第6話 凌空side

日本に戻って一ヵ月が経った。

生活リズムも整い、時差ボケなんてのはとっくになくなってるが、眠いもんは眠い。

朝は6時起きだし、キツイ練習を終えて帰って来たかと思えば、夜はランニングに投球練習……。

隼人につき合ってたら、体もたねーっての。


「寝ないのッ!」


最初の頃は寝かせてくれていた結良も最近厳しいし。

授業中に気持ちよーく寝ている俺を起こす結良は鬼だな、鬼!


「ほら!もうすぐ中間テストなんだからしっかりやってね?テスト中はあたしも面倒見きれないんだよ?」


結良はそう言って、丁寧に俺の教科書を広げてくれる。

ありがたいけど……たのむから寝かせてくれーーー。

まただんだん頭が下がっていくと……


「凌空っ!」


耳元て叫ばれれば、俺も渋々頭を上げた。

しょうがねえなぁ……。大あくびをして、前を向く。


「そうだ。今日の放課後実行委員あるけど大丈夫?」

「っだあーーー、そうだった。めんどくせーーー」


イヤなことを思い出し、再び机に突っ伏す。先日のHRのときにじゃんけんで負けて実行委員になってしまったのだ。女子の実行委員は、結良。

体育祭なんて所詮"祭"なんだから、楽しめりゃいーのに。

クソまじめに週1のペースで集まりがあるし、めんどくせえ。


「ローテーション入り、決まったんでしょ?」

「うーーーん……」


まぶたは重いが、野球のことになると体が反応して。突っ伏したまま顔を横にして結良に目を向ける。

春季の県大会が終わり、青翔は県で準優勝した。

関東大会への出場が決まり、俺はベンチ登録してもらえることになった。


今度は5日間の短期決戦だ。


「委員会なんて出てる場合じゃないんじゃない?」

「ぶっちゃけちゃうとなー」

「はいはい。じゃああたしひとりで出るから、凌空は部活行って大丈夫だよ」

「マジ?そんな優しいと惚れちゃうよ?」


手の甲に頭をつけたまま、じーっと結良を見つめると。


「……っ」


みるみる顔を赤くして、ピシッと固まる結良。

……おいおいやめてくれよ。そんなの軽く流せっての。


つうか、もうとっくに惚れてるけどな。

俺は物心ついたころから結良が好きだった。

……あのときキスしたのも……もう結良に会えなくなる寂しさと……ずっとそばでいられる隼人への嫉妬心から生まれたものだった。


「うーわ、顔真っ赤!結良ちゃん免疫ないね~」


今更じゃねえし、こうして俺も遊ぶ余裕がある。俺は横から眺めたまま、ニヤリと笑いながら結良をイジメる。

男に免疫がないのは安心だけど。

だからって、間違っても他の男の前でそんな顔みせんなよ?


「り、凌空のバカッ!」


結良はさらに顔を真っ赤にさせると、本気で怒ったのか前を向いてしまい、それ以上口をきいてくれなかった。




放課後。結良はひとりで、委員会へ行ってしまった。


ちっ……。

声くらい掛けてけっての。


「隼人、今から委員会行ってくるわ」


俺は部活に行こうとしていた隼人を捕まえて告げた。サボりって思われるのも癪だしな。


「どんくらいかかる?」

「んー、ちょっと顔出して途中で抜けさせてもらうー」

「了解」


確かに委員会なんて出てる場合じゃねえんだ……。

関東大会へ進めることになったが、チームの雰囲気はパッとしなかった。

決勝で最大のライバル桜宮さくらみや学園に敗れたからだ。


俺たちの目標は、夏の甲子園出場。桜宮を倒さないことには甲子園はないのに。

この時期に桜宮に負けて、先行き明るいわけねえ……。



委員会が行われるのは多目的室。足早に向かってた俺は、途中、見知った姿を目撃した。

手塚……?

4人の女と連れ立って、どこかへ向かう。


……ん?

少し様子がおかしい。


両脇のヤツに挟まれて青白い顔していたから。後ろの2人は、ヤケに周囲を気にしてるし。……なんかあるな。

イヤな予感がして、俺はそっと後をつけた。


……思った通り。

手塚は体育館裏に連れて行かれ、4人に囲まれ因縁をつけられていた。

聞こえてきた会話の内容をまとめると。


『あたしの彼氏に色目を使った』

『可愛いからって調子に乗んな』


よくある女の嫉妬。


……うぜえな。


「手塚~、こんなとこにいたのかよっ。探してたんだよ」


なるべく重い雰囲気にならないように、俺は声を掛けて近づいた。


「凌空くんっ……!?」


目に涙を浮かべた手塚が振り向く。反対に、4人の女たちはギョッとしたように目を剥いて俺の名前を呼んだ。


「き、桐谷くんっ…!!!」


コイツら、俺のこと知ってんのか? へー、俺って有名。


「俺の名前知ってもらえてるなんて光栄だな~。じゃあキミたちも名前教えてよ。なんなら番号交換する?」


にこやかな表情でスマホを取り出すと、女たちは気まずそうに目を合わせて唇を噛んだ。


言えるわけえよな。こんな陰湿なことして。

それでも、俺は表情を崩さない。


「イマドキ小学生ですら体育館裏でいじめなんてしねえだろうけど、日本の女子高生って、こんな陰気くさいとこで恋バナすんのー?」

「え……」


女たちは顔をひきつらせた。


「まー、確かに秘密の話だろうけどさー。どうせならカフェでお茶でも飲みながらやればー?」


にこやかな顔で、でも皮肉をたっぷり込めてやった。

目線が定まらない女達。


「も、もう終わったからっ…」


ひとりがそう言うと、4人は顔を見合わせ逃げるように去って行った。

……クソッタレが……。


ふぅーー、と大きく息を吐くと。


「……ありがとう」


手塚がつぶやく。

こういうの、もしかして初めてじゃないのか……?


「べつに、慣れてるからいいのに……反論しなければすぐ終わるし……」


やっぱりな。


「こういうのに慣れんなよ。イヤなものはイヤってハッキリ言えよ」

「言っても、なくならないから……」


無駄ってわけか……。


手塚は確かに可愛いし、男が騒ぐのは仕方ない。でも、それで同性から攻撃を受けてるとなれば、いい迷惑だよな。

女の嫉妬は根っこより深いっていうし。

俺ら男が悪いってわけか……。


「女の嫉妬ってワケわかんねえよなー」


オンナ心なんてわかんない、いや、理解したくないと思いながら体育館の壁にもたれる。


常に日陰な壁はひんやりしていて、シャツ越しにそれが伝って妙に気持ちが良い。いつも日差しばっか浴びてるから、こういう日陰はなんかホッとすんだよな。心が、静かになるっつうか。


「凌空くん、わかるの……?」


手塚は、そんな俺を不思議そうに見上げる。


「ん?」

「嫉妬……って」

「あー、小学生の頃、結良もこんなことあったなーって」

「結良ちゃんが……?」

「アイツは男にモテるとかの部類じゃないけどな?イケメンな隼人と幼なじみっつーことで僻まれてたの」


自分はモテてなくて得してないから、これは最悪パターンだな。聞こえるように悪口言ったりとか、小学校んときも中学校ん時もあった。結良は知らねえだろうけど、何度か女子にガツンと言ってやったことがある。

結良は言わねえけど、きっとイヤな思い何度もしてきたはずだ。


「それって、凌空くんも含めて、のことだと思うけど」


手塚がクスっと笑う。


「は?俺?」

「無自覚って、結構タチ悪いよっ」


その顔に、いつもの笑顔が戻る。


俺? 俺のせいでも嫌がらせされたことあるのか……?

隼人のせいにして雄弁に語ってた自分に気まずさを感じていると、手塚のつぶやく声が聞こえた。


「……交換……したい……」

「え?」

「……それ……」


手塚が見つめるのは、俺の手に握られたスマホ。


「凌空くんの……番号……」


そう言って恥ずかしそうにうつむいた。


「うん、いいよ」


さっきの女達となら絶対交換しねーけど。俺はためらうことなく、手塚と番号を交換した。

手塚の番号が、俺のスマホに記録される。


「またなんかあったら言えよ」

「ありがとう。優しいんだね」

「べつに優しくなんかねーよ。ただ……」

「ただ……?」

「憧れと嫉妬って紙一重で、怖いだろ?」


浮かぶのは、結良の顔。

結良はよく女子に声を掛けられてる。陰湿な感じじゃないが、隼人と幼なじみで羨ましいと思ってる気持ちが、これから嫉妬に豹変する可能性は少なくない。

隼人に振り向いてもらえない奴ほど、そう思うに決まってる。


「結良もまだ嫌がらせされてるかもしれないと思ったら、他人事じゃねえし」

「幼なじみ想いなんだね?」

「ん?どーだろ」


ま、俺の場合は単純に好きだからっつー理由だし。


「しっかし、女子って成長しねえの? 小学生レベルのことを今でもやってるわけだろ?」


手塚が気の毒だと思うと同時、さっきの奴らの幼稚さにあきれる。

小学生のころやってた意地悪なんて、高校になったら男子はしねえぞ?


「ううん。その逆なの」

「逆?」

「女の子は心の成長が早いの。小学生の時から、嫉妬とか僻みが養われちゃってるから。むしろ今の方が、本領発揮して陰湿で怖いんだよ」


何度もイヤな目に遭ってきたのか、手塚は顔を曇らせた。淡々と話す手塚が余計気の毒に思う。女子でモテるのは一苦労なんだな。


「そうかー。結良も俺と一緒に帰ったりしたときとか結構声掛けられてたしな。悪意は感じらんないけど、結局は昔と変わってないってことか」


隼人と幼なじみってだけであれだけ結良が有名って。隼人どんだけモテてんだよ。

俺がいない時でも、ああやって声掛けられてんだろうな。

こんなとこに呼び出されたりしてなきゃいいけど。

そんな心配を募らせていると。


「それって、ちょっと違うんじゃないかな……」


スマホをポケットにしまいながら、首を傾げる手塚。


「ちがう?」

「多分…女の子の心理として、そう聞いてるんじゃないかって」

「女子の心理?」


まだ奥深いなにかがあるのか?


「うん。凌空くんと一緒の時に声を掛けられてるってことでしょ?」

「まあ、そうだな」


頷くと、手塚がクスッと笑った。


「結良ちゃんが、矢澤くんじゃない男の子と一緒にいるからだと思う」

「え?どうして?」

「え?どうして……って」


俺の言葉を反芻する手塚。

どうして結良が隼人以外の男といると、そうなるんだ……?

ふたりして、一瞬沈黙。


「だ、だって……それは……。結良ちゃんが、矢澤くんの彼女だから……でしょ?」


……日本語が理解不能になったのかと思った。


「どうして他の男の子と一緒にいるのか……って、女の子の疑問としては当然っていうか……」


目の前が、真っ暗になる。


「えっ……!?凌空くん……もしかしてっ」

「……」

「……うそ。知らなかったとか、冗談だよね……」


慌てる手塚の前に、一歩も動けなくなる俺。


結良が、隼人の彼女……。なんだよ、それ……。

体が固まって……手足がシビれてくる。


「……」


……ウソだろ?

俺が帰ってきて1ヶ月。3人で何度も会話した。

付き合ってる素振りなんて、まったく見えなかったのに。


俺は、騙されてたのか……?


「悪い……先行くわ……」


そこから、どうやって多目的室に行ったかはよく覚えていない。




――ガラッ。

委員会に遅刻した俺は一気に注目を浴びた。部屋の中央で、結良が手招きしている。


空席はそこしかなく、結良の隣の椅子を乱暴に引き腰を下ろした。


「部活行くんじゃなかったの?」

「……」


小声で耳打ちしてくる結良をまともに見れない。


隼人と付き合ってるって、マジなのかよ。んなの一言も聞いてねえぞ。

……強気で問いかける心の声を声帯に乗せられない俺は、意気地ナシだ。


「はい、これ資料ね」


机の上に乗せられる資料。

心地いいはずの結良の声にさえ、耳を塞ぎたくなる。


「明日、朝のHRでリレーの選手決めしなきゃだねー。タイム順に選抜でいいよね?」

「てきとーによろしく」


書類を揃えて立ち上がり、結良に背を向けた。……今の俺は、平常心を保つのでさえ難しい。


「え、適当って……凌空っ!?」


背後から続けて何かを言っていたけど、返事をする能力なんて持ち合わせてなかった。



頭がガンガン割れるように痛い。今はもう、野球のことも……。

なにも考えられなかった。ショックなんて表現じゃ甘い落胆。魂を吸い取られたみたいに全身に力が入らない。

多目的室を出てすぐの階段を下り、踊り場で窓ガラスに頭をつけ、目を瞑った。


「……ばっかみてぇ……」


俺が想いを刻み付けたはずの唇は。


……結良の唇は。


隼人のものになっていた。

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