には、凌空と花音ちゃんの話の方がインパクトがあったみたいで。

険しい顔で、ジッと何かを考えるように言葉を落とした。


「え…?あ、うん、そうみたい……」


……そっち?あたしが凌空とキスしてたことより、花音ちゃんとつき合ったことの方が衝撃だった……?


「凌空もやるよねっ、あんなにかわいい子をゲットして」

「……」


当然のように言ったあたしに、隼人は腑に落ちないような顔で、凌空の消えた先を見つめていた。



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