第5話
「花音ちゃん、こっちこっち~」
あたしは花音ちゃんを見つけ、大きく手をふった。
4月の中旬から、春季大会の県予選が始まって。ちょうど2回戦の今日が日曜日にあたり。
これから花音ちゃんと一緒に、県営球場まで試合を見に行くことになったんだ。
待ち合わせは、球場の最寄駅。
「ごめんね、遅れて。電車の乗り換え間違えちゃって」
「大丈夫だよ、まだまだ時間あるし。それにしても今日めっちゃ暑いよね~」
応援は沙月と行くことが多いけど、京介くんのバスケの試合と重なっちゃって。
ひとりで行くつもりが、花音ちゃんが行ってみたいと名乗りを上げてくれたのだ。
あたしたたちは、もうすっかり仲良し。
お弁当も毎日3人で食べている。
しばらく話して歩いていると、球場が見えてきた。
外の広場で、青翔のメンバーが溜まっているのも見えた。
白地に黒の縦じまのユニフォームは、スタイリッシュでとても目立つ。
「よう!結良」
あたしに気づいた凌空が駆け寄ってくる。
───ドクンッ。
隼人は付き合ってること、もう言ったのかな? いつ言ってるかと思うと、少し落ち着かない。
今日もいつもと変わらない凌空に、まだ言っていないのだとどこか安堵しながらも、
「俺ら3塁側だから、入り口はあっちな!」
元気よく近くの入り口を指さした凌空に、あたしは首を傾げた。
「あれ?凌空はなんでここにいるの?ベンチに行かなくていいの?」
隼人や主力メンバーの姿は見えない。もうベンチに入ってるんだよね……?
「ベンチなんて入れねーよ!だって青翔、層厚すぎだもん!」
「え…」
そ、そうなの!? 層が厚いのは知ってるけど……だとしても、あんな球を持ってる凌空が入れないって。
「とりあえず、俺は2軍スタートなんだよ」
「に、2軍!?」
部員の多い青翔野球部は、1軍~3軍までの組織で成り立っている。
まるでプロ野球みたいだけど、それによってほとんどの選手が練習試合を行い実践を積むことが出来るのだ。
だけど、凌空が2軍だなんて。
ボーイズでの実績もあるし、あの球は素人目に見ても、エース級だと思ったんだけど。……やっぱりそんなに甘い世界じゃないんだなあ。
「まだ入部して3週間そこらだから仕方ねえよ。でもみてろよ、関東大会では絶対にベンチ入りしてやるからよ!」
「がんばってね。応援してるから」
勢いよく言った凌空に、あたしよりも先に言葉をかけたのは花音ちゃんだった。
「お!手塚も来てたんだ」
それに対してへへっと笑う花音ちゃんがすごく可愛く見えた。
そして花音ちゃんの可愛いさが当然なら、凌空のかっこよさもハンパない。
野球部に入ったことで坊主になった凌空は、雰囲気はガラリと変わったけど、すごく似合っていたから。
髪型に頼らなくてもかっこいいのは隼人と一緒で。顔周りがスッキリしたことで、顔がキレイなのが強調されて。
やっぱりあっという間に人気者になった凌空は、すでに告白されまくっているみたい。
「野球観戦は初めてだから、すっごく楽しみなの」
「ルールとか分かる?」
「ホームランくらいしかわからないかなあ……」
仲良さそうに会話する姿は、まるでカップルみたい。
だって美男美女。そうだと言われてもまったく違和感がない。
そんなふたりはあたしを通じて仲良くなり、教室でも話す機会は多いんだ。
「マジ?ルール覚えたらもっと楽しく見れるよ。今度教えようか?」
「ほんとに?」
……凌空も、花音ちゃんを好きになったりするのかな……。
だってこんなに近くにいて、好きにならない理由が見つからないんだもん。もちろん、その逆もあるんだけど。かっこよくて、優しくて、明るくて。
凌空は、女の子の理想をすべてをモーラしてるんだから。
幼なじみながら、恐るべし……。
ふたりの会話が気になりながらも、野球部の人たちは徐々に移動を始めていて。
「凌空ー、ナンパはあとにしろ」
なんていう部員の冗談に急かされるようにして、あたしたちもそれについて行った。
スタンドに入るとグラウンドを見渡し、大きく息を吸い込んだ。
サーッと吹き抜ける風に乗ってやってくる、グラウンドと太陽の匂いを肌で感じる。
この空気、大好き。胸がわくわくする。
今年も高校野球の季節がいよいよ来たんだ…って。
まだ甲子園を賭けた戦いじゃないけど、それにも匹敵するような緊張感がみなぎり、あたしは心の中で祈る。
神様、お願いします……。
今年こそは、甲子園に行けますように……。
グラウンドでは、青翔ナインがシートノックの最中。
その脇で、隼人は肩をならしていた。キャッチャーでキャプテンの
いつもと変わらないね。きっと今日も大丈夫。
そんな姿に安心して3塁側のベンチに目を戻せば、すでに沢山の観客が入っていた。
「うわあ、熱気がすごいね!」
花音ちゃんは、選手が練習しているグラウンドよりも、応援席を見て声をあげる。
物珍しそうに、上段を見渡したあと。
「で、こんなに近くで応援させてもらっていいの?」
少し居心地悪そうにベンチの最前列に座った。
「うんっ。あたしはいつも来てるから、野球部の人たちがこっち来いって言ってくれて」
あたしは1年生の時から常連だからか、野球部の陣地にまざって応援させてもらっているんだ。
総勢80人を超える青翔野球部。ユニフォーム軍団の中に、制服姿の女子生徒。そんな中でも浮かないのは帽子のおかげ。
5歳の時に、広田監督にもらった青翔学園の帽子を被っているから。
「ねえ、凌空の帽子ってあの時の?」
右隣に陣取った凌空の帽子に触れる。
「そうそう。デザイン変わってなくて良かったよ」
「そうなんだっ」
凌空のもあの時の物で嬉しかった。
いつか青翔に入ることを夢見て、大事に取ってたんだね。
「あたしだけ場違いじゃないかな」
ひとりだけ黒い頭を見せている花音ちゃんが不安そうにつぶやく。
「あっ……」
「じゃあ俺の貸してやるよ」
あたしが自分の帽子を貸そうとしたよりも早く、凌空が自分の頭から帽子を取り花音ちゃんの頭にかぶせた。
えっ!?
「わっ、凌空やめなって!」
あたしは慌てる。
「なんで?」
「なんでって……。あたしならともかく……汗でまみれた帽子をかぶせられてもどうかと思うよ……」
この場合、気が利くというよりは、お節介になるんじゃない?
ふわふわした花音ちゃんの小さな頭に乗せられた、不釣り合いすぎる凌空の帽子を取ろうとすると。
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう、凌空くん」
頭に押し込めるように、帽子を深く被りなおしながらニッコリ笑う花音ちゃん。
「えっ、凌空の帽子でいいの?」
そう言われれば、手をひっこめるしかないんだけど……。だって、普通はイヤだよね?
それとも、凌空の帽子だから……?
「どーいたしまして」
あたしを挟んで、凌空と花音ちゃんがやり取りする。
もしかして……
あたしってお邪魔虫?
そんな風にすら感じて、背もたれに体を預ける。
「帽子ひとつで随分涼しくなった気がする」
「だろ?通気性もばっちりだし」
「ふふっ。これで応援にも気合が入りそう。ほんとにありがとう」
満面の笑みを、もう一度凌空に見せる花音ちゃん。
あれ? いつも女の子らしい花音ちゃんだけど、いつにも増して女子力がアップしているように見えた。
頬が染まっているように見えるのも、強い日差しの意外に理由がある……?
まさか花音ちゃん、凌空に惚れちゃったとか……?
良くわかんないモヤモヤを抱いていると。
いつの間にか試合開始の合図が始まっていたようで、相手チームの選手がグランドに散らばっていた。
青翔は先攻の様で、部員のひとりが選手の名前を書いたボードを応援席に向かって掲げた。
それぞれにテーマ曲があり、吹奏楽部がそれを演奏する。吹奏楽部も全国区だから、その音色はどこの高校にも負けてない。
今日はまだ2回戦だから力の差はあるけど、何があるのか分からないのが高校野球。
しっかり応援しないと!
両隣りが気になりながらも、あたしはグラウンドに意識を集中させた。
相手が格下だって手を抜くことのない青翔ナインは、1回から猛攻し得点を積み重ねていく。
「きゃあああ、また打ったよ!すごいすごい!」
バットが快音を響かせるたびに、花音ちゃんは飛び跳ねながら喜びを表していた。
はじめて野球を生で見たときの興奮は、一生に一度しか味わえない。
花音ちゃんは、その感動のまっただ中に居るんだろうな。
「うわあ、ホームランだっ!!も~、あたし今全身鳥肌立つほど感動してる!!」
そう言って、ほんとに鳥肌の立った腕を見せてくる。
「ははは。花音ちゃん、人変わってるー」
見た目大人しそうな花音ちゃんのはっちゃけた姿が面白くて、あたしは笑う。
青翔打線は絶好調で。3番を打つ隼人もヒットを「隼人!この回9球で終わらせろ!!」
メガホンを通して、凌空が喝を入れる。そんな無謀な要求に、気持ちがフッと緩んだ。
それはいくらなんでも無理でしょ~と思いながら苦笑いをして、マウンドに立つ隼人にエールを送る。
「隼人ー落ち着いていこー!」
緊張しすぎて、声がひっくり返ってしまった。
「落ち着いてねえのは結良じゃん」
なんていう凌空の茶々は無視して、隼人に集中する。
身長が187センチある隼人は、他のピッチャーとは貫禄が全然違う。ダイヤモンドの真ん中に立った隼人は、それだけでかっこいい。あたしなんかが彼女じゃ、もったいないくらいに……。
普段は割と落ち着いているのに、マウンドでは闘志をむき出しにする隼人。
ここが俺の場所だと訴えるように。
今日も長い手足を存分に生かして、渾身の一球目を投げた。
変化球だった。
匠みなコントロールとスピードに翻弄され、相手は球を見極められない。
ボールに当てることすら難しく、大振りしてしまう。
「おーーーーーっ!!!!」
向井くんのミットの中に、ものすごい音を響かせてボールが収まった。
ピッチングを賞賛するどよめきや歓声が球場を包む。
そして、あっという間にひとり目のバッターを三振に取る。
寒い冬の間、いっぱいいっぱい練習した成果。高校3年生、最後の夏に向ける準備はもう完璧の様。
今年も変わらず……ううん、いままで以上に球が良く伸びていて、絶好調以外のなにものでもない。
これならきっと、大丈夫。
今年こそ、甲子園は隼人のものだよ……。
そんな隼人のピッチングを見て、だんだんと安心していったときに初めて気づいた。……さっきまで騒がしかった隣が、とても静かだったことに。
「ほんっと打たれる気しねえな。こんなに安心して見てられるピッチャーそうそういねえぞ?」
それは、隼人を大絶賛している右隣の凌空じゃなくて。
……反対側の花音ちゃん。
どうしたんだろう?
「うん、そうだね」
曖昧に返事をして、花音ちゃんに目を向けると。
どこか一点をジッと見つめる姿があった。そんな花音ちゃんを見るあたしは、思わず息をのんでしまう。その横顔が、あまりにもキレイだったから……。
切なげに、でも強く、熱く、想いを込めたような瞳に、祈るように合わせた両手を口許に当てて。完全に"女の子"の目。
そんな瞳で、どこを見つめてるの……?
声を掛けるよりも先に、あたしの瞳がその視線の先を追うと。
そこは。
「え……」
マウンドに立つ、隼人。
……花音、ちゃん?
一番のヒーローともいえる隼人に視線を注ぐのは、まったく不思議じゃないけど。
どうしてそんな瞳で見つめているの……?
胸のざわつきと共に、あたしは妙な違和感を覚えていた。
試合結果は8-0。
5回コールドゲームで青翔が勝利した。
部員達はこのあと学校に戻り、まだ練習をするという。
試合の後くらい……と思うけど、次の試合は4日後だし、休んでる暇なんてないのだとか。球場の外で軽く隼人と会話を交わし、専用のバスで学校へ戻る隼人たちを見送ったあと。
暑くてたまらないあたしと花音ちゃんは、駅中のカフェに入った。
試合の興奮熱と暑い日差しが合い交じって、体感温度もずっと上昇しっぱなしだったんだ。
さすがに4月でクーラーは効いてないけど、店内の空調のせいなのかグッと涼しくなった気がする。
引いて行く汗を感じながら、注文を済ませると席に座った。
「生き返るね~」
「だねー」
氷の入ったグラスの中身を、勢いよく喉に流し込むあたしたち。
暑かったのは、球場だけじゃなかったみたい。
ガラス越しに街を歩いている人たちの多くも袖をまくっている。
4月でこんな暑いなんて、やっぱり異常気象だ。
「今日はほんとに楽しかった。声かけてくれてありがとう。次も行きたいな」
正面で可愛らしくストローを咥える花音ちゃんを見ながら思い返すのは、さっきの違和感。
隼人を追う、どこか、想いを込めたような瞳……。
「それは、良かった……」
野球を見て楽しめたのなら嬉しいけど。次も行きたいのは……それは隼人を見るために……?
もしかして、花音ちゃんの好きな人、隼人なんてことないよね……?
どこかにヒントが落とされていないかと、表情を伺う。
「このまま勝つと、GWもずっと試合なの?」
「……っあ。うん、そうだよ。……えと、GWの最終日がちょうど決勝戦みたい」
バッグから手帳を取り出し、試合の日程を確認する。
「じゃあ、GWに矢澤くんとデートは出来ないんだね」
「えっと……まあ、そうだね……」
GWに限らず、だけど。
花音ちゃんがそう質問してくる意図がわからないから、あたしから余計なことは言わないでおこうと思う。
……花音ちゃんが隼人を好きかもしれない…という疑問が生まれた今は。
「淋しくないの?」
「へっ……」
淋しい……? 土日だろうが、青翔野球部に入ってる隼人に休みなんてないのは当然で。
それを当たり前に思っているあたしは、部活よりもあたしを優先してほしいとか、間違っても思わない。
だからって、淋しいかと聞かれたら、そうは思わないんだけど……。
これって……普通はおかしいのかな……。
隼人をまだ男の人として好きになれていないのを再確認させられているようで、なんだか歯がゆい。
「でも、試合は全部見に行くし、それはそれで楽しいから」
本心だけど、なんかイヤだな。負け惜しみみたいに聞こえそうで。
それでも負け惜しみじゃないと強い意志を持って言ったあたしに、花音ちゃんは顔を曇らせた。
「そっか。じゃあ、野球部の人と付き合ったら、デートなんて出来ないんだねぇ……」
え……。
これって、聞くタイミング? ていうか、聞けってことだよね……。
花音ちゃんのそんな表情に、絶対的自信を持って問いかけた。
「な、なんか怪しいなあ。野球部に好きな人がいたりして~」
そう聞くあたしは、喉がカラカラ。たった今、喉を潤したばっかりなのに。
「あ、バレちゃった」
「……っ」
手に持ったグラスの氷が、カランと音を立てた。
え、ウソ。動揺して手が震える。
だって、あたしが隼人と付き合ってるのを知ってて、堂々とそんなこと言う……?
どうしよう……。もしかして、ライバル宣言されちゃうの?
聞いて欲しかったと言わんばかりの花音ちゃんは、想い人を頭に描いているのか、柔らかい表情を見せる。
「じゃあ、正直に言うね」
「あのっ……」
ちょっと待って。まだ心の準備が。
慌てるあたしをよそに、花音ちゃんは口を開いた。
「ちょっと気になってる……凌空くんのこと……」
「……えぇっ……!?」
持っていたグラスを、そのまま机にバン!と置いてしまった。
勢いがよすぎて、一瞬辺りがシンとなる。
周りを見ると、視線を一身に集めていて。
「あ、ゴメン…」
身を屈める。そして、一呼吸おいてから。
「凌空……?」
もう一度聞き返す。
……隼人、じゃなくて?
てっきり隼人の名前が出ると思ってたから、それはある意味衝撃だった。
「うん……。明るくて、気遣いのできる優しいとことか……」
頬を赤らめる花音ちゃんの言葉に、ウソはなさそうで。
凌空がノーマークだったわけじゃないけど、あの流れからすると9割方隼人を好きなのかと思ったから。
そっか、そっか……。だったら、凌空の帽子をかぶせられてイヤなはずないか。
ホッと一安心出来ると思った胸は、意外にもまだざわついていて。
「そ、そうなんだ…」
ストローを口に含み、喉を通る冷たさにと共に生まれる胸のつかえ。
……なんでなんだろう。
「結良ちゃん幼なじみだし、色々協力してくれるとうれしいな」
「えっ?う、うん」
そうだよね。
凌空のことなら、よく知ってるし。……うん。
隼人じゃなくて、良かった。隼人を好きだと言われたら、これからどうやって花音ちゃんと接すればいいのか困ったから。
だけど、なんだか胸の中がスッキリしない。。
霧がかったように、モヤモヤしてる……。
『……気になってる、凌空くんのこと』
あたしは意味もなく、花音ちゃんの言葉を心の中で繰り返していた。
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