10-4. 花言葉に想いを乗せて
*
都内郊外、昼過ぎの墓地。
自身が住む国とは違う、縦型の墓石が並ぶ墓地の光景を見たイヴァンは、一瞬立ち止まる。面食らった様子で周囲を見回すが、一回息を吐いて、一歩を踏み出した。
「♪But don’t change a hair for me」
イヴァンは口元に笑みを湛え、小さく口ずさんでいた。
後ろには、ビスクドールがぴったりとついている。薄っすらと赤みを残した、たくさんの黒い薔薇の花束を持って。
「♪Not if you care for me」
薔薇は、色や数で意味が変わる花だ。
十一本──最愛。
黒と赤が混ざる花弁──永遠の愛。
「♪Stay little Valentine, stay」
イヴァンにとっては、「最愛」も「永遠」も意味は同じだ。
「♪Each day is Valentine’s day」
この黒赤色の薔薇の花束は、完璧だと思っていた。
最愛の人へ捧ぐに相応しい、と。
この墓地は日除けになる木々がなく、日中は陽射しをたっぶり浴びることになる。
片隅の一角に、真新しい墓を見つけ、イヴァンの歩くスピードが上がる。横断歩道の向かい側から、恋人を歩いてきたのを見つけたような足取りの軽さだった。
目当ての墓の前に立ったイヴァンは、眉を下げ、寂しそうに眼前の光景を眺めた。ビスクドールは、その後ろにいる。
イヴァンは、後ろを振り返る。ビスクドールは無言で、持っていた黒赤色の薔薇の花束を差し出した。
墓に向き直したイヴァンは、それを墓に供える。
この墓の石は黒味の強い灰色で、艶やかなその表面に、イヴァンとビスクドールの二人の姿が映り込む。
「久しぶりだな、ユーコ」
イヴァンは、屈み込むと墓石に手を添え、側面に彫られた名を愛おしげに見つめる。
彫られていた名は、
「こんな姿になってしまって」
隣に立つビスクドールは無表情で頷くだけだ。
それを見たイヴァンは、ジャケットのポケットから煙草の箱を取り出す。
ビスクドールは、流れるような慣れた手つきで、イヴァンの口元へ近づけたライターを点ける。イヴァンはその火に、顔を近づけた。
煙が燻る。ゆらりとした煙は、風の流れか、墓石にまとわりつくようにしてから、宙に溶けていく。
「あぁ……ユーコ」
墓前に来てから、眼の周りの皺はずっと深くなっている。灰色の眼が、熱と潤みを帯びて、物言わぬ石を見つめていた。
イヴァンは一回だけふかした煙草の火を墓石の表面に押し付ける。
「君に会えないのが、本当に……寂しい」
灰色の瞳は、忌々しいものを見るように、鋭く冷たい。
火が消えても、穂先が潰れても、イヴァンは紙屑みたいになった煙草を、爪が白くなるほどの力で押し付け続ける。
ビスクドールは、そんな男の背中を憂いを帯びた眼で見つめている。
「ユーコ、君が守ろうとしたものは、必ず私が手に入れる」
男は、煙草の吸い殻を手から緩く落とし、そのままその手で墓石を撫でる。
「君がいないこの世界に、何の価値もないというのに」
そう言って、墓石の向こうにいる亡き人を思うイヴァンの眼は、今にも零れ落ちそうな涙を湛えている。
イヴァンは急に、後ろを振り向く。視線の先には、ビスクドールが待っている。
「クガの小汚い診療所に、ミチルがいるんだな?」
抑揚のない声だが、言葉の端に苛立ちが混ざっているのは伝わる。
「はい、イヴァン様。刺傷百ヶ所以上ある中、内臓に到達した傷もありますが、致命傷にはならなかったようです」
ビスクドールは一瞬の迷いもなく、即座に答える。的確に、不要な情報は排除した文言。
「……死に損ないが」
イヴァンの押し殺した声。
その瞬間、空気が張り詰め、ビスクドールは息を呑む。
眉間に皺を寄せたイヴァンは、肩を落として深いため息を吐き出した。
「私がわざわざ、あの小娘の前に行かなくてはならないのか」
イヴァンは忌々しそうに顔を顰めた。
その様子から不穏な空気を感じ取ったビスクドールは、わずかに眼を伏せる。
ビスクドールがみちるの居場所を確認し報告した直後、イヴァンは箱根から都内へ移動した。
真っ先にやってきたのは、渕之辺 みちるの母・優子の墓前である。
「ビスクドール」
体ごと後ろに向けたイヴァンは、名を呼ぶ。
「はい」
背筋をピンと伸ばしたビスクドールが答えるのと同時に、
「今から行く」
イヴァンは踵を返す。
「承知しました」
ビスクドールはイヴァンの後ろに張り付いている。
二人の影が足早に去っていった後、墓地は静寂に包まれる。
残ったのは、物言わぬ黒赤色の薔薇の花束だけだった。
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