りんごが道に落ちていた話
よし ひろし
りんごが道に落ちていた話
真っ赤なりんごが、道の真ん中に落ちていた。
講義が終わり学校を出てバイトに向かう途中の裏路地で。
ゴミ?
それとも落とし物?
僕は思わず立ち止まり、そのりんごを見下ろした。
ゴミではないか。かじられた様子はないし、腐ってもいなさそうだ。
なら落とし物か……
ゴクリ――
すごく美味しそうだった。
見事な色艶。赤く熟した食べごろの色合い。
そして、この鼻孔をくすぐる微かな香り。食欲をくすぐる甘酸っぱい匂い。
気づくと僕は腰を折りそのりんごを拾い上げていた。
顔に近づけると更なる甘い香りが――
ゴクリっ!
だめだ、これは抗えない。無意識のうちに口が開き、そのりんごに――
ガブリっ!
「うっ――」
これは!
「うまいっ!」
ガブガブガブっ!
「うん、うん、うぐ、うん、うん、何だこれは。食べたこと、うぐ、ないぞ、うぐ、こんな、うまい、りんごっ!」
手にした赤い実の半分ほどを一気に口に放り込んでいた。今まで食べた中で最高のりんごだ。こんなの食べたことがない。僕は夢中でかぶりつき、残りの半分もあっという間に平らげた。
そんなタイミングを見計らって――
「どうです、お気に召しましたか、そのりんごは?」
僕に向かって声がかけられた。見ると、いつの間にか正面に一人の男が立っていた。黒いビジネススーツを着た、いかにもサラリーマンといった中年男だ。左手には黒い皮張りのアタッシュケースを持っている。書類入れにしては少々大き目だ。
「あ、あの……」
「すみません。申し遅れましたが、わたくし、そのりんごの持ち主でして」
「え、あ、あの、その、すみません……」
「あ、よろしいんですよ、りんごを落としたわたくしがいけないのですから。それよりも、わたくし、そのりんごのセールスをしている者でして」
「セールス? りんごの?」
「はい、少々お待ちください」
男がそこで手にしたアタッシュケースを下に置き、ぱかりと開いてその中をこちらに見せた。そこには先程食べたのと同じ真っ赤なりんごがいくつも並んでいた。
「こうしてサンプルを持ち運び、売り込みをしているんですよ」
「売り込み? スーパーとかにですか?」
「いえいえ、個人のお客様にサブスクで定期的にお届けするご案内をです」
「へぇ、サブスクですか」
「はい、最近はこれがはやりですからね。――どうですか、あなたも試してみませんか? 美味しかったでしょう、そのりんご」
男がニッコリとほほ笑む。営業スマイルといった感じだが、どこか人懐っこい安心させるものがあった。
「え、そうですね、すごく美味しかったです。でも……」
「まずはお試しということで三か月。いかがです。料金もサービスしますから――」
言いながら男がアタッシュケースの収納ポケットからタブレット端末を取り出して、ささっと操作するとそのサブスクの内容を表示してこちらに見せた。
「一か月の料金はこのようになっておりますが、お試しの三か月はここから三割ほど引いた料金でご利用できます。それが終わった段階で気に入らなかった場合はそのまま解約になりますので安心してください。――いかがですか?」
示された画面をじっと見る。思ったほど高くない。お試しならありだ。りんごは好きで季節になるとスーパーでよく買うが、最近は味もそっけもないハズレが多くて辟易していたところだ。あの信じられないほど美味しいりんごが、この値段で毎月食べられるなら――
「分かりました。とりあえずお試しで」
「ありがとうございます。――では早速手続きを。ここに必要事項をちょちょと入力していただくだけですから」
「わかりました」
僕は差し出されたタブレットに名前や住所などを入力していった。そして、全て入力しタブレットを男に返すと、その内容をさっと確認してから、男は再びニッコリとほほ笑んだ。
「ありがとうございます。手続きが終わり次第、一回目の配送をいたしますのでお待ちください。――それとこれを」
男がアタッシュケースからりんごを一つ取り出して、こちらに差し出した。
「お礼のサービスです。どうぞ」
「いいんですか。ありがとう」
僕は喜んでそのりんごを手に取った。そして、すぐにりんごにかぶりつく。
うまい。やはり美味しい!
「それでは、わたくしはまだ他にも回るところがありますので」
りんごにかぶりつく僕をよそに、男はその場を去っていった。
もぐもぐもぐ……
「……それにしても、珍しいな、今時実物を持ち歩いてのセールスなんて。――ああ、美味しいな。これ、芯まで食べられそうだぞ」
ガブ、もぐもぐ……
僕はりんごの芯までかぶりつき、一回目の配送はいつ頃になるのかな、と思いつつその場を後にした。
○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
「ふぅ~、うまくいった。これで今月のノルマはどうにかなりそうだな」
黒いスーツのサラリーマンが小さな公園のベンチで座って一息ついていた。足元には例のりんごが詰まったアタッシュケースが立ててある。
「目立ち過ぎないように地道にやらねばならないのが面倒だな。仕方ない、違法だからな――が、ががが……」
男が全身を小刻みに震わした後、口をあんぐりと開き、目を大きく見開いた状態で静止した。見ている者がいたらあまりにも不自然な状態に声をかけるか逃げるかしたかもしれないが、幸いなことに周囲に人影はなく騒ぎにはならなかった。
その状態のまま十数秒ほど男は固まっていたが、
「う、あ、ああ…、あーあ、あーあ、う、わ、が、だ、大丈夫か。よし、いけそうだ」
その声と共に何事もなかったように元の様子に戻った。そして、体の各部を確認するように少し動かしてから、一度大きくため息をついた。
「ふぅ~、いかんな、地球人型サラリーマンスーツの調子がおかしい。
深刻な調子で男は言うとアタッシュケースを手に持って立ち上がった。
「それにしても、地球人は変わっている。銀河のどこでも毒として毛嫌いされているこいつを、美味しそうに食べるのだからな。いや味は悪くないんだ。しかし、食後に体温が急上昇して幻覚を見るようになり、やがて悪寒と共に吐き気を催しだすのだが……、地球人は問題ないようだ。銀河のどこでも相手にされないこの実――連盟に加入していないこの星での販売は違法だが、背に腹は代えられない。我が星は貧乏だからな……」
男がすっと空を見上げた。直後、その姿が霞のように消える。彼の
りんご――アダムとイヴが楽園から追放されたきっかけとなった禁断の「知恵の木の果実」
りんご――アイザック・ニュートンが重力の法則を発見するきっかけとなった果実
りんご――その木には妖精が住みつき果実を守っているという
さて、この宇宙のサラリーマンからもたらされたりんごは、この後、どんな物語を紡ぎだしていくのだろうか?
今は誰もそれを知らない。まさか、地球人にあんな大異変が起こることになろうとは――……
END
りんごが道に落ちていた話 よし ひろし @dai_dai_kichi
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