第2話 刻印
カツカツカツカツ…
監視の男は、青年を抱えたまま長い階段を降りる。
円形の塔を中心として枝別れした通路が無数に広がり、迷路の様だ。
うな垂れた青年の顔を確認しながら、無施錠の自室のドアを蹴り開ける。
寝台が1台と机が1台あるだけの簡素な部屋で、まるで生活感は感じられない。
部屋の奥の寝台へ青年を横たわらせる。
血に染まったシャツは、破られており、あまりに不憫な姿に男は、着替えさせようと青年の服に手をかけた。
シャツのボタンを一つずつ外していくと、白い肌が現れる。
胸には、まだ、赤みが残る主の刻印が彫られていた。
「ロージス……」
監視の男は、震える手を抑えつけながら、煙草に火をつけた。
力なげに椅子に座るとしばらくの間、眠る青年を見つめていた。
青年が目を覚ましたのは、午後になって間もなくだった。
見知らぬ部屋の椅子に座って眠る見知らぬ男が青年の視界に入ってきた。
上体を起こし、男の顔を覗く。
日に焼けた肌に端正な顔立ちで切れ長の目に眉は凛々しく整っていた。
まとめた髪に肩ほどある黒髪が静かに目元を隠している。
「あ……、の」
青年は、冷たい鎧に触れたが、気づく様子がない監視の男を横目に寝台から降りようとする。
すると、一瞬で気配を察した監視の男はとっさに青年の腕を掴んだ。
「どこへ行く? まだ寝ていろ」
監視の男は、静かに青年の両肩を掴むと寝台へ押し戻した。
青年は、体に激痛が走り、思わず呻く。
「う……! 痛い」
「?! 痛むか? 肩か? 」
青年は静かに頷きながら震えだす。
監視の男は、痛がる右肩側の服を剥がした。
「! やめて……」
肩は、赤みを帯びて腫れ上がっていた。
暴れようとする青年の肩を抑えつける。
「大丈夫だ。冷やすだけだから、おとなしくしてくれ」
そう言うと、監視の男は青年に目線を合わすように寝台の脇に座った。
青年は、男の目線から外すように顔をそむける。
「お前は男だよな……」
監視の男が静かに言うと、青年は何か言いたげに頷いた。
戸棚から治療道具を取り出すと青年の手当てを始める。
しばらく冷やすと硬めに包帯を巻いていく。
「うっ」
「痛むか?きついがしばらく我慢しろよ」
そう言った監視の男に初めて青年は視線を合わせた。
青年の瞳は、碧く透き通り美しく監視の男は思わず目線を奪われる。
白い肌に、ほのかに紅みがさした唇は、魅惑的だった。
包帯を巻き終わった男の腕を掴んだ青年は、少し瞳を潤ませていた。
「ありがとう⋯⋯ございます」
監視の男は、真っすぐ見る青年の視線から逃げるように青年の掴む手を軽くすり抜けると、立ち上がり治療道具を片付けにいった。
「ロージスが欲しがるわけだ⋯⋯」
監視の男は、何故か高鳴る鼓動を抑えようと、深く息を吸った。
それから、監視の男は青年の食事を用意し、自室で食べさせた。
「お前、名前は? 」
食べ終わった頃に監視の男は聞いた。
「リ……リサラ」
「リサラ? 女みたいな名前だな……歳は? 」
「19です」
そう聞くと、監視の男は離れた窓際で煙草を吸う。
「あなたは? 」
「俺は、ロイ。27だ」
男は、吐く煙が青年にかからないように配慮しながら、窓の外を見つめる。
「……。ひっ。うぅっ」
急に嗚咽が聞こえ、ロイは驚いて振り返る。
青年は、顔を覆って泣いていた。
「?! おい……」
ロイは、掛ける言葉が見つからない。
「す、すみませ……ん」
リサラは、涙声を振り絞る。
「……」
ロイは、リサラと名乗る青年の入る寝台のとなりに座る。
溢れだした涙がなかなか止められず、リサラも自分自身で困惑していた。
そんな様子を見ると、ロイは無言でリサラに手ぬぐいを渡す。
リサラの手ぬぐいを握る手は、傷だらけだった。
「何も考えず、ここでしばらく休め」
そう言ったロイは立ち上がると静かに部屋を出て行った。
陽はすっかり落ちて夜になると、塔の最上階ではアラン=ソニアの叫び声が響き始める。
「飯はまだかー!! 一人残らず食いつくしてやるぞ!! 」
呼鈴も激しく鳴らす。
ロイは急いで最上階へ駆け上がる。
最上階の扉を勢いよく開けるとソニアの檻に駆け寄った。
「静かにしろ!! 今日は、女の血だ。黙って飲め」
そう言って、赤い血の入った大きいグラスを檻越しに差し出す。
「! あの女の血か? 」
ソニアは珍しく低い声で言った。
「違う。いいから飲め。今日は静かにしていてくれ」
ロイが人の血を持ってくることは滅多にない。
ソニアは少し驚いてグラスを受け取ろうとする。
「俺の餌には、手をだすなよ」
ソニアはそう言うと、ロイの手の甲に爪を突き刺す。
ロイの血が甲から流れる。
それは、ロイへの脅しだった。
「……今、リサラは眠ってるから、静かにしてくれ」
そう言うと、ロイは踵を返すようにして部屋を出ていく。
最上階の部屋は、珍しく暗闇に静まり返った。
リサラの様子が気になるロイは、自室に戻ると静かに扉を開ける。
寝台には、リサラがまだ、眠っていた。
用意した夕飯に布を掛けると、寝台横の椅子に腰を掛けた。
眠るリサラの顔を見つめながら、彼の苦労を想像してロイは顔を歪める。
まだ、新しく刻まれたリサラの刻印を思い出しさらに顔を歪め、宙をに睨んだ。
「クソッ!ロージスの野郎……」
ロイの声に反応してリサラが目覚める。
深い眠りに充足した気分で目覚めたリサラは、小さく伸びをする。
「? ロイさん……? 」
リサラは、厳しい顔つきで横に座るロイに違和感を感じた。
「あ、起こしちまったか……ごめんな」
そう言うと、目も合わせずロイは、リサラの夕飯を取りに立ち上がった。
「? いえ……大丈夫で……す」
リサラは、黙々と夕飯の用意をするロイをただ見つめていた。
「動けるか?」
ロイは、夕飯の乗ったテーブルを指さして言った。
「あ、はい」
そう言って、リサラはふらつく足を隠すようにテーブルに近づいた。
「座って食え」
そう言って、促すとロイもリサラの向かいに座った。
食事前の挨拶を済ませると、リサラは食べだした。
「ロイさんは? 食べないのですか? 一緒に……」
「俺は、まだ後で食べるからいい」
そう言うと、ロイはリサラにサラダを取る。
「あ、ありがとうございます」
「……」
しばらくリサラの食事をする姿を見てロイは安堵した。
少し、回復してきているリサラの瞳に活気を感じた。
「ロイさんは、どうして私を助けてくれるのですか? 」
「! どうしてって……。俺は……」
ロイは言葉に詰まる。
「お前が、ロージスのお気に入りだから管理してるだけだ」
そう言って、ロイは目線を外す。
「ロージス? ロ……」
名前を聞いて、大柄の男に受けた暴行の断片が記憶に蘇る。
ガシャン!!
リサラの手からフォークとナイフが落ち、お皿にひびが入る。
「あ……っ。ご、ごめんなさい」
急に震えた手を隠す様に急に立ち上がると、リサラはふらふらと倒れかける。
驚いたロイは、咄嗟にリサラの体を受け止める。
「うぅ……。触らないで! 」
涙声で叫んだリサラは、ロイから離れて座り込む。
「リサラ! 俺は何もしない。大丈夫だから」
そう言って、近づこうとするとリサラは落としたナイフを拾って、ロイに差し向ける。
「……」
涙でいっぱいの恐怖の眼差しをロイに向けた。
その姿を見て、リサラの心の傷の深さが伝わってくる。
ナイフを持つリサラを正面から抱きしめようと近づいて、ナイフはロイの腕にかすめた。
「リサラ! だいじょうぶ…俺は」
「……じゃない。血が!! 嫌ぁー!!」
ロイの上腕がリサラが差し向けたナイフで切れて服が血に染まりだす。
その血を見て、半ば狂乱し、リサラは気を失った。
「リサラ!! 」
床へうずくまるようにして気を失ったリサラを抱えて、寝台へ連れていく。
ゆっくりと横にして掛け布団を掛け、リサラの涙を拭う。
眠るリサラの頬は、なお、涙で濡れていた。
ロイは、行き所のない怒りとリサラの傷をさらにえぐった様で深い罪悪感を感じた。
「ごめん……」
ロイは、意識のないリサラへ謝ると静かに部屋の明かりを消した。
シャアァーーーーーー!
洗面台の蛇口をひねると、ロイはおもむろに顔を洗いだした。
そして、鏡に映る水浸しの自分に少しの狂気もないか確かめる。
リサラに切られた服の下には、血に滲むロージス家の刻印が見えていた。
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