五 『肉片』 杜野 美世子 根ノ町/闇津見山/00時27分

「み〜〜〜〜よぉ〜〜〜こぉ〜〜〜!!!」


 母に瓜二つの"それ"が奇声を上げながら、真っ直ぐこちらへ向かってくる。


「お母さん!!!」


 違う。そんなはずがない。幻だ。

 頭では理解していても、母と同じ目、鼻、口、声、輪郭を持つその姿に、本能的に身を乗り出してしまった。

 宮田さんの制止の声も耳に届かず、私は"それ"に向かって叫ぶ。


「お母さん!無事だったんだね、よかっ……」


 突然、息が詰まる。

 首に強い圧がかかり、声すら出せない。"それ"が母の顔で、母の手で、私の首を絞めていた。

 一切の躊躇もないその攻撃に、目頭が熱くなる。その熱さは酸素を奪われる苦しみからなのか、それとも母に殺されかけている悲しみからなのか――もう、わからない。


「杜野ちゃん!!!」


 宮田さんが咄嗟にレンチで"それ"の顔を殴る。泥のような黒い血が飛び散り、私の顔に降りかかった。

 だが、"それ"の手は一向に緩まない。

 宮田さんは恐怖に怯えながらも、何発も顔面、後頭部、背中にレンチを叩きつけた。べちゃ、べちゃ、と不愉快な音を立てながら、泥のような黒い血にまみれた白い肉片が地面に零れ落ちる。

 怯えながらも、ひたすらにレンチを振るい続けた結果、"それ"の顔面はほとんど爛れ、やがて声も上げぬまま仰向けに倒れた。


 解放された私は、乱れた呼吸のまま周囲を見渡した。


 飴細工のように伸びた肉片。

 歯をがたがたと震わせ、何も焦点を合わせず立ち尽くす宮田さん。

 もはや母の面影すら残さず横たわる"それ"……。


 レンチから滴る黒い血が地面に打ち付ける音が、静寂の中ではやけに大きく響く。

 転びそうになりながら、私は宮田さんの胸に飛び込んだ。


 何かをせがむ子供のように、声を上げて泣きじゃくる。

 こんな恥ずかしい姿は、親の前でしか見せたことがなかったのに。

 宮田さんはレンチを握っていない方の手をそっと添えてくれたが、彼の表情も今にも泣き出しそうだった。

 異形の者とはいえ、人間の姿をしたものを殺めてしまった。その罪悪感は計り知れない。

 それでも、私は誰かにすがりたかった。


 私の大好きな家族。

 私の大好きなお母さん。

 私の……。


 このままではまずいと判断した宮田さんが、必死に私を落ち着かせようと声をかける。

 けれど、耳に届くのは、自分の情けない嗚咽だけだった。


「……ょ………ぉ〜〜……」


 そのとき、突然、馴染みのある声が細々と聞こえた。

 私は思わず、はっとして振り返る。


 倒れたはずの"それ"が、力なくよろよろと立ち上がり、崩れた顔をこちらに向けた。

 レンチで抉れた傷口には、蛆虫のようなものが無数に蠢いている。

 それは瞬く間に増殖し、やがて傷口全体を覆い――"それ"と一体化した。


「みよこぉ〜〜〜!!! かえせ~~」


 絶望に膝から崩れ落ちそうになった瞬間、宮田さんが私の腕を引っ張る。


「逃げるぞ!!!」


 私たちはこの場から、ただひたすらに駆け出した。


――奴らは、死なない。

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