10-3. 信頼関係
*
朝九時。
朝陽が昇り、街は通勤に急ぐ人々と、はしゃいだ夜が終わって帰る人々が混ざり合っている。
その人混みから少し離れた場所にある、クガの診療所。
面会時間は、あってないようなものだ。
入り口に立っているクガの手下は、昨日の夜、自分を睨みつけた眼差しと同じ温度の視線を向けてくる。
その視線を無視して、フチノベ ミチルの病室へ向かう。
病室の扉を開ける前、大きく息を吐いて吸う。
狐から齎された情報を基に、自分なりに明け方まで調べた。イヴァン=アキーモヴィチ・スダーノフスキーのことを。
その男の情報は、ダークウェブにアクセスするまでもなく、インターネットで呆気なく検索できた。それだけの、有名人だった。
元ソビエト軍人で、今は武器商人として暗躍している。
どんな小さな争いにも、必ず顔を出し、武器を売ってきた。そうやって世界中に顔を売り、信頼と多大なる資金を得てきた。
やがて、「戦争の勝敗はイヴァン=アキーモヴィチ・スダーノフスキーが握っている」と言われるほどの実権を持つようになった。
そして今は、インターポールに国際手配犯として追われている。が、武器商人という仕事柄、大国の首脳と顔が利くこの男は、それをものともせずに安穏と暮らしている。
そのイヴァンが、なぜ日本にいるのか。
狐が、わざわざ自分に伝えに来た理由は。
イヴァン。
狐。
フチノベ ミチルにリエハラシア軍部の内情を伝えていた、情報源。
そして、あの夜のクーデターの生存者。
なぜか、
何かに巻き込まれている。だが、それが何かは、まだわからない。
それがはっきりとわかった時には、取り返しがつかなくなっている。
それだけは、
無意識に奥歯を食いしばっていた。
ドアノブに手をかけた瞬間、気配を感じて即座に手を離す。
離すのと同時に、ドアがスライドして開く。
「いると思った」
病室の主は、自分に向かって笑いかけた。
チューブや電極が繋がっていたはずのフチノベ ミチルの体は、随分と身軽になっていた。
「てめぇ、チューブを引き抜いたな」
思わず眉間に皺が寄る。
病院着から覗くフチノベ ミチルの腕に、血痕がちらほらとついていた。
「ちょっと邪魔くさくて」
フチノベ ミチルは悪びれもしなかった。
「何か、あったんでしょう?」
フチノベ ミチルの表情は微笑んでいるが、硬い。
自分がドアの前に立ち止まっていたのを、気配でわかっていたのだろうか。
前から思っていたが、この女の、気配を察知する能力は飛び抜けている。
「……座って」
こちらがフチノベ ミチルの不気味さに戸惑っていると、ベッドサイドの椅子に座るように促される。
「狐が来た」
椅子に座りながら、今一番の議題を切り出す。
「それは……どの面下げて、って感じですね」
フチノベ ミチルは少し意外そうな顔をして、ベッドの縁に腰掛ける。これで、お互いに相対する格好となった。
「ヤツは、イヴァンという男が日本へ来ている、という情報を持ってきた」
イヴァンの名前を聞いたフチノベ ミチルの瞳が揺れる。
だが、すぐに目を伏せ、感情を見せようとしない。
「心当たりがあるんだな」
こちらの問いに対し、フチノベ ミチルは、しばらく沈黙した。
やがて唇がかすかに動き、吐息のように言葉が漏れる。
「……私が思い浮かべている人じゃないことを、祈ってます」
意を決したように、喋り始める。
「イヴァンという、有名な武器商人の男がいます」
フチノベ ミチルが出してきた人物は、おおよそ想像通りだった。
「あなたも知ってるんじゃないかな」
フチノベ ミチルは薄笑いを浮かべる。
だが、残念ながら、狐が集めていた情報や人脈を何もかも把握していたわけではない。――そう言おうとした。
「リエハラシア軍も、クルネキシア軍も、イヴァンの得意先ですから」
フチノベ ミチルの声は、やけに冷静だった。
正規のルートで供与される武器とは別に、裏で流れる弾薬や装備がある。
それを扱うのが、イヴァンやフチノベ母娘のような武器商人と呼ばれる人間だ。
他国から正規ルートで供与されたり、自国で調達する武器、弾薬。それらとは異なる、非公式に装備する武器、弾薬が存在する。それらは武器商人が持ってくるものだ。
武器商人との交渉では、時には物々交換の体で軍の在庫を出すとも聞く。
例によって一年前のあの夜、この女と母親が大統領府にいた理由は、その非公式の装備品売買に関する交渉だ。
そういった非公式の武器や弾薬を、商売人である彼らは、敵味方の陣営の区別もなく、相手から要求されたものを売る。
「その武器商人の名前は知らなかった。俺たちは、知らずに恩恵に
使う側の人間からすれば、それがどこで製造し輸送され、売り渡されたのかなど、知る必要もない情報だ。
兵隊は、供給されたもので最小限の努力で最大の結果を出す、それだけだった。
「使う人は、その名前を知る必要がないですからね」
自分が思っていたことを、フチノベ ミチルは見透かしている。
「売買交渉をするのは上層部。その上層部が知っていればいい名前」
ぽつりと呟くフチノベ ミチルの黒い眼は、光を失くして宙を睨んでいる。
武器商人。
兵隊どもに知る権利はなく、兵隊を動かす層だけが知っている存在。
長年いた故郷で抵抗なく受け入れてきた格差だが、ここで見せつけられると、鉛を飲み込まれたような気分だった。
「イヴァンという男は、マフィアやギャング同士の小さな抗争でも、すぐ駆け付ける」
そう語るフチノベ ミチルの視線は、自身の膝の上に向いていた。無機質な色合いの病室着の皺は、迷いのない線を描いている。
「しかも、アイツが絡むと、もっと大きな衝突が起きる」
「市場がなければ開拓しろ、を地で行く男なんだな」
「そういうこと」
フチノベ ミチルは苦笑交じりに言い、顔を上げた。
所詮、小国同士の戦争は、後ろ盾の大国同士のパワーゲームの代理だ。そして武器商人にとっては、格好の餌場となる。
故郷でさんざん見てきた、路上に積み上げられた骸のことを思い出しながら、鼻で笑うしかなかった。
死者の屍の上に、生者は立っている。
イヴァンのことは聞き出せた。
だが、訳知り顔のフチノベ ミチルに聞いておかねばならないことが、自分にはまだある。
「お前に有耶無耶にされてきた話を、改めてしたい」
そう切り出したところ、フチノベ ミチルは、怪訝そうに首を傾げた。
「そんなお話、ありましたっけ?」
口振りだったり、動作が芝居がかっていて、見ていて落ち着かない。
「お前の父親……生物学上か、育ての親かは知らない。だが、その男はリエハラシア出身なのか?」
それはたしか、蠍を誘き出すために向かった、あの千葉の山奥。そこへ向かう前に聞いた話だ。
――生物学上の父親については知らず、育ての父は二年前から行方不明になっている、と。
名前も姿形も、今まで一切出てきていない、フチノベ ミチルにリエハラシア軍部の内情を伝えていた人間。
父親がリエハラシア出身の何者かであるならば、話は簡単だ。
しかし、厄介なのは、
「さらに言うなら、サハラという名前の男じゃないのか」
自分の脳裏に浮かんでいる人間が、フチノベ ミチルの父親である場合だった。
「さぁ? それは、どちらさまでしょう?」
サハラという名を聞いたフチノベ ミチルは目を細め、感情を読ませようとはしない。組んだ足をぶらぶらとさせ始め、動揺を散らしているようだった。
「せめて、取り繕ったらどうだ」
知らない、と明言しない。
それだけで答えとして十分だった。嘘をつくのは上手いくせに、そんなところだけは素直だ。
「嘘ついても、つかなくても文句言われるんですね」
フチノベ ミチルは、おかしそうに声を上げて笑う。
嘘だとも真実だとも言わずに、こちらが誤認するのを誘導しているのだろう。本当に小賢しい真似をする。
「サハラは今、どこにいる」
目の前にいるフチノベ ミチルへ、引き金に指をかけた状態で
これは質問ではなく、詰問だ。
「あなたも、サハラさんを殺すつもりですか?」
銃口には一瞥もくれず、フチノベ ミチルはこちらの眼をじっと見つめている。
その眼に怯えや恐怖など微塵もない。そこにあるのは揺るぎない自信と威圧。
「ならその前に、私があなたを殺します」
はっきりと伝える言葉は、はっきりと冷たい。
「どうせ嘘をつくなら、ちゃんと貫き通せ」
サハラの名前を出してから、明らかにこちらを見る眼が変わった。眼は口ほどにものを言う、とはよく言ったものだと思う。
引き金にかけた指先は、まだ離せないでいる。
「本当のことは、もっと信頼関係ができてから、お話しますよ」
こちらを睨み続ける女は、人を食ったような言い方しかしない。
玩具の銃を向けられているような顔で、落ち着き払っている。
「惨めに野垂れ死ぬ前に、話せ」
どうやって、ここから信頼関係を築けると言うのだ。鼻で笑ってしまう。
「誰が?」
フチノベ ミチルは、また首を傾げる。
「俺とお前、どちらもだ」
そう毒づくと、フチノベ ミチルは手を叩いて笑った。どこまでも馬鹿にしている。
呆れ果てて、銃をしまうしかなかった。
信頼には応えてやれ。
それは、かつて故郷で、教官が言った言葉だ。
だが今の自分は、誰からも信頼されていない。応えるものなど、何もない。
あの頃なら、響いた言葉だっただろう。
今では、何の重みも持たない。
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