第3話

「にしても、連絡しろっての」


隼人は凌空に文句をぶつけた。

ここは隼人の部屋。隼人が部活を終えて帰ってきたあと、あたしもここへやって来たんだ。


「そうだよ。お母さんたちもひどいよね」


あたしと隼人の両親は、凌空の帰国を知っていたみたい。

5年前もそうだけど、またあたしたちに教えてくれないなんて。


2日前に帰国した凌空は、親戚の家にいて、今日もそこから登校してきたのだとか。両親はまだ向こうで雑務があって、凌空だけ新学期に間に合うように先に日本に帰って来たらしい。

久々の日本での生活ということもあり、両親が帰ってくるまで隼人の家で生活するみたい。


「びっくりしただろー。サプライズ成功!」


凌空はイタズラが成功した子供の様にははっと笑う。


まったくもう……人の気も知らないで。成功じゃないっ!……って言おうとしたのに。その無邪気な表情は昔とまったく変わってなくて、文句も飲みこんでしまう。


「……でも、5年前のあれはないよね……」


今日のは嬉しいサプライズだけど。やっぱりあの時のことは、思い返しても納得がいかない。

あの時は子供だったからなにも言えなかったし出来なかったけど、今だったら絶対そんなの許せないもん。


「んな昔の話蒸し返すなってー」


あたしたちは今でもこんなに燻っているのに、凌空にとってはもう笑い話みたい。


ベッドに寝転びながら、手を叩いて笑い飛ばしている。


「でも、なんでまた青翔に?よく入れたね」


聞きながら、ドキドキした。

だから皮肉も交ぜてみた……。


『じゃあ、ふたりでつれて行って?約束だよ?』


……そんな約束は、とっくの昔に忘れてるに決まってる。


小学生になって野球チームに入ったふたりは、野球の魅力に憑りつかれてこれまでずっと野球を続けてきた。


隼人が青翔に入ったのは、野球部から推薦が来たわけで……。


べつに、あたしを甲子園に連れて行くなんていう夢物語のためじゃない。

だから、凌空は青翔なんて難関校じゃなくても良かったわけで。青翔に入ったのは、どうして……?


その前に、ちょっと心配。凌空は向こうでも野球を続けてた……?

今の凌空の風貌を見る限り、それは高校球児というにほど遠い姿だから。


「ま、ここが一番近いしな」


微かな期待を込めて待っていたあたしに届いたのは、凌空の性格をもってすれば、わかりきった答えだった。


……そうか。

そうだよね。


レベルや校風よりも、近さを優先するのは面倒くさがり屋の凌空らしいといえばそうなんだけど。


少し……ガッカリした。やっぱり、そういう理由か。

あたしは意味もなく、指先を見ながら爪を弾いていると。


「甲子園にな」


……え!?

あたしはハッと顔をあげた。


「隼人がいるんだから、青翔が一番甲子園に近いだろ!」


ニカッと笑った凌空。

その顔に、胸が躍って。沈んだ気持ちが一気に上がる。


「だよねっ!」


あたしは身を乗り出して、うんうんとうなずいた。

やっぱり凌空は野球を続けてたんだ。そして甲子園を目指してた。

昔の約束なんて忘れてても、ただ凌空が甲子園に行きたいと思い続けていたことがすごくうれしい。


「おいおい、プレッシャー掛けんなよー」


そんなことを言う隼人の体中からも、嬉しさがにじみ出ていた。


凌空が青翔を選んだことを一番喜んでるのは、きっと隼人だ。


「隼人の活躍は知り尽くしてる。今年こそ青翔が聖地だろ」


「……だな」


ふたりの目が、一瞬真剣にぶつかり合った気がした。


ライバルでもあるふたりの、目指すべき同じ場所。聖地、甲子園。

ふたりが揃えば。

ふたりだからこそ、今度こそ掴めるかもしれない。

ここに生まれた静かな熱い闘志に、あたしもゴクリと唾をのんだ。


「それにしてもよ。今朝殴れるかと思った」


凌空はすこし拗ねたように隼人に視線を移動させる。


「ああ、そう決めてたし。次に凌空に会ったらまずは一発殴るって」

「げっ、マジで?」

「ったりめーだろ。あんなに急にいなくなりやがって」


プイッと横を向く隼人。その顔は、少し淋しげに映った。


……きっと、5年前のことをリアルに思い出したんだと思う。


ほんとに、悲しくて淋しかった。だからこそ、凌空のことも口にしない様にしてきたし。

でも。

逆に、出発の見送りもしなかった隼人に、凌空だって淋しい思いをしたに決まってる。いくら図太い凌空でも。


「悪かったって思ってるよー」

「……」


「でも殴らなかったってことは、俺に再会出来た喜びの方が勝ったんだよな。さすが俺の親友ッ!」


凌空がベッドを飛び降り、隼人の首に腕をからみつける。


「なにが親友だ。行ったきり、電話も手紙もよこさなかったヤツが」


隼人は視線を外したまま唇をとがらせた。


そうだ!もっと怒れ、隼人。あたしたちが淋しかったぶん、そのくらい言わせてもらってもいいに決まってる。


「だって、アメリカからだとか金かかんじゃん」

「はいーーーーー?」


なんの罪悪感もなさそうな声に、メラメラと湧き上がる怒り。

これじゃあ、5年前にギリギリまであたしたちに渡米を伝えなかったのは、なんの意図もなかったのかもしれない。


……あたしが泣くとかどうの、ってやつ。


「やっぱコイツ、殴るっ!」


隼人は凌空の体を包囲すると、そのまま脇腹をくすぐりだした。


「おいっ、やめろって……ぎゃははははっ……」


隼人は脇腹攻撃が得意。


あたしも今朝やられたしね。


「やっちゃえやっちゃえー」


あたしは拳を振り上げながら、隼人を応援。

あたしだって、連絡ひとつよこさなかった凌空に怒ってるんだから。

脇腹があたしよりも弱いらしい凌空は、顔を真っ赤にしながら床を転げまわる。


「うきゃきゃっ……笑いすぎて内臓が痛ぇっ!!!死ぬっ!」


ゲラゲラと笑う凌空は、きっと忘れてる。覚えてるはずなんてない。


……"あのこと"を。


べつに、それでいい……。

むしろ、忘れてくれてたらいい……。


「殴られんのとくすぐられんの、どっちがいい?」

「隼人ちゃんのドS! うきゃきゃ、やめろっ……悪かったって!」

「あ?誰に口きいてんだ?」

「ごめんなさーーーーい!!!僕がわるうございましたっ!」


こうやって、3人でまた笑いあえている今があれば。


なにも、意味なんてなくても───



「隼人~、ちょっと手伝ってーーー!」


そのとき階下から、おばさんが隼人を呼んだ。


今夜はここで凌空の帰国祝いをする。ということで、この家のキッチンでは、あたしと隼人のお母さんが夕飯の準備の真っ最中なのだ。


「ほらっ!隼人呼んでるぜ」


助かった、とばかりにベッドの隅まで逃げる凌空。


「ったくめんどくせーなー。じゃあ凌空が行けよ」

「ここ隼人んちだし!隼人がやるのは当然だろー。てか、俺主役だし」


と、ドヤ顔の凌空は、相変わらず命知らずだ。


……まあ、これが凌空なんだけど。


「…ったく……しょうがねえなー」


そう言いながら全然イヤそうじゃない隼人は、軽い足取りで下へ降りて行った。


ふはは。隼人と凌空のやり取りが、懐かしくて楽しすぎる。

まるで、昨日も会っていたみたいにふたりの呼吸もピッタリで、自然で。

5年ぶりに再会したなんて思えない。

あのころは、もうこんな日は二度と来ないんじゃないかと思ってた……。


ほんとに、夢じゃないよね? ほっぺたをつねってみる。


「いたっ」

「なにしてんの?結良」


見られてたみたい。


「えっ、あ、べつに」


その意味も分かっていたみたいで、そんなあたしを見て、柔らかい笑みを浮かべる凌空。

……ドキッ、とした。


明るくてお調子もの。


そんなイメージしかない凌空が見せた大人びた表情に、動揺が隠せない。


あたしの知らない間に、凌空がこんな表情を見せるようになったんだ…って。


……だめだ。

緊張する。


……凌空とふたりきりになると……


"あのとき"を思い出すから。


意識すればするほど心臓がドキドキと早鐘を打つ。


「じゃ、あたしも手伝ってくるねっ!」


どうしても逃げたくて。

勢いよく立って、ドアを開けたとき。


───グイッ。

腕を掴まれた。反動で、振り返る。


「……り、く……?」


そこには凌空が立っていて、今あけたばかりの部屋のドアを、反対の手で静かに閉めた。


───パタン。


再び外部から遮断され、静けさに包まれる部屋。


あの頃は、目線の高さが同じだったのに。隼人と変わらないんじゃないかってくらい、見上げる位置に凌空の顔があった。

あたしたちの間に、ほとんど距離はない。

それはまるで、"あのとき"みたいで。


「あ、あの……」


少し震えながら唇を開くと、凌空はあたしの唇へ静かに指を乗せた。


ドクンッ……!


心臓が跳ねる。


「ここ……」


触れながら、凌空が言葉を紡ぐ。


ドクンッ、ドクンッ……。


指の感触が、"あのとき"の感触を呼び起こす。

眠らせていた記憶の扉が、ゆっくりと開く。


やだ。

やめて……。


お願いだから。

あたしが、どんな想いで……


「あれから……誰かに触れさせた……?」

「……っ」


思わず目を見張る。


──5年前。


アメリカへ発つ前日にそのことを告げられたあたしと隼人は、凌空の部屋で驚きを隠せなかった。


隼人は怒って部屋を飛び出してしまうし、あたしは涙が止まらなかった。


そんなあたしに凌空は。


『泣かないで』


そう言って。


──キスをしたのだった。


……凌空はちゃんと覚えていたんだ……。


凌空はあたしを泣き止ませるためにキスをしたんだろうけど……。

なんで……どうして今そんなこと言うの……。


動揺が隠せないあたしに。


「……俺も手伝ってくる」


そう言うと、凌空はこの部屋を出て行った。

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